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「戦争待望論」について

「論座」2007年1月号に、「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」(同内容がご本人のサイトにもある)という記事を書いた「フリーライター」の赤木智弘さんが、2008年5月3日付の東京新聞朝刊に「地元のコンビニで働く赤木さん」として登場していた。「反発と絶望 極論生む フリーター『戦争を希望』」という記事(こちらにもある)。

この論文におけるこの方の主張については元の文章を参照(あと、この記事の末尾に挙げたこの方の著書も)。著名な論客を含め多くの反響があったことは記憶に新しい。中でも「戦争」をもちだしたことはある種の方々に相当の衝撃をもって受け取られたようだが、そのあたりに対する反論やらが多くみられるのは、書かれたご本人にはさぞかし不本意だろう。再反論ともいうべき文章にもそれは色濃くあらわれている。

東京新聞が憲法記念日に上記の記事を載せたのは、当然ながらこれらの問題が憲法と関係が深いという考えからなんだろうが、一応両方挙げてはいるものの、どちらかというと25条より9条への関心のほうが高そうに見えるのは色眼鏡だろうか。

この「戦争待望論」(というか、その裏にある格差論)に対する私の考えは、ちゃんと書こうとすると長くなるので、ここでは不本意ながら捨象(前に書いたものとしては、こういうのとかこういうのとかが近いテーマではないかと思う)。ここでは、「戦争待望論」というキーワードで思い出した1冊の本を挙げるにとどめる。押井守の「幻の名作」(と私は呼びたい。もともと構想は80年代からあって、日本で共産主義革命政府ができて内戦状態になるという筋書きなのに、いろいろあって90年代にずれこんじゃって、その間にソ連が崩壊しちゃったといういわくつき)である「西武新宿戦線異状なし」(内容についてはWikipediaに簡単な解説がある)。作画は大野安之。

この作品の主人公である丸和零(17)が「革命防衛隊」に身を投じた理由は、上記の「戦争待望論」に共鳴する人たちの多くが直面しているであろう「現実」とはずいぶん異なる。零は「危険だが波乱に満ちた/もうひとつの世界」にあこがれてはいたものの、その「退屈きわまりない人畜無害な一高校生としての日常」に生活への不安はない。実際にどうだったかは別として、当時はまだ総中流幻想が健在だったのだ。それに、少なくとも赤木さんは零のように戦争や武器をかっこいいと思っているわけでもないようだし。

それでも、「戦争待望論」を知ったとき、思いだしたのはこの作品だった。それがなぜなのか、正確なところは自分でもよくわからない。既視感か?守るものがないゆえの、という印象が似ているということもあるかもしれない。でもそれだけじゃない。なんだろう。しばらく考えた結果が以下の話。まだもやもやしててよくわからないまんまなんだけど。

この作品に「カントク」という人物が登場する。けっこうワルなオヤジで、青臭い主張をする零とたびたび対立するのだが、妙にものが分かっていて、零にいろいろなことを教えてくれる。全体としてこの物語は零にとっての通過儀礼を描いたものといえるわけだが、その大きな部分がカントクとの接触(および、カントクが仕込んだ例のアレ)であったと思う。物語の最後で零がとった「あの行動」の背景には、まちがいなくカントクの影響があるはずだ。

現代の非正規雇用の人々が直面している問題については、社会システムを変えていくべき部分がまちがいなくあるし、ご本人方の中にも、もうちょっと自分でなんとかしろよというケースがあるだろう。そのあたりはいろいろな方がいろいろなかたちで論じているので繰り返さないが、それ以外に、カントクのような存在の重要性というのがあるのではないか、とつらつら思う。きれいごとでごまかさず、でも虚無にも走らず、社会への不満があっても、日常の生活は人のせいにせず自ら守ろうと知恵を絞る。なんというか、ある意味「大人」なのだな。本音で生きてるから、生活のために悪事(小さなやつ、ね)にだって手を染める。でも、零の青臭い議論につきあって、逆に根源的な問いをふっかけ、考えるきっかけを与える。こういう人って、建前論が横行する今の世の中ではとかく批判を受けがちだが(世の中こういう人ばかりだったらやっぱり困るし)、あまり窮屈にしすぎるのもいかがなものかと思う。

社会を変えるためには、多くの人の賛同が必要だ。そのために活動するならそれもよし。戦争や革命に向けた活動は歓迎されないし犯罪にあたるおそれもあるが、言論にとどまる限り、ある程度の自由は保証されている。そもそも戦争を持ちだしたのは手段であって目的ではないわけだから、「戦争待望論」のかたちで主張する必要があるのかとも思うし、それが実際の社会変化を起こすほど幅広い支持を集めることにつながるのかどうか私には疑問だったりもするが、私がまちがってるのかもしれないし、まあがんばっていただきたい。マジな話、20~30代の投票率が60代並みになったら(で、世代の利益を主張し始めたら)、日本の政治はかなりのところ変わってくるのではないか、と思う。私も自分の考えは折にふれ出していきたいが、1人や2人の考えで何か変えられると期待するほど甘ちゃんではない。

それを待つよりとりあえず自分を変えるほうが早いぞという考え方をする人もいるだろうが、それもまたよし。こちら方面では、私も「セイガク」(零はカントクにこう呼ばれていた)の皆さんに日々接する立場であるから、できることの余地は少しだけ大きいかもしれない。カントクのように「哲学的」なセリフは吐けないし、「悪事」を勧めることもできないが。


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