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今の給与水準はサービス残業を前提として設定されているのではないか

どこぞでサービス残業が話題になっているらしいと聞いた。残業料をもらう立場でも払う立場でもなく、というかそもそも残業料がつかない職に就いた私はそれなりに中立的な立場にいるのではないかと思うので、けっこうタッチーなテーマだと思うが書いてみる。最初にことわっておくが、実態を詳しく知っているわけではない。こういうことなんじゃないのと思うけどどうなの?というネタ振り的スタンス。できれば、事情をご存知の方々に議論を引き継いでいただきたけるといいな、と思う。

あと当然だが、個別の職種とか業界とか、そういう話ではなくて、あくまで全体的な、おおざっぱな話なので、そこんとこもよろしく。

ネタというのは記事タイトルの通り。一般論として、今の日本の企業やら役所やらの給与水準はサービス残業が行われることを前提として設定されているのではないか、という考えだ。こう考える人は他にも多いだろうし、書いている人もいるのではないかと思うのだが、マスメディアではあまり見ないように思うので、書いてみる。

サービス残業なるものが日本の職場においてどのくらい恒常的かとかどのくらいの規模なのかとかについて、データ的なものは一切持ち合わせていない。自分自身が会社員として残業料をもらっていたのはもうずいぶん前のことになるが、当時自分の職場では、管理職が「残業時間すべてについて残業料を請求するのはやめろ」と指導するのが一般的、というかむしろそれが事実上のルールだったといってもよい。その後いろいろな変化があったから、今はちがうのかもしれないが、一方でそうたいして変わってはいないだろうとも思う。

「変わってない」と思うのは、最近聞いた件以外も含め、サービス残業がなくなったとか減ったとかいう話を聞いたことがほとんどないからだ。もともとこの手の話は「おおげさバイアス」がかかるのでそのまま受け取るのは危険だが、事実無根ということもなかろう。最近は非正規雇用が増えてるわけで、その場合には本来よりフォーマルな規制がかかるはずだが、実態はそんな単純なものでもあるまい。

サービス残業をなくして残業料を実態通りすべて払えというのは本来しごくまっとうな主張だ。適用されないケースを除いて、ふつうの労働者についてはそういうふうに法律もできてるし、労働契約だってそうなってるはず。反論の余地は、少なくとも法的には、ほとんどない(あ、管理職にあたるかどうかってやつは別ね。あれはむしろ、残業料を払わないということだけのために管理職扱いにする「奇策」をとるという意味で雇用者側が法的にいかに縛られているかってことの裏返しだと思う)。

だから、雇用者側の主張はどうしても「そんなに出せん」という話になる。これに対してもたいてい「払えるはずだ」という反論が出てくるんだが、実態がわからないし、これは総論をやってもしかたがないので、私が「払えるはず」「払えない」論争について踏み込んでも意味のある話にはならない。私にいえるのは、雇用者側が過去の従業員給与決定の局面(労使協議とか、経営陣の会議とか)において、従業員が残業料を実態の一部しか請求しないという行動パターンをとることを前提としてものを考えていたであろうということだ。100円給与を上げればもろもろ含めて全体では年間○○億円のコスト増だが払えるのかどうか、といった議論が交わされたりするんだろうということは、かつて組合員として団体交渉に出たこともあるし、容易に想像できる。そこで残業料の「取得率」が変わると想定されるなら、それは必ず計算に織り込まれるはずだ。もちろんがめつく貯め込んでる雇用者もいるんだろうが、そうでない雇用者も多いだろう。請求通り払ってたら企業がもたない、というケースは少なくないと思う。

そういう場合、雇用者側としては、残業料をすべて払うなら給与水準を下げないと、といいたいにちがいない。全体として人件費総額が多少増えることは交渉上容認するにしても、全部請求されたら払えない、と直感するんだろう。理由はともあれ、給与支払額が増えればコスト増なんだし、全部払うとなればモラルハザード的な問題も出やすくなるし。しかし実際には建前上そうはいえないので、なんだかんだといろいろな屁理屈をつけて抵抗するわけだ。

労働者側にも、事情がわかる人は多いのではないか。労働者が一枚岩なんてことはない。あいつらは遊んでるのに自分たちより高い給料をもらいやがって、という話はいくらでもある。とはいえ、雇用者と交渉するには「団結」ってやつをしなければならないし、自分もやがてはそういう立場になるかもとも思ったりするから、不満の人も「しぶしぶ」受け入れてるわけだ。よって、理屈としては「法律どおりやれ」という以外のことは言いにくい。

というわけで、そこで膠着状態に陥る。お互いに事情はわかりながらも、ぶっちゃけて話ができない状況にあるわけだ。こういう状況がどのくらい一般的かについて客観的な情報を持ち合わせないが、けっこうよくあるのではないか、というのが冒頭に書いた「ネタ振り」。つまり、残業料をちゃんと払えるようにしようと思ったら、給与水準全体を下げなきゃいけないケースが少なくないだろうけど、それができないという状況なんじゃないかと。

もともと、労働の対価をどう決めるべきかは、やれ年功序列だ能力主義だ成果主義だといった論争も含め、ずっと前から何度となく繰り返されてきた議論なわけで、そのこと自体が、この問題がそう簡単なものではないことの証明にもなってる。問題は、労働時間の長さが企業に対する貢献度と必ずしも一致していないということだ。ラフに軸が2つあるとすると、次の4つのタイプに分けられる。

(1)労働時間が長くて企業に対する貢献度が高い人
(2)労働時間が長くて企業に対する貢献度が低い人
(3)労働時間が短くて企業に対する貢献度が高い人
(4)労働時間が短くて企業に対する貢献度が低い人

ここで、残業料を増やして給与を下げたら、遅くまで職場に残っている人の収入が変わらないか増えるのに対して、早く帰る人の収入が減る。すると、(1)のタイプの人は収入が下がらないし、貢献が認められるからハッピー。企業としても貢献している人に高く払うのは望むところだろう。(4)のタイプの人は収入が下がって不満はあるだろうが、これは企業側としても望むところだろうし、労働者側の賛同も比較的得やすいのでは。問題は(2)と(3)のケース。(2)のタイプの人は、企業にあまり貢献しないのに収入が下がらず、逆に(3)のタイプの人は企業に貢献しているにもかかわらず収入が下がってしまう。企業の中でそれぞれがどのくらいの割合いるのかは知らないし個別事情にもよるだろうが、要するに経営者は(3)の人の給与が下がるのを好まないし、組合は(2)の人の給与も守りたい、ということだ。

実際にはもっといろいろな点を考慮する場合のほうが多いだろうが、問題の本質はそれほど複雑じゃないように思う。貢献度を外形からわかる指標で計測しようとすることに起因する情報の非対称性の弊害ということになろうか。要するに、労働の価値を直接、適切に給与に反映できればいいんだけど、質の計測が実際上なかなか難しいから、外見的にわかる量、つまり時間で価値をはかるアプローチに強く依存しなければならないということ。

別に「だからこうすべきだ」みたいな立派な結論は持ち合わせていないんだが、とりあえず、建前論の応酬を延々と見せつけられるのはどうにもつらい。建前論に走るのではなく、お互いに見えているはずの「事情」を前提にするところから話を始めないと、なかなか折り合う余地って少ないんじゃないか、とつらつら思うわけだ。労働法が実態からだいぶずれちゃってることをみんな知ってるのにおおっぴらには言えない状況は、なんだか「裸の王様」みたい。そこを突破できれば、誰の給料を増やすか減らすかみたいな議論じゃなくて(これやるとかなりのところゼロサムになっちゃう)、どういう決め方なら納得できるか、みたいに考える方向性が出てくるんじゃないかなぁ。

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