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July 05, 2008

現場で写メする素人は現場で写真を撮るプロとどのくらいちがうのだろうか

7月5日にデジタルジャーナリズム研究会が「アキバ事件で考える~目撃ネット情報の使い方と報道・表現の自由」と題した公開シンポジウムを開くらしいのだが、なんだかんだで行けそうもないので、とりあえずここに書いとく。

携帯電話にカメラ機能がつくのが当たり前になって以降、事件の現場などで、いあわせた人たちがいっせいに写真を撮っている姿がよく報道されたりする。ちょっと古くさい表現をすると「一億総カメラ小僧時代」というわけだが、「興味本位」だとか「そんなことをしているひまがあったら救助に加われ」とか、あまり評判はよろしくない。ここぞと「まったくケータイ世代は」みたいな俗物的世代論に落とし込む人もいるようだ。

確かにあんまり見ていて気持ちのいい図ではない。ないのだが、けしからん!と憤ってみせるのもなんだかひっかかる。別に確たる意見があるわけではなく、単にわからないのだ。たぶん同様のひっかかりを感じている人は、憤ってる人よりは少ないかもしれないがけっこういるのではないかと思うので、手短に書いてみる。ご専門の方、ぜひご教示いただきたい。

ひっかかったのは、単純に、そういう姿がいくつか別のものと重なって見えるからだ。ひとつは「野次馬」。最近の現象を「デジタル野次馬」と表現したものをどこかで見かけたが、「デジタル」のつかないふつうの「野次馬」は、ケータイもネットも、それこそテレビも新聞もない時代から、ありとあらゆる事件の現場にあらわれたものだった。

野次馬の動機はいつの世も変わらない。高邁な思想や立派な使命感なんかない。人の苦しみや悲しみ、怒り等に対する共感や何かできることはないかといった気持ちぐらいはあるかもしれないが、大半は下世話な好奇心や目撃経験を話の種にしようという利己的な欲求、もっと悪くすると他人の不幸を喜ぶ心の闇だ。

現代のデジタル野次馬が携帯電話のカメラを現場に向けるのは、おそらく、そこにカメラがあるから、にすぎない。江戸時代や明治時代の野次馬がデジカメを持っていたら、やはり今と同じように写真を撮ったりしただろう。世代論やケータイ文化論みたいなものに落とし込むのは、ハナからポイントをはずしているんじゃないかと思う。

で、わからないのはここからだ。野次馬は、携帯電話を持つとより悪質になるのだろうか。デジタル野次馬が携帯電話のカメラで現場の写真やムービーを撮ることは、ふつうの野次馬が現場でぶしつけな視線を向けるのと比べて、どのくらい悪質なのだろうか。もちろん、被写体にされた人は、ただ見られるよりも深く傷つくかもしれない。強く憤るかもしれない。写真や動画に映った自分の姿が多くの人の好奇の視線にさらされるなんてまっぴらだと思うかもしれない。だけど、じゃあ目で見てるだけなら気にならないのかというと、そうでもないような気もする。たいして変わらないじゃないかと。そんなことやってないで助けに行けよ、という点ではまったく変わらないわけだし。

さらに、だ。あれ?ちょっと待て。もうひとつ重なって見えるものがあるぞ、となる。

現場にカメラを向けるのはデジタル野次馬たちだけではない。マスメディアの人たちがいるではないか。やってることに差はほとんどない。だいたい、報道に使われる現場写真の少なからぬ部分は、そうしたデジタル野次馬(ちょっと前まではカメラ野次馬、だな)によって撮られたものではないか。

マスメディアの取材は問題ないのか?取材のカメラはデジタル野次馬とどこがちがうのか?

報道という崇高な目的がある、国民の知る権利を守るため必要だ、というのがメディア論の教科書的な回答かと想像する(知らないけどさ)。でもさ。その「知る権利」を持ってる国民ってのはそんなに崇高な動機を持ってるのか?下世話な好奇心を満たすための現場写真も「知る権利」の範囲なのか?事件が起きたという事実の報道はともかく、苦しんでいる人、悲しんでいる人をさらに苦しめたり悲しませたりすることが許容されるのか?私たちの「知る権利」とやらは、そんなにまでして守られなければならないものなのか?

「助けもしないで」というならマスメディアも同じだ。あのときあの場に居合わせた「素人」の中には、まちがいなく救助に向かった人がいた。仕事中の人だっていたろう。ではマスメディアの人の中にそういう人はいたのか?確かに「あのとき」は間に合わなかったろう。では他のときは?地震の被災地に向かう取材陣は救援物資を持って行ったりするんだろうか。ぜひ実態を教えていただきたい。ケビン・カーターの苦悩を自らのものととらえている人はどのくらいいるんだろうか。

仮に知る権利が崇高であるとして、じゃあカメラを向けられた側の気持ちはどうなる?マスメディアの取材攻勢はデジタル野次馬たちのカメラとどこがちがうのか?私たちは仕事でやってる、というマスメディアの方は、このブログ記事を読むといい。「アキバの女王」として知られる桃井はるこさんが「あの事件」のあと献花のため秋葉原を訪れたときの経験談だ。仕事だったらどんなことをしてもいいのか。こういう気持ちに寄り添うことこそ報道のなすべき仕事ではないのか。

ぜひマスメディア関係のよく考えてる人に聞きたい。マスメディアの取材はデジタル野次馬と何がどうちがうのか。プロが金のために国民の下世話な好奇心に奉仕することは国民が自ら下世話な好奇心を充たすこととどこがどうちがうのか。国民の「知る権利」のために、私たちの権利はどこまで制約されていいのか。誰が見ても悲しげな顔をした人に「悲しいですか」と聞くことは「知る権利」として保護すべき範囲なのか。ぜひ具体的に教えていただきたい。

これらの本がどのくらい参考になるのか知らないが。

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Comments

>写真や動画に映った自分の姿が多くの人の好奇の視線にさらされるなんてまっぴらだと思うかもしれない。だけど、じゃあ目で見てるだけなら気にならないのかというと、そうでもないような気もする。たいして変わらないじゃないかと。
↑がたいして変わらないことだと思う感覚が問題じゃないだろうか?

嫌がるだろうと思うことなら、しなければ良い。
マスコミと野次馬の話は、嫌がるだろうけれども、これくらいならOKじゃないかな?
という点を探っているだけで、本質がずれているのではないだろうか?

Posted by: オーイェー | July 05, 2008 01:34 PM

下手すると何も知らなくても構わないのかもしれませんね。
メディアが伝えたいのは幻想的な一体感だけかも知れません。

Posted by: D | July 05, 2008 09:36 PM

コメントありがとうございます。

オーイェーさん
私は単純にわからないのでこう書いています。「本質」とは何ですか?もともとこの問題って、「見られる側」のプライバシーや「そっとしておいて欲しい権利」や助けてほしいという気持ちと、「見る側」の知る権利や下世話な好奇心、かかわりたくないという欲求などという対立する利益の調整の問題ではないかと思われたのですが、ちがうんでしょうか。

Dさん
私も、伝えなくていいことはあると思います。もともとマスメディアの価値のかなりの部分は情報を取捨選択できる能力にあるのではないかと。この話は情報の信頼性という観点から語られることが多いでしょうが、そもそも伝えるべき情報かどうかという選択も行われているはずで、特別扱いされるならそれなりの能力を持っていてもらわないと困る、と思います。

この問題、本当はマスメディアの人たちだけでなく、私たち自身が「私たちはどこまで『知る権利』を主張していいのか」と自分に問いかけなければならないものだと思いますが、とりあえずメディア論の専門家の方々や現場のプロの方々はこの問題をどうとらえているのか知りたかったので、上のように書きました。

Posted by: 山口 浩 | July 06, 2008 05:05 AM

「知る権利」と背中合わせに、私たち自身の知られても良いと感じる範疇をどこまでオープンにできるのか。
そして向けられるカメラと写メとに意識差があるのか、職業人が思ってるであろう「報道という崇高さ」と被写体側の「バカにしてんだろう」的な相互ギャップ。
する側とされる側の対立構図は解消できるんでしょうか。

Posted by: katute | July 06, 2008 09:14 AM

「知る権利」はあっても、相手には「教える義務」はありません。だから自重しろって事じゃないのですか?

Posted by: o | July 06, 2008 04:34 PM

コメントありがとうございます。

katuteさん
「対立構図」ですが、現在のところそれが「対立」だということすら一般にはあまり認識されていないように思います。マスメディアの中にはこの問題について深く考えていらっしゃる方がけっこういます(個人的に知ってますので)ので、あえてこういう問いかけをしてみた次第です。
一般の方々のほうは、長期戦でしょうね。メディアリテラシーについて高校あたりでちゃんとやってくれるといいんですけど。あ、今の職場ではたぶん他の教員の方がちゃんと教えてくれると思います。

oさん
ええと、よく意味がわかりません。「知る権利」と「教える義務」は別に対立する概念じゃないですよね。少なくとも、現場で写真を撮る行為は、「教える義務」とは無関係です。「自重」というのであれば、「知る権利」の行使を控えろということであるはずで、それは相手の「知られたくない権利」があるゆえに私たちの「知る権利」が制限されるべき場合があるからです。そんなことは先刻承知で、それを前提に上の文章を書いたわけですが、問題はどんなときに「自重」すべきか、どんなときに知る権利を優先していいか、ということです。これがマスメディアの倫理として現場まで徹底され、国民の側でも一定のレベルで社会的な合意があるという状況が目指すべきところかと思いますが、現状はまだ遠いので、なんとかする方向に努力してみようよ、という呼びかけをしてみたつもりです。

Posted by: 山口 浩 | July 07, 2008 02:56 AM

『知る権利』が制限されるべきかどうかの判断は、知らない/知らされない(=報道されない)事により二次被害が発生し得るか否かで分かれると思います。この線で考えるならば、『誰が見ても悲しげな顔をした人に「悲しいですか」と聞くことは「知る権利」として保護すべき範囲なのか』はそのライン上にあります。(遺族の感情・表情を報道する事が、将来の犯罪の抑止につながると主張する事も可能なので)

同時に、「知る権利」は「自分の知りたい情報の供出を他人に強制する権利」では無いという認識も最低限求められるでしょう。(例えば黙秘権)

後はTPOの問題と公と私の線引きの問題とかに分解されてくると思うのですが、例えば記事中で紹介されていた桃井はるこさんの記事にはとても考えさせられる部分がありましたが、あれが"閣下"で議員バッジを外して私人としてプライベートな時間に訪れて彼女と同じ主張をした場合、その要求は受け入れられるべきでしょうか?受け入れられないとするならその理由は?

といった感じで、まずは議論を進めていくことが必要ですが、何らかの事件に遭遇した個人が所有する機器で画像や動画を記録する権利(行為)を法律で否定(禁止)する事も逆に難しそうですね。

Posted by: 名無之直人 | July 09, 2008 01:03 AM

名無之直人さん、コメントありがとうございます。
ご指摘の通り、問題の本質は利害調整なわけですが、マスメディアは媒介でしかなく、最終的には個人と個人の関係に帰着するのだと思います。
時代が変われば技術も人の考え方も代わります。簡単にわかったような顔をして講釈を垂れることこそ慎まなければならないのではないかなと。

Posted by: 山口 浩 | July 09, 2008 10:43 AM

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