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July 27, 2008

新しい酒には新しい革袋:社会的合意形成にも新しいしくみを

何かものごとを決める際、多くの人の意見を取り入れたいという場合がある。そのほうがいろいろな意見を反映することでよりよい判断につながるのではないかと期待できるし、集団の意思決定ならその構成員が皆で決めたほうが納得感もある。とはいえ、実際にこれをやろうとすると、なかなかうまくいかない場合がけっこうあるのではないかと思う。

以下の話は、そういう場合に私たちがどうしてきたかについて、こまごました部分をできるだけ省略して、わざとできるだけ一般化して書いてみたものだ。いろいろな文脈で読むことができるのではないかと思う。ある意味、「下書き」なので、いろいろ不充分だったりおかしかったりするところはあろうかと思うが、ま、とりあえず。

多くの人からの意見を取り入れようとするとき、よく問題になるのは、必ずしも全員が意見を出すというものではない、ということだ。むしろ、全員という場合はまれだろう。大きな声を上げるのはたいてい問題に対して利害関係のある者、特に害を受けていたり、これから受けそうになったりしている者だ。

これに対して、現状から利益を受けていたり、これから利益を受けられそうな者は、大きな声を上げない場合が多い。声を上げても特段メリットは期待できないし、かえって反発を受けたりするかもしれないなど、得なことはないからだ。似た理由で、現状ではさしたる利益も害も受けていない者も、声を上げることは少ない。そもそもなんらかの形で声を上げることには「コスト」(金銭的なものだけでなく、消費される時間や労力、心理的なエネルギーなども含む)が必要で、それを上回る「見返り」が期待できなければ、人は動かない。

ここでいう「利害」は、金銭的なものに限られない。名誉や不名誉、思想や信条などもりっぱな「利害」になりうる。同様に、「コスト」も金銭的なものに限らず、手間や心理的負担なども含まれる。もちろん、最も強い動機となるのはやはり金銭的なものだろうが、いずれにせよ、「コスト」が行動を制約しているわけだ。

何かを主張したからといってそれが実現する保証などはないから、「利害」はあくまで「期待値」であるわけだ。これに対して、現時点で意見を表明するためには、現実に「コスト」がかかる。そして、人はこれら期待される利害と、それを主張するために必要なコストとを天秤にかけてものごとを判断する。こうした一種の「正味現在価値分析」が無意識に行われた結果、声を上げる少数者といわゆるサイレント・マジョリティとが生まれることになる。

したがって、表明された意見の平均値は、本当の平均値からは離れた、実際とはちがった、ゆがんだものとなっている可能性が十分ある。意見の出所が偏っていること自体が問題なのではない。大きな声を上げる者の利害と、全体の利害が一致していない可能性が高いことが問題なのだ。

もちろん、こんなことはちょっと考えればすぐにわかる。だから、これを避けるため、私たちの社会は昔からさまざまな方法を併用してきた。その中には、たとえば次のようなものがある。

(1)皆で「コスト」を分担するしくみ
人々の意見の平均値を知るために、全員に聞いてみるというのはごく当たり前のアプローチだろうが、実際にこれをやるのは「コスト」面でなかなか難しい。事務作業等にかかる実際の経費もさることながら、それに参加する全員が自らの時間を割くというのも膨大な「コスト」で、決してばかにならない。

たとえば、選挙というしくみがあるが、この「コスト」も私たち全員が分担している。選挙は政府が実施するもので、当然その費用は公金から支出されるわけだが、それだけではない。選挙への参加は各有権者の任意だが、参加する個々の有権者の手間もまた「コスト」だからだ。これらの「コスト」は、法律によって、また投票をするという行動に積極的な意味を見出す価値観を人々に植え付けるために政府が入念に教育や広報を行うことによって、私たちが負担することを受け入れているものだ。特段強い意見を持っていなくても、投票に行く人がたくさんいるのは、その成果だろう。その意味で選挙というしくみは、サイレント・マジョリティの意見を反映するための制度的工夫であるといえる。


(2)意見を出すことのコストを引き下げるしくみ
サイレント・マジョリティの人たちが意見を表明しないのは、当該問題について強い利害関係を持たない一方で、意見を表明すること自体に「コスト」がかかるからだ。ならば、その「コスト」を引き下げれば、意見を表明しやすくなるだろう。

たとえば選挙での投票や、電子掲示板サービスなどでもよく使われる匿名制は、意見を表明することに伴う潜在的な不利益に対する心理的な「コスト」を低減する。また、意見を表明する際の費用負担や煩雑な手続きは「コスト」となるため、無料でかつ容易に情報発信ができるブログなどのインターネットサービスの活用によって、より気軽に意見を出せるようにすることも、「コスト」引き下げの一手段だ。


(3)意見を出すことにメリットを与えるしくみ
逆に、意見を表明することに対してなんらかのメリットを与える方法も考えられる。意見を表明することのコストをこれで相殺するわけだ。例としては、アンケート調査の際の謝礼や、優れた意見に対する表彰制度のようなものなどが挙げられよう。

意見を出すこと自体にメリットを与えるのか、すぐれた意見のみに与えるのかについてはさまざまな工夫がありうる。無思慮・無責任な意見に報酬を払うことと、メリットを受けられると期待しない多くの人々が参加しないことのどちらをとるか。どのように決めようともそれなりのいい点、悪い点がある。


(4)皆の意見の「平均値」を一部の「選ばれた人々」に見つけさせるしくみ
別のアプローチもある。皆の意見の「平均値」を探りたいが、自ら意見を表明する者が偏るために平均値も偏るというのが問題なわけだが、「皆」に直接聞くのはコストがかかるので、その仕事を責任を持ってやってくれる誰かに任せるという方法だ。こうすることの意味は大きく分けて2つある。まず、皆の意見の平均値を探る作業を分担できること、それに、声の大きい人と小さい人のバランスをとることができることだ。

間接民主制はこのタイプのしくみの代表例といえるし、マスメディアの存在価値もここにあるといえるだろう。皆の代表として選ばれた者は、自ら意見を表明しない者の声をもとらえなければならない。そうしなければ自分の立場が危うくなるように作られているからだ。つまり、そうした代表者たちは、皆の意見にしたがって意見を表明することに結びつけられた強い利害関係を持っているということになる。


これらの手法は、これまでそれなりに効果を発揮してきた。しかしコンピュータとネットの技術発達は、情勢を変えつつあるように思う。

最も大きな変化は、コスト構造に関するものだ。特に、意見を表明することのコストは劇的に下がった。しかし、これがサイレントマジョリティの声を拾い上げるのに効果的だったかというと、必ずしもそうとはいいきれない。この変化は、サイレントマジョリティの人々と同様、声を上げたい人々にとってのコストも著しく低下させたからだ。

意見を表明するのにコストがかかるということは、強い動機を持った者だけが意見を出せるという意味で一種のフィルタとして作用していた。これがなくなることで、かえって意見のちがいが現れやすくなったということもあるかもしれない。多様な意見が現れやすくなったこと自体は歓迎すべきだ。しかし、あまりに多様で大量であるために認知の限界を超えてしまえば、それは存在しないのと同じだし、否定されることを恐れて自らと近い意見だけを目にするようになれば、社会の「タコつぼ化」が起きる。少なくとも、出された意見の平均値が全体の意見の平均値と必ずしも一致しないという問題は、依然として解決していない。

かくして、インターネットはどちらかといえば「拡散」を志向するメディアとみられるようになった。マスメディアの人たちは、「公共性の消失」などと論じる。いわゆる「ロングテール」の議論も、この流れの延長線上にあるだろう。買い物であれば、興味の拡散はさして問題にならないが、社会としての意思決定ということになると、徒な拡散は必ずしも好ましくない。

細分化された興味の対象に閉じこもって社会全体への関心を失うこと、局所的な盛り上がりに乗って「祭り」に参加し、集団で攻撃を加えることなど、現代ネット社会をめぐる批判や懸念の対象となっている現象はいずれも、「皆の意見を取り入れて意思決定を行う」手法にとっては大きな脅威となる。「小難しいことは利害や関心のある人に任せておけばいい」「ちがう意見の人となんか接したくない」といった風潮は、おおげさにいえば民主主義の崩壊にすらつながりかねない。

となれば、何か手を考えるべきではないか、ということになる。既に、さまざまな方々が、こうした懸念をもって、上記のような社会のさまざまなしくみについて、さまざまな工夫を行っていることだろう。教育・啓蒙活動にさらに力を入れること、よりよい意見を出した人に対してよりよく報いるしくみを作ること、私たちの意見をよりよく反映する代表者を選ぶしくみを工夫することなど、いろいろある。意見を表明するための「コスト」を引き上げることについては、一般論的には慎重であるべきだが、場合とやり方によっては有効かもしれないから、よく検討していく必要があろう。

これらと並行して、社会の中に別のしくみを作ったらいいのではないか、と考えている。つまりこういうことだ。


(5)合意できる「着地点」を探す作業を社会の中に分散し、その能力・手間に「報酬」を与えるしくみ
これまでの社会的合意形成のしくみは、突き詰めれば、広く意見を求めて機械的に意見を集約してその平均値を出すことと、代表者を選んでその人たちに「着地点」を探させることの2つに集約できるのではないかと思う。しかし、他にもやり方はありうるのではないか。たとえば、さまざまな意見を集約した「着地点」がどこにあるかを、できるだけ多くの人に探らせる。そのために、「着地点」をうまく示した人に何らかの「報酬」を与える。そんなしくみだ。

この中で人は、自分の意見ではなく、全体の意見のありかを考える。公共的な視点を制度や代表者にではなく、個々の参加者の頭の中に作り出すのだ。これによって、人々の視点を転換させる。「報酬」を与えることで、これを後押しする。

こうしたしくみは、ネットの中に作ることが有効だろう。参加したい人が自由に参加できるし、運営コストも比較的安い。何より、大量の情報の流れのそれぞれに価値の流れを載せ、同時に流通させることができるというのが、他の媒体にはない重要なポイントだ。関心の「タコつぼ化」に対抗する手段として、社会に対する関心を高め、他の考え方をよりよく理解したうえで、全体の「着地点」を考えるという行動に対して報酬を与えるという意味もある。

市場メカニズムを使って予測を行う予測市場を研究している理由も、おおまかにいえばそのあたりにある。予測市場の参加者は、アンケートの回答者とちがい、自らの意見ではなく、予測対象となった事象の帰趨についての予測を反映して取引をする。上記の「インセンティブによる視点の転換」を起こさせているわけだ。

予測市場のようなしくみがこれまでの社会的合意形成のしくみに取って代わるとは思わない。しかし、有力な補完手段の1つにはなるのではないかと考えている。「新しい酒には新しい革袋」ということばがあるが、ネットの発達やその他の理由によって社会のあり方が変わってきているのなら、社会的合意形成のしくみにも新たな工夫が必要だろう。新しいやり方が可能になってきているなら、少なくとも試してみる価値はあると思う。

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