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「現代のエスプリ」no.492「ネットジェネレーション:バーチャル空間で起こるリアルな問題」

「現代のエスプリ」no.492が「ネットジェネレーション:バーチャル空間で起こるリアルな問題」という特集を組んでいる。私もちょっとだけ書いているので勝手に告知。

編集者は山形大学の加納寛子さん。Amazonにはこんな紹介文が出ている。

生活・学習・遊び・仕事、至る所にネットが敷設される居住空間に生きる世代がネットジェネレーションだ。だが、何のトレーニングも受けずにネットデビューすると、ネットいじめや炎上、架空請求など思わぬトラブルに遭遇し傷つく者が後を断たない。本号では、ネットデビューする若者の情報社会と心との関わりに焦点を当てた。

目次はこんな感じ。

座談会
・「ネットジェネレーションを取り巻くバーチャル空間で起こるリアルな問題―闇サイト・ネットいじめ」(尾木直樹・斎藤環・加納寛子)

闇サイト・ネットいじめが蔓延するバーチャル版ムラ社会
・リゾーム的に増殖するネットいじめ(加納寛子)
・我が国と諸外国における闇サイト・ネットいじめの現状と対策
 (加納寛子)
・アメリカにおけるいじめの現状と対策(原田健男)
・韓国における闇サイト・ネットいじめの現状と対策(金仁培)
・表現の自由とネット規制法制―未成年者保護の在り方を考える
 (坂田仰)
・「いじめ」社会的攻撃・関係性攻撃(河野義章)
・いじめ問題の歴史と構造―魔女裁判の視点を踏まえて(原田順代)

リアル版社会とバーチャル版ムラ社会
・ネットジェネレーションの特徴(1)(加納寛子)
・ネットジェネレーションの特徴(2)(加納寛子)
・ひきこもり青年はなぜ、仮想現実に逃げ込まないのか?(斎藤環)
・ネットジェネレーションの就職活動とキャリア教育―反転するバーチャルとリアル(下村英雄)
・ネットの中の「世界」と「経済」(山口浩)
・ネット技術と社会の変化(山口浩)

ネットジェネレーションに託す未来
・いじめ一般の分析からネットいじめの問題を考える―教育心理学的分析(無藤隆)
・闇サイト・いじめの蔓延に対し、教育工学は何ができるか
 (赤堀侃司)
・ソフトウェア技術者の昔と今(菱田隆彰)
・ネットいじめのない世界(芹沢俊介)

一見、よくある単純な「ネット=悪」論みたいに見える部分もあるかもしれないが、そうではない。私の書いたものは別として、かなり面白い内容だと思う。雰囲気で語られがちなテーマを客観的なデータで検証するもの、他国の状況など、読んで「へぇそうなのか」というものがけっこうある。いくつか特に面白く思ったものを挙げる。

加納さんの「ネットジェネレーションの特徴(1)(2)」は、BBAといっしょに行った「日米こどものインターネット利用調査」をベースにしている。成績が下位の子どものほうがネットにつながっていないと不安に思う傾向が強い、親とよくコミュニケーションをとっている子どもはネットにつながっていないと不安に思う傾向が弱いなど、興味深い結果。「ネット技術と社会の変化」の中で私は「ネットの中で起きている問題への対策の多くはネットではなく現実世界の中にある」と主張してるんんだが、それと整合的かなと思う。

いじめ問題を魔女裁判の構造分析を通してみる原田さんの「いじめ問題の歴史と構造―魔女裁判の視点を踏まえて」はちょっとびっくりな感じだが、「集団化」「スケープゴート」「正当化」という3つの観点で比較されると「そうかぁ」という感じになる。西欧社会が魔女裁判から脱却できたのは、「啓蒙思想の高まり、またそれに同時的に見られる寛容論の普及など精神的なパラダイムの変化によって」だった。同様のアプローチはいじめ問題の克服にも有効であろう、との主張。ただ、魔女裁判の制度や慣習はなくなっても人々の意識の中に「魔女裁判的なもの」は生き残っているとも指摘しているわけで、根が深いってことだ。おそらく完全な解決は不可能なんだろう。社会的に許容できるレベルに抑えこんで共存、ということなんだろうな。

斎藤さんの「ひきこもり青年はなぜ、仮想現実に逃げ込まないのか?」はなんだか刺激的なタイトルだが、内容も「!」。ひきこもり青年たちに「そんなに苦しければ」仮想空間に「逃げればいいのに」「彼らは逃げようとしない」と。それは「彼ら自身が誰よりも「仮想性」「虚構性」を軽蔑しているため」だからだと。

バーチャルな虚構空間こそはひきこもりの楽園、といった安直かつ根強い誤解は、そろそろ改めてもらいたいものだ。

だそうだ。現実と仮想現実は「深く相互浸透し合っている」。だから仮想現実に逃げ込むことは、現実と反対側に向かう後ろ向きな行為ではなく、現実と仮想現実の双方を自分の世界として受け入れるためのステップになるということらしい。

いろいろな分野からの見方が出ている点もなかなか面白い。関心のある方にお勧め。


 

 

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» [編集日誌][新刊紹介]2008-08-27(Wed): 加納寛子編「現代のエスプリ」492(ネットジェネレーション−バーチャル空間で起こるリアルな問題)(至文堂、2008年、1450円) [ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) - ブログ版]
新刊というにはもうだいぶ日が経ってしまったが、 ・加納寛子編「現代のエスプリ」492(ネットジェネレーション−バーチャル空間で起こるリアルな問題)(至文堂、2008年、1450円) http://www.amazon.co.jp/gp/product/4784354921/arg-22/ http://www.shibundo.co.jp/cgi-b... [Read More]

Tracked on August 29, 2008 at 01:59 AM

Comments

山口浩さんの
・ネットの中の「世界」と「経済」
で指摘されている
・もう一つの世界
・もう一つの経済
・もう一つのやり方
が、今以上に価値を増し、リアル経済と等価に近づくときには、仮想世界は、仮想ではなく、もう一つの現実になるのかなと思いました。

Posted by: ひろか | June 17, 2008 at 04:02 PM

ひろかさん、コメントありがとうございます。
文章にも書きましたが、「virtual」は「事実上存在するのと同じ」という意味です。したがって、現在でもすでに「もう1つの現実」なのではないでしょうか。少なくとも、「仮想」コミュニティに自らのアイデンティティを見出している多くのユーザーたちにとってはそうなのだと思います。

Posted by: 山口 浩 | June 17, 2008 at 06:32 PM

もちろん自らのアイデンティティを見出しているもうひとつの現実ですが、満足する生活ができる経済活動を行っているユーザーはかなり限られていて、生活のできるもうひとつの現実には、まだなっていないと思います。

Posted by: ひろか | June 20, 2008 at 04:13 PM

ひろかさん
ご指摘の通りですが、そこで「生活できるかどうか」の中には、「充分な収入を得られるかどうか」以外にも、他の要素がいろいろあるのではないかと思います。現実世界の中にも、価値は認められながら充分な収入は得られない職業がたくさんありますね。

Posted by: 山口 浩 | June 22, 2008 at 10:15 AM

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