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教員採用汚職問題に対する前向きで抜本的でスジの通った対策を考えてみた

小ネタ。大分県の教員採用汚職の件で、不正合格者の合格を取り消すという話が出ていて、これに対して「信頼を取り戻すためには当然」という声と「現場が混乱する」という声があるらしい。どちらの主張もそれなりに意図はわかる。過去ばっかり見るのは後ろ向きだと思うが、かといって不正が見逃されるのはスジが通らない。何より能力のない教員に子どもたちを任せたくはない。ややこしい話なわけだが、ちょっと考えてみると、解決策の案ってのはあるんじゃないか、と思う。「前向き」で「抜本的」で「スジの通った」対策ってやつが。もちろんネタとして、だけど。

流れははしょるが、この問題のポイントを整理するとこういうことなんじゃないかな。例によって「3つある」原則。

(1)真相の解明は事実上不可能
もともと「不正合格者の合格を取り消す」というのは、資料がかなりのところ廃棄されていて、しかもずっと前から行われてきた疑いがそれなりにあることを考えれば、実際には当座の言い逃れの類ととるほうが自然。あとになって、「わからなかった」ですまそうというのが今からありありとわかる。

(2)全員が疑われる
真相がわからない以上、現在大分県で教職についている教員のほぼ全員が不正合格の疑いを受けることになる。わかってる範囲だと、どうも不正合格者は合格者全体のうちのかなりの割合を占めているようだし。つまり、教員全体に対する信頼が揺らいでいるわけだ。

(3)今能力があればいい
とはいえ、不正合格者を排除すればすべて問題が解決するというものでもない。教員が大量にいなくなっては学校が運営できないとか、今まで教員だった人がいきなりいなくなったりするのでは子どもたちがショックだろうとか、まあいろいろ問題はある。ここで「原点」に立ち帰ると、最も重要なのは、「不正をどうするか」ではなく、「子どもたちが適切な能力をもった教員による教育を受けられること」ではないか。となると、問題になるのは「かつて試験に合格したのか」ではなく、「今子どもたちを教えているのは能力を持った教師なのか」という点に集約できるはず。

問題がこうなら、

全教員がもう一度教員採用試験を受ける

という解決法がある。

何がいいかというあたりを再び「3つある」原則で。

(1)問題は解決する
最大の問題である「適切な能力を持った教師が子どもたちを教える」は保証される。教員採用試験そのものが適切な内容ならば、だが。まあ、もし教員採用試験そのものが教員の能力を測るのに適していないというなら、そもそも現行の試験方式で選ばれた教員の能力に疑問符がついてしまうわけで、全教員が再度(適切な)試験を受けるべきであるという点は変わらない。少なくとも、試験に受かる実力のない教員が実力のある教員に入れ替わるのであるから、教員総体としての力は上がることになるはず。抜本的な解決策かと思う。

(2)能力ある教員は困らない
これをやられて困る教員が出てくるとしたら、それは能力に欠ける教員ということになる。能力ある教員は受かるであろうから、教育現場の混乱は最小限に抑えられよう。採用時に不正合格した教員であっても、今きちんとした能力を身につけているのであれば、いまさら目くじらをたてるのもどうかと思う。年配の教員なんかは試験を受けてからだいぶ時間が経っていて難しいという話は充分予想できるが、たとえば3年くらいの猶予期間をみてあげるという手もある。こういうあたりは前向きに考えようではないか。

(3)心ある教員は自ら望むのではないか
意欲のある教員はこの事態に心を痛めているだろう。「潔白」を証明したいと願っているかもしれない。個人で教員試験に申し込む、という手もなくはないだろうが、一部では教員全般に及んでいる不信感は払拭されない。全員で、となれば心おきなく受験できるし、内心いやだと思ってる人も「いやだ」といいづらくなるはず。ぜひチャンスを差し上げるべきであろう。これなら、周囲の方々も「スジの通った対応」と納得されるのではないだろうか。

まあ、いずれにせよ他県のことなんで、あくまで他人事。県民の方々が納得されるなら、まあ基本的にはどうだっていい話だ。とりあえず、これをどうやって全教員に事実上強制するかに関するアイデアはないから、実現性ははっきりいって低い。ただ、今報道されてる方向だと、調べたけどあんまりよくわかりませんでした、合格を取り消そうと思ったけど対象者が反発して訴訟になっていつのまにかうやむやに、ということで、結局教員に対する不信は残ったまま、不正の撲滅もあいまいに、という方向に進むのではないか。それでいいのかな、とは思う。

さて、どうするのかな。


こういうのも「抜本的」な解決になるのかもしれないが、あんまりお勧めしないね。

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Comments

試験で能力が判定しやすい業種ならそうでしょうが、
教員だと試験エリートより人あしらいがうまいほうが向いているというのが実際ですからね。
その辺が採用が不透明になりがちな大きな理由でもあります。

Posted by: とおりすがり | July 18, 2008 at 08:09 AM

とおりすがりさん、コメントありがとうございます。
ご趣旨はよくわかりますが、これはある種「典型的」な後ろ向きの主張にもつながりますので、あえて辛口に対応させていただきます。

教員の採用に試験を課しているのは、教員という職種がどちらかといえば試験で能力を判定しやすいからです。まず基本的な能力が必要ですからね。普通の民間企業の採用でここまで筆記試験に依存しているところは少ないでしょう。それは、そうした企業における能力が筆記試験では測れないことがわかっているからです。

もし教員の能力が筆記試験でまったく測れないのであれば、これまでに合格したすべての教員の資格をいったん停止して、実技試験など適切な方法で採用をやり直すのがスジです。

しかし実際には、教員には筆記試験に合格する能力と「人あしらいのうまさ」の双方が求められます。双方は決して共存できない能力ではありません。私たちはどちらかを選ばなければならないのではなく、双方を求める権利があります。

なので本来、教員採用試験は筆記と実技の2本建てになっていて、実技はある程度の期間をみて決めるぐらいやるのがいいのでしょう。実際にはそこまでできないので、実技の部分はある種OJTで対応している、ということなんだと思います。

その意味で、上の提案は、暴論めいていますが、私としてはむしろ「現実的」な対応ではないかとも思ったりします。現在教壇に立っている教員の方々の多くは、上記の2つの能力を備えておられるはず(「人あしらい」がうまくない教員の方は職場ですでに問題を起こしているでしょうからね)。このうち筆記試験に合格する能力に疑問が出ているのですから、そこだけをやり直したらどうかということです。

ほとんどの方は合格してそこで話は終わるでしょう。問題は「人あしらい」だけうまいという教員の方ですが、もしこの方がたとえば3年かかっても筆記試験に合格できないとしたら、この方の教員としての「能力」は充分といえるのでしょうか。

要するに、私たちが教員に求めるのは、「教える力」と「人あしらいのうまさ」の双方を身につけた教員なわけで、そのどちらかだけでは困るのです。その意味で、ご指摘のポイントは、的を射たものとは私には思えません。

Posted by: 山口 浩 | July 18, 2008 at 05:17 PM

山口さんの「能力ある教員は困らない」「心ある教員は自ら望むのではないか」という見解に全面的に同意します。「心ある教育委員会」ならば、やってくれるのでは無いかと。
そんな私は、東京都の教員採用試験に3回落ちたことがあり、現在は幸いにして(?)東京の私立中高に勤めています。

Posted by: 小川正樹 | July 18, 2008 at 10:25 PM

小川正樹さん、コメントありがとうございます。
教育委員会にはできないでしょうね。もちろん文部科学省にも。「心ある」かどうかには触れませんが。基本的には枝葉末節の対策を小出しにしつつ反省したポーズを続けてほとぼりがさめるのを待つ戦略かと思います。これは官僚組織がとる一般的なトラブル対処法ですので、多くの成功例があります。「常識的」には今回も成功するんでしょう。今回だけちがったやり方をするインセンティブは彼らにはないだろうと思います。
ちなみにですが、私も国立の大学教員採用で落ちたことがあり、現在は幸いにして(?)東京の私立大学に勤めています。大学はいわゆる教員採用試験ではありませんがね。

Posted by: 山口 浩 | July 18, 2008 at 11:49 PM

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