極私的十戒2008Version
ああいう奴はいやだ、こういう奴はいやだ、などと語るのは必ずしもきらいではないが、正直あまり得意ではない。なんせ自分がその条件にあてはまってしまうことがしばしばあるから、まさに天唾なわけだ。にもかかわらず、とあるきっかけで、やってみようと思った。半分は自戒もこめて、ええといいにくいんだけどさ、みたいな言い訳をしながらだが、こういうのは恥ずかしいよ、やめようよ、と。
以下に挙げるような人は、どこにでもいる。ネットにもリアルにも。2ちゃんねるにも居酒屋にも。高級料亭にも役員室にも。老人ホームにも小学校にも。もちろんここにも。ご賛同いただける方に、みんなで気をつけようね、という意味をこめて、私的十戒、2008年Version。
(1)自分の言いたいことを言い合うだけの「対話」はやめよう
こういう人、けっこういる。向き合ってことばを交し合っているのに、それぞれ自分の言いたいことしか言ってないから、全然コミュニケーションになっていないパターン。別にコミュニケーションする気なんか初めからないよ、という場合もあろうが、これをやってても、そこから何かが生まれるとは考えにくい。第一、コミュニケーションしなきゃいけない場でこれをやられるとえらくつらい。そういえば、「朝まで生テレビ」とかってこれを延々とやってるね。あれって対話というより討論なわけだけど、討論にすらなってないことが多い。司会が強引にまとめてなんとか形にしてるわけだけど、やっぱりどこか不毛な感じがする。
(2)相手を貶めることで、自分のプライドだか何だかを満足させようとするのはやめよう
こういう人も多いね。これをやりたい気持ちはよくわかる。やってるときは楽しいんだよな。でもはっと我に返って自分を客観視すると、とってもかっこわるくて、とっても恥ずかしい。きっと得意気な表情だったにちがいないと思うと、顔が赤くなる。相手に本音を気づかれちゃいないかとドキドキしてしまう。いや実際、こういう人と話すと得意気なさまが手にとるようにわかるから、きっと自分の場合も見切られてるんだろうな。いや恥ずかしい。
(3)自分の身を安全なところに置きながら、相手を後ろから撃つのはやめよう
これもよくある。もちろん言い訳もあろう。わざわざ相手の前に行ってやることもないという遠慮もあるし、そもそも相手が有名な人だったりするとどうしても陰口になっちゃうし。だからいちがいにはもちろんいえないんだけど、何が「安全なところ」で何が「後ろから撃つ」なのかについて、やはり自分で胸に手を当てて考えるしかないね。撃たれた側の気持ちになって考えればわかるかな。
(4)「あれは問題だ」「これをやらないとだめだ」とかいいながらそのために自分では何もしようとしない態度はやめよう
自分でなんでもできりゃ苦労はしないんだけどね。自分だけじゃどんなにがんばったってたいしたことはできないだろうし。でも、だからといって何もしないというのはやはりどうかと思う。「ハチドリのひとしずく」っていうお話があって、なんでも南米アンデス地方の昔話だかなんだそうだが、私はこれをよく似た話をホテルとかにおいてある「仏教聖典
」で読んだことがある。ともあれ、自分が微力であることをやらない言い訳にするのはよそう。
(5)試してもみないうちから「どうせだめだ」とあきらめたり、「あっちのぶどうはすっぱい」と強がったりするのはやめよう
食わず嫌いというか、あきらめがいいというか。いやいやちがう。要するに弱虫だ。失敗して自分が傷つくのがこわいだけだ。いやもちろん、世の中絶対できないことはあるし、事実上可能性が低いことだってたくさんある。下手に失敗されるより何もしないほうがいいことも、もちろんいっぱいある。あるんだけどさ。でも、できることだってたくさんある。最初は失敗しても、何回かやってるうちにできるようになることは、本当にたくさんある。少なくとも、学校でやることのほとんどはそうだ。だから学校に行ってる人に言いたいんだけど、学校は失敗するための場と考えればいい。少なくとも学校に通ってるうちは、どんどん失敗したほうがいいんじゃないかな。学校を出ちゃった人はそうもいかないことも多いけど、それでも、やらない言い訳をしてる人より、やって七転八倒してる人のほうがかっこいい場合が多いと思う。
(6)ものごとをよく見ないですぐに類型化してレッテルを貼るのはやめよう
これは特に気をつけたい。「この問題は要するに○○なんだよな」とか「あいつはどうせ××だから」とか。類型化すると、思考が簡単になる。いわば脳の節約ツールだ。どうでもいいことは、もちろん類型化して考えればいい。でも、世の中ちゃんと考えなきゃいけないことはたくさんある。特に、他人が類型化したことばを使うときには気をつけよう。他人の思考結果を借りてくることで自分の思考を節約できるけど、それは他人の思考プロセスを丸ごと受け入れてしまうことでもある。「操り人形」になることを甘んじて受けるんなら別にいいけど。自分でちゃんと考えたいとき、他人の類型化によるレッテルが助けになる場合も多いけど、邪魔になることだってけっこうある。
(7)すぐ極論に逃げるのはやめよう
「100点でなければ0点」みたいな議論ってよくある。「○○はいいけど△△がだめだから意味がない」とか、「自分の希望が100%かなえられないならいっそ0%でいい」とか。本当にそうだという場合もあるだろうけど、本当はそうじゃない場合のほうが多いような気がする。交渉上のレトリックということもあるかもしれないが、気になるのは、これを自分が何かをしないための言い訳に使ってる人がけっこういることだ。100%条件がそろわなきゃやってやんねーよ、みたいな。そういうのをみると、「赤ん坊じゃあるまいし駄々こねてんじゃねーよ」って言いたくなる。
(8)注意を引きたいというだけの理由で必要以上に強い言葉を乱発するのはやめよう
これは(2)に近いかもしれない。それから(6)にも。はっきりしたことばを使う人は見ていて気持ちがいいし、強い意見があるんだなみたいに見えるし。もちろんそれだけ自信のある場合もあるかもしれないが、そんなにはっきり整理できるものごとって、実際のところそう多くないと思う。だから、やけに強いことばを使ってる人を見ると、「ああこの人はわかってないんだな」とかわいそうになることがけっこう多い。逆に自分がついそういうことばを使ってしまったとき、周囲にそういうっぽい目で見ている人がいたりすると、とたんに冷や汗が背筋にタラリと。
(9)相手の努力の価値を認めず、結果の差だけをとりあげてすぐ「不公平」というのはやめよう
「不公平」というのは簡単だが、何が公平かというのは、考えてみるとけっこう難しい。「あいつばかりうまくやりやがって」という前に、その人がこれまでどうしてきたか、ふだんどうしているのかに想像をめぐらせてみよう。同じような「能力」を持っていても、いろいろやってきた人と、いうだけで何もしなかった人とでは、結果に大きな差が生まれる。
(10)自分が不勉強であることの責任を他者に押し付けるのはやめよう
よくある格差論で、東大生の親は平均的にみて親一般より収入が高い、という話がある。それは事実なんだろう。その差は統計的に有意なんだろう。でもそのことは、個別の事例レベルで、家が裕福でないと東大に入れないということではない。いや別に東大の話をしたいのではなくて、個人レベルではおそらく、環境要因より個人の要因のほうが大きいだろうということだ。社会のせい、経済のせい、政府のせい。もちろん外部に責任がある場合もある。あるが、少なくとも自分が何にどのくらいの時間を割くかは自分の選択だ。自分が不勉強であることの責任の大半は、自分自身にある。他人の責任を問うなとはいわないが、自分がやらなかったことの責任まで他人に押し付けるのはいかがなものか。
ああ痛い痛い。まさに天唾。全部自分に突き刺さるね。しかもなんだかダブってるっぽいものもあったりするし。十一戒めがあるなら、「くだらない十戒なんか作ってる間に仕事しろ」ってことなんだろうけど。
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Comments
>やらない言い訳をしてる人より、やって七転八倒してる人のほうがかっこいい場合が多いと思う。
感銘を受けました。
今年も七転八倒することをここに誓います^^
Posted by: マダム・ロセス | January 11, 2008 11:12 PM
マダム・ロセスさん
恐れ入ります。「ぜったいかっこいい」と書いてないところがミソですね。かっこ悪い七転八倒もあると。そのあたりつらいところですが、かっこ悪くても七転八倒しよう、と個人的には思っています。マダムはぜひ優雅に七転八倒していただきたく。お互いがんばりましょう。
Posted by: 山口 浩 | January 12, 2008 09:29 AM
>優雅に七転八倒
難しそうです。コレハ何カべっどナドヲ示唆シテイルノデショウカ? 違ったらごめんなさい。
まあ、
「モトデをかけずにホンモノを掴み出すことはできない」
と坂口安吾も言っています。
かっこ悪くてひとに笑われるくらいは「計算済みのリスク」ということにします^^
Posted by: マダム・ロセス | January 12, 2008 04:20 PM
マダム・ロセスさん
いや別に「べっど」などを示唆したつもりではありません。七転八倒するにも「品」みたいなものがあるのかな、と思ったまでです。かっこ悪くても「品」はあるみたいなのってあるんじゃないかな、と思いました。どうですかね?
Posted by: 山口 浩 | January 14, 2008 01:19 AM
ああ。なるほど!
(ポン!とひざを打つ)
じゃ、そういうのを目指させていただきますね♪
Posted by: マダム・ロセス | January 17, 2008 06:26 AM
マダム・ロセスさん
ぜひ。最近日本では「女性の品格」なる本が売れてます。どんな本か読んでないので内容は知りません。著者の方をテレビでお見かけしたら、典型的にイメージされる「優雅」「上品」なタイプの方とはちょっとちがうような印象でしたので、上記の意味での「品」みたいなところなのかもしれません。
Posted by: 山口 浩 | January 18, 2008 09:32 AM