なぜ皆が皆「むしゃくしゃ」するのか
小ネタ。理不尽な事件が続いてなんともやりきれない昨今、やや不謹慎かもしれなくてもしそうだったら申し訳ないのだが、どうしても気になることがある。一応本人としてはそれなりにまじめなのでご容赦。
なんで皆が皆揃いも揃って「むしゃくしゃ」するんだ?
凶悪犯罪を犯した人などが、取り調べに対して動機を「むしゃくしゃしてやった」と語った、と報道されるケースがけっこうある。特に、逮捕直後に警察が発表する動機はほとんどがそうなんじゃないだろうか。その後「誰でもよかった」と続くことも多くて憤りを禁じ得ないわけだがそれはひとまずおいといて、ここでの本題はこの「むしゃくしゃ」だ。時間がたつにつれていろいろな表現が出てくるようだが、まず第一声はそろって「むしゃくしゃ」。
もしこれが私だけだったら素直に引き下がるが、きっと他の皆さんも同じ意見をお持ちではないかと思うので書いてみる。日常生活の中で、「むしゃくしゃ」ということばをふつうに使う人って、まずいないのではないだろうか。たとえば「あーむしゃくしゃするッ!チョコ食べちゃお」とか「私はせっかちなんで、彼がもたもたしてるのを見るとむしゃくしゃしちゃうんです」とかみたいに話してる人って、記憶が正しければ、私は一度たりとも見たことがない。そういうとき、ふつうなら「いらいらして」とか「ムカついて」とかみたいな言い方をするんじゃないかな。
もし「むしゃくしゃ」がそうしたごく日常的なものではなくて、より強い不満や怒りの状態をあらわすのだとしても、そういう感情はごく当たり前に存在するものだから、世の中には「むしゃくしゃ」と形容してさしつかえない心理状態にある人はいっぱいいるはずだ。しかし実際にはあまり「むしゃくしゃ」ということばで表現されない。「むしゃくしゃしてたんで、つい殴っちゃったんです」みたいな使われ方も、ふつうの会話の中ではまず登場しない。「不満」だの「鬱憤」だのと表現することが多いのではないか。
にもかかわらずだ。逮捕された人たちの供述は判で押したように「むしゃくしゃしてやった」。1人くらい「いらいらして」とか「鬱憤が溜まって」とか言う人がいてもよさそうなものだが、いつもきまって「むしゃくしゃ」だ。いったいなぜ。
としらじらしく疑問を抱いてみせるまでもない。別に確証はないが、自信はけっこうある。取調官に誘導されてるにちがいないのだ。
「なんでやった?」
「ええとそれは・・」
「むしゃくしゃしてやったんだな?」
「はい、あのときはとてもいらいらしてました。というのも・・」
「むしゃくしゃしてやったということだなッ?」
「ええ、世の中のすべてに腹が立って・・」
「つ!ま!りっ!!むしゃくしゃしたってことだな?」
「はいその・・」
「むしゃくしゃしたんだろッ?だったらむしゃくしゃしてやりましたと言え!!」
「・・・むしゃくしゃしてやりました・・あの、でも」
「もういいッ!むしゃくしゃしてやった、と(調書に書き込む)」
「・・・」
みたいなことがあったかどうかは知らないが、それに近いことはあるんじゃないかな。
あくまで想像だが、このくらい強く「誘導」しないと、皆が皆「むしゃくしゃしてやった」と口を揃えたように供述するなんてことが起きるはずがない、と思うのだ。きっと犯罪の分類で「粗暴犯」とか「経済犯」とかと同じように「むしゃくしゃ犯」というカテゴリーがあるにちがいない。じゃなかったら、警察の人たちがよほど「むしゃくしゃ」ということばに愛着を感じているのかも。何にせよ「むしゃくしゃ」は容疑者の側ではなく、調書を作成する人(おそらくは警察官)の間で一般的な考え方であり表現である、ということなのではないか。
だからそれがどうしたというご意見もあろう。もちろん、こういう紋切り型の表現がきらいだという個人的な事情もあって、それが主なんだが(だからあんまりおおげさにとられても困るんだからねっ)、それなりに問題意識もある。例によって3つくらい。
もし真相がこうだとすると、取り調べ段階での自白の任意性というやっかいな問題につながるんじゃないかというのがまず1つ。もし「むしゃくしゃ」の部分で取り調べ側の「作文」がこれほど徹底できるなら、他の部分でも同様なことが行われているかもしれない、と考えるほうがむしろ自然ではないか。つまり「むしゃくしゃ」の氾濫は供述内容が取調官によって誘導されていることを示唆する状況証拠なのではないか、と思うのだな。筋道の通った証言をとろうとする努力はわかるんだが、内容を誘導してしまうのはいかがなものか。
それから、動機を「むしゃくしゃ」に集約してしまうことで、私たちが事件について正しく理解することが妨げられてしまうことはないか、という懸念もある。もちろん事件の状況については詳しく調べられているだろうから、捜査機関の方々が「むしゃくしゃ」の一言で片づけるようなことはないと思う。思うのだが、こう報道で「むしゃくしゃ」を連発されると、どうしても私たちは「むしゃくしゃ」に引きずられ、「ああまたむしゃくしゃ犯か」と類型化して考えてしまうのではないか。そんなことないよ、という方はそれでいいんだけど、こうやって連発されるキーワードには「むしゃくしゃ」のほかにも「ネット」「ゲーム」「仮想」「現実を見失う」みたいなものがある。こういう一連のキーワードは、私たちが対策について検討したり議論したりする際にもけっこう影響力を持っているから、必要以上に注意しておくぐらいが適当なのではないかと思う。
さらに、こういう類型化したとらえ方で斬って捨ててしまうのは、理不尽な被害に遭われた方々に対しても失礼というものではないか。取り返しのつかない被害だが、起きてしまった以上、そこから得られる知見を有効に活かしていくことが遺された者の責務だ。この種の犯罪はたくさん例があって、よく似て見えるし実際共通の要素も少なからずあるんだろうが、個々の犯行にはそれぞれの事情や背景もあるはず。「むしゃくしゃ」で片づけてしまわず、それらを個別によく見ていく必要がある。
まあ基本的には、自分は「むしゃくしゃ」という表現がきらいという話。あれが連発されてるとむしゃくしゃしちゃうんんだよね・・あれ?
ぜんぜん関係ないが、アマゾンのアフィリエイトのリンク作成ページで「むしゃくしゃ」を検索して1番にヒットしたのがこれ。確かに音は似てるけどね。む杓子ゃ。
犯罪心理学では「むしゃくしゃ」をどう定義するんだろうか?
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Comments
おなじように「誰でもよかった」「死んでも構わないとおもった」「カッとなってやった」「反省はしていない」も作文的な表現だとおもわれます。
2択をせまるのはよろしくないですね。
Posted by: にゃむ太 | June 23, 2008 01:38 PM
単純に
そういう類のことを言った。
ということなんでは?
Posted by: 雨 | June 23, 2008 04:52 PM
被害者が己の内にある強い感情を激白
↓
警察語翻訳
↓
むしゃくしゃしてやった
Posted by: ななふし | June 24, 2008 06:09 AM
警察による翻訳が介在する事で全ての表現が単純なものになる可能性、はもちろんあると思いますが、同時に、容疑者側でも「マスメディア的な言葉遣い」は自然と出てくるようになってしまっているのではないでしょうか。
どんな場合でも、なかなか個性的な表現というのは出てきにくく、紋切り型の言葉遣いになってしまうものです。
Posted by: taku | June 25, 2008 01:50 AM
コメントありがとうございます。
にゃむ太さん
他にもいろいろありますね。いかにも誘導されたっぽい紋切り型表現。本文にも書きましたが、個人的にどうも「むしゃくしゃ」ということばがきらいで(語感として許せない)だったので、今回ターゲットにしてみました。
雨さん
ええ、そうだと思います。
ななふしさん
自動翻訳ソフトでも入ってるんでしょうか。はてブか何かで「手書きだからつい省略して」みたいなご指摘がありましたが、そもそもなんで手書きなんでしょう、いまどき。
takuさん
>どんな場合でも、なかなか個性的な表現というのは出てきにくく、紋切り型の言葉遣いになってしまうものです。
解説ありがとうございますが、果たしてそうなのか、私はよくわかりません。ふだん「むしゃくしゃ」なんてことばを使わない人がなぜか警察に行くと使ってしまうなんていう理屈はちょっと信じられません。別にそんなところで個性を表現していただく必要はさらさらないわけですが、ふつうもっとバリエーションがあるだろうよ、と思ったまでです。
Posted by: 山口 浩 | June 25, 2008 05:22 PM
むしゃくしゃして「むしゃくしゃ」で検索してここにきた。後悔はしていない。
普通だったらこんなコメントはしないはずだが、むしゃくしゃしてコメントする。あとで後悔する。
Posted by: 溝坂有 | January 14, 2009 08:49 PM
溝坂有さん、コメントありがとうございます。
むしゃむしゃして食った。今は反芻している。
というのもありましたね。
Posted by: 山口 浩 | January 14, 2009 09:53 PM