« 北京オリンピックはどこまで「本当」なのか | Main | "Memento mori." »

人身売買の話はさ、毎日を叩いてすむ問題じゃないんだよ

毎日新聞に味方する意図はない。

ただ、叩く先をまちがってるんじゃないの?と思うところがあるので、書いておく。「米州機構が公表した公式書類「日本への人身売買の報告書」で毎日の公式サイトに掲載されたあの記事をもとにしていることが発覚」と騒いでいる人たちがいるようなんだが、少なくともその点に関してはスジちがいだ。

この点に関する怒りというのは、簡単にいうと「毎日の記事が外国の公式文書に引用された。記事の影響は大きい。歪んだ報道によって日本の名誉が汚され、日本女性が辱められた」といったものなのではないかと思う。それを前提として。

件のOASの報告書はこれ。2004年のこのレポートは、タイトルに「Rapid Report」とあるように、人身売買の被害者数を推測するために取り急ぎ調べたという性格のもの。ちなみにOASがいかなる組織であるかについての概略は外務省サイトに出ているのでご参照。南北アメリカ大陸の諸国の連合組織ってことだな。この組織が日本への人身売買に関心を持つのは、それが域内の貧困問題であり、人権問題でもあるから。日本は常任オブザーバー国になってる。

Ryann Connellの名は1箇所、29ページの表17に登場する(2008/9/8ご指摘を受け、「2箇所、9ページと、29ページの表17」に訂正。見落としていた。コメント欄参照。多謝。この文章全体の趣旨には影響しないのでここ以外の改訂はしない)。脚注の6、チリについて、「Other reference」というところで、Ryann Connellが週刊文春2003年7月10日号の記事を基にして書いた「Anita Alvarado」の記事が言及されている。

この記事は、元のやつは削除されてるのでまとめwikiでみるとこんなものだったらしい。かつて、日本人と結婚して大金を貢がせ、そのためにその日本人が横領をしたっていう事件があった。その後チリで豪邸を建てて「横領金は返さない」と言い放った例のあの「チリ人妻」。その「アニータ」がチリ人女性2人を日本に連れてきて売春をさせたとして逮捕、というもの。その後嫌疑不十分で保釈されたようだが、報告書では、この記事を、チリから日本への人身売買があった事例の報告として言及してる。

ほうらやっぱり、という向きもあろうが、ちょっと待て。表17は、「Country profiles on selected figures on migration and trafficking from LAC region to Japan in 2003」、つまり2003年時点でのラテンアメリカ及びカリブ海沿岸諸国から日本への移民及び人身売買の国別人数を示したものだ。挙がってるのは33カ国。一時滞在者、日本人の配偶者、entertainer(この意味については前に書いた)、オーバーステイの者(推定)、不法滞在者、売春防止法による逮捕者、HELP(女性の家)利用者など、さまざまな指標で、人身売買被害者がどのくらいいるのかについて推測する参考となる数値を国ごとに整理している。

チリの場合、かいつまんで書いとくと、entertainerは17人、不法滞在者の女性は55人、売防法逮捕者は6人、人身売買の被害者とわかっている者はゼロ。一番数が多いコロンビア(売防法逮捕者553人、人身売買被害者57人)と比べるとかなり少ない(というかコロンビアが突出してるんだな)。ただ当局がつかめていないだけかもしれないわけで、被害者数を推測するのが目的のこのレポートでは「ひょっとしたらこれも」という意味でこの記事に言及したものかと思う。そもそもあの件は、週刊文春の当該記事を読んでない私も知ってるから、あちこちで報道されてたはず。毎日以外に情報源がなかったという類のものではなかろう。ちなみにこのアニータという人物はチリでもテレビに出たりしてある意味「有名人」だから、チリでも大きく報道されてたのではないかな。

ポイントは、この表においてRyann Connellの記事はほんの参考程度の存在であり、言及がなくても論旨に影響はまったくないということ。基本的に情報ソースは諸官庁の統計やらNGOからの聴取やらだ。批判してる人って読んだのかな?

ここでそもそも論に話を移す。例によって3点。


(1)日本が「human trafficking」、つまり人身売買で「取引」される人たちの行き先ないし経由地であるということは、ずっと前から国際的には常識であり、注目されてきたということ。

たとえば、ILOが2004年に「Human Trafficking for Sexual Exploitation in Japan」なる報告書を出している。この中の第1章に「JAPAN - THE DESTINATION COUNTRY」という節があるんだが、その冒頭部分を引用しとく。

Japan is recognized as a destination country for the trafficking of women mainly from Southeast Asia, Latin America, and increasingly from Eastern Europe. The majority of women trafficked to Japan appear to be adult women, although there is some evidence that some are under 18 years of age, probably travelling on forged passports.

これは国際的な認識といっていい。末尾の参考文献リストを見れば、この問題に対する関心は、遅くとも2000年ごろまでには幅広くあったことがわかる(追記:実際には問題自体はもっと前から知られてたはずだけどね。個人的には、80年代には聞いたことがあった。詳しくないので事情をご存知の方ご教示を)。おそらくこの時期、世界的に人身売買問題に対する政策的関心が高まったのだと思う。日本の事情に対する関心も、その規模やら、政府の対応やらからすればおかしいというほどのものではない。もちろん毎日の記事とは無関係だ。

ILOが「国際労働機関」であることは多くの方がご存知かと思う。この機関が人身売買問題に関心を持つのは、これが現代の、形を変えた奴隷制だというのが国際的な認識だからだ。つまり労働者の権利保護を旨とするILO的には「不倶戴天の敵」というわけ。人身売買の被害者をしばしば「sex slave」と表現するのは、こういう文脈があるからなのであって、別に誇張してるとかそういうものではない。

もっとある意味「衝撃的」なのもあるぞ。

アメリカ国務省は2001年から毎年「Trafficking in Persons Report」っていう報告書を出してる。2008年版を見るといい(日本語の抄訳はこちらにある)。この報告書は各国をTier 1、Tier 2、Tier 2 Watch List、Tier 3の4段階に分類してるんだが(なんか上から目線だがまあ基本的にこういう態度だなこの国は)、日本はこの中で上から2番目の「Tier2」。Tier 1というのは、人身売買被害者保護法(TVPA: TRAFFICKING VICTIMS PROTECTION ACT)に定める人身売買廃絶のために政府が果たすべき最低条件(報告書の284ページ以下に出てる)を満たしてる国、Tier 2はまだ不充分だが満たそうと真剣に努力してる国だ。満たしてなくて努力もしてないとTier 3になる。Watch Listというのは、悪化の気配があるとかで要注意の国。Tier 1の国は29カ国。英国とかフランスとかドイツとかのいわゆる先進国が多い。オーストラリアとか韓国とかもTier 1に入ってるぞ。Tier 2は66カ国。日本のほか、ブラジル、インドネシア、タイとか。アイルランドも。日本は2004年にTier 2 Watch Listに落ちたことがあるが、基本的に2001年からずっとTier 2のまま。努力は認めるけどさってわけ。

要するに、件の報告書をRyann Connellのせいにするのはお門違いということ。もちろん、毎日新聞のせいにするのもおかしい。当たり前だが、ILOの報告書にも国務省の報告書にもRyann Connellの記事の引用なんか1つもない。毎日新聞の記事だって引用されてない。だいたいさ、こういう報告書をそんな1つの記事に頼って書いたりするわけないじゃん。


(2)日本にそこそこの数の人身売買の事例があることは事実とみていいと思う。

件のOASのものだけではなく、複数の機関がいろいろなルートで調べた結果だから、そんな問題はないなんていうことはできないだろう。ちなみに、上記の国務省のレポートは、国内でのtraffickingについても指摘している。

Traffickers also target Japanese women and girls for exploitation in pornography or prostitution.

それから、同報告書の日本への政策提言の中に「revise the child pornography law to criminalize the possession of child pornography」というのも入ってる。例の単純所持違法化で議論を呼んだ児ポ法だが、アメリカではこういう文脈の話でもあるのだよ。

もちろん海外から言われるまでもない。警察庁だって半年ごとに報告書を出してる。最新のは2007年度のものでこれ

それに、言っちゃなんだが「現場」で知ってる人だっているはず。そうした店に通ったりサービスを利用したりしてる方は、そこそこの確率でそれらしい事例に出会ってるのではないかと想像するがどうだろうか。S&G的にいえば「I do declare, there were times when I was so lonesome I took some comfort there.」な人だっているだろう。要するに、他人事ではないのだ。


(3)問題視するなら元ネタのほうじゃなかろうか。

前にも書いたが、Ryann Connellの記事は日本の週刊誌やらスポーツ新聞やらから元ネタをとっている(元ネタをさらにねじ曲げて書いてる記事も多いらしいのだが見てないので知らない。少なくともここで問題になった記事は、事実を伝えるもので、そうういう問題はあまりないと思う)。コンビニで普通に売っているし、電車の中で読んでいる人だって珍しくない。少なからぬ日本人がそうした媒体の記事を一度ならず目にしているはずだ。仮に、人身売買があるのは認めるがそれを報道するのはけしからんというなら、元ネタをこそ叩くべきではないか。

これらの情報の多くは、ネットを通じてすでに全世界に発信されている。外人は日本語を読めないだろうと思うだろうが、読める人だってかなりいるし、それに画像は万国共通だ。毎日の関連会社が出してたエロ雑誌も糾弾の対象になってるようだが、それならMSN産経ニュースのトップ画面からリンクされてるサンスポのサイトの「おはようサンスポ」とか「ピンクハート」とかもかなりすごいと思うぞ。

要するにこれも、多くの人にとって他人事ではないということ。日本でそういう週刊誌やスポーツ新聞を買ったり、そういうサイトを覗いたりしてる人はたくさんいるはず。その点を捨象して、それらの記事やらなにやらを作った人だけを「下劣」と批判するのはいかがなものか。

以下、まとめ。

人身売買の問題に関心を持つことは重要だが、それは「どこかに悪い奴がいるからそいつを退治すればいい」みたいな単純な方法で解決するような問題ではない。ましてやそれを伝えた人たちを批判しても何の解決にもならない。Ryann Connellのくだらん記事なんかより、こちらのほうがよほど日本の評判を落としてるんじゃないかな。しかもこっちはかなりの部分、事実だし、少なからぬ人にとって、他人事じゃないはず。

何でもいいからとにかく毎日を叩きたいという向きは、別のネタでやるほうがよい。この問題はその目的には不向きだ。

日本に関係した人身売買が日本の評価を下げてると考える方は、風俗に通う日本人への規制を訴えるとよい。需要が供給を生み出す。日本における人身売買はおおまかには事実だ。

日本に関係した人身売買に関する報道が問題だと思う方は、日本の週刊誌やスポーツ新聞を批判するとよい。私たちはそれらの記事をすでに日常的に見ている。

日本に関係した人身売買に関する報道が国内でなされるのはしかたないが英語に訳されて発信されるのが問題だと思う方は、無駄だからあきらめたほうがよい。いまどき日本語の読める外人なんて別に珍しくないし、多くの情報がネットで全世界に発信されてる。



追記:
人身売買に関して、規制を厳しくすればいい、というのはある面ではそうなんだろうが、必ずしも「決定打」にはならない。問題を地下に潜らせればかえって深刻化するおそれが強いからだ。そこが難しいわけで。こういうところこそ「cool head」でお願いしたい。志のある学生の方、挑戦するに足る課題だと思うぞ。

|

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/7022/42156275

Listed below are links to weblogs that reference 人身売買の話はさ、毎日を叩いてすむ問題じゃないんだよ:

Comments

 あってもなくてもいいものを参照に挙げたりするものかな?
 事の始まりが、毎日が”日本人は酷い人身売買をしている”と報じたから調査してみようということになったのかもしれん。

 出稼ぎの人数がいろいろ報告されてるけど、自発的に来た人が、毎日の記事のせいで”日本人に買われて連れてこられた”ことになってるんじゃないかと心配してる。

 ということで、なぜ日本が人身売買に積極的だと思われてるのか、そのきっかけになった事件をもっと分析しないと、毎日が無罪かどうか判断できないと思う。

 あと、ライアンが引用した元記事はゴシップ紙に載っていたものらしいけど、そんなものを信用して公的調査に参照として載せようと思う人はいない。
 ライアンが毎日の看板の下で引用したから参照として採用されたんだと思う。
だから、毎日が無関係であるはずがない。

Posted by: taro | August 17, 2008 at 03:19 PM

↑の方と同じことの繰りかえしになるけど、
あってもなくてもいいんだったら、
なんでつけたの?

それにアニータの件は、チリでの裁判で、
人身売買にかかわっていないという判決が
おりてなかったっけ?

スポーツ新聞や週刊誌の記事って、
そういう国際機関の資料にのった事例ってあるの?

ちゃんと取材した人身売買の記事だったら、
日本語であれ英語であれ、報道されていいと思うよ。

そのへんは、ごっちゃにしちゃいけないと思う。

Posted by: ひな | August 17, 2008 at 11:02 PM

コメントありがとうございます。

taroさん
上の記事の本文に書いたんですが、読みましたか?念のためしつこくいきますが、7つめの段落にこう書いてあります。

「ただ当局がつかめていないだけかもしれないわけで、被害者数を推測するのが目的のこのレポートでは「ひょっとしたらこれも」という意味でこの記事に言及したものかと思う。」

この部分だけでなく、この段落全部(というか上の記事の全文)読んでいただきたいのですが、この報告書が調べた範囲で、公式統計上、日本の人身売買被害者の中にチリ人はいないこととなっています。しかし週刊誌の記事に人身売買の被害者がいると書いてあり、公式統計の不備という可能性もふまえて「その他の情報源」の欄に書いたものと思います。この記事の引用がなくても、他の国の人々が日本の人身売買の被害者になっている事実はまったく変わりません。コロンビアのケースは数も多いので、国内でもいろいろ報道されたかと思います。新聞やテレビで読んだりみたりしたことはありませんか?

「事の始まり」に関しては、上記本文(1)に書いてあります。引用先論文の参考文献リストを見てください。それに、taroさんが何歳ぐらいの方か存じませんが、当時を知る人なら、もっと前からこういう話があることくらいは一般常識として知っていたはずですので、聞いてみてください。

毎日新聞をずいぶん「高く」評価されてるようですが、国内ではともかく海外ではほぼ無名です。特に英文サイトを見てる人はそんなに多くないでしょう。少なくとも記事の影響力は、OASやILO、米政府の出版物と比べれば無きに等しいと思います。買いかぶりすぎじゃないですかね。

確かに毎日新聞だから引用されたという面はあるでしょう。あの報告書を書いているのは委託された日本人ですからね。ただ、繰り返しますが、あの報告書の中で毎日の記事に依拠しているのはほんのわずかです。原報告書を読んでみてください。

ひなさん
繰り返しのご質問へのお答えは省略します。アニータの件はその後不起訴になったようですね。報告書の時点ではその結論が出る前だったんでしょう。あの報告書は、人身売買の被害者数を推定するためのものですので可能性のあるものは挙げる、というスタンスかと思います。仮に私が書いていたとしても知っていれば書いたでしょうし、その後不起訴になったからといってあの報告書の趣旨が変わるものでもありません。そのあたりは報告書を読めばわかるはずです(というか、上の本文を読めばわかると思うんですが、読みましたか?)。

週刊誌の記事が国際機関の資料に載ったケースがあるかどうかについては、不勉強にして事情を知りません。一般的には、そうした媒体はニュースソースとしては信頼性に欠けると考えるでしょう。今回の件では、毎日だからという要素もさることながら、事実を伝える記事だったからという要素が大きいんじゃないですかね。批判が集中する、日本人が変態であるかのようなルポ的記事を、情報ソースとして引用するとは考えられません。繰り返しますが、仮に「毎日の記事だからOASが引用した」としてもそれはこの問題の本質ではありません(これによって日本人の名誉が傷つけられたかという観点でいえば)。

お二方
ちゃんと読んだ方はわかると思いますが、上の記事は毎日問題についてではなく、人身売買問題について書いたものです。私は今騒ぎになっている毎日の問題には興味ありませんが、日本及び日本人の名誉の問題については興味があります。なのでそれに重要な関係を持つ、日本人がかかわる人身売買の問題には興味があります。

日本が人身売買において褒められた状況でないことは、毎日が捏造したものでも誇張したものでもなく、それ以前から厳然として存在する事実です。そしてそのことは毎日の英文記事以前から国際的に広く知れ渡っており、毎日の一連のくだらん英文記事とは比べものにならないくらいの深刻なダメージを日本と日本人に対して与えています。なにしろ知名度も信憑性も桁ちがいですから。このことはILOや米国務省(バックナンバーは2001年からあります)のレポートを読めばわかるはずですし、この問題に関心があって発言する方なら知っていて当然のことです。

毎日をなんとしても叩きたいのでしょうが、そのために人身売買問題を「利用」しないでください。それは日本と日本人にとって深刻なイメージダウンとなっているこの問題を矮小化することにほかなりません。毎日を叩くこと自体に対して別に文句をいうつもりはありませんが、それは他のところでやってください。こっちはそんなちっちゃい話じゃないんです。

これをきっかけに、人身売買の問題にも興味を持っていただければと思います。リンク先の資料はすべて無料で読めるわけですから、ぜひ読んでください。他にも検索すれば、無料で読める資料は山ほどあるはずです。上の記事の末尾に貼ったアフィリエイトのリンク先の本は日本語ですので、とっかかりにいいかもしれません。

Posted by: 山口 浩 | August 18, 2008 at 12:36 AM

いい記事だと思います
アニータの一件は大きかったですね
確かアメリカのプライムタイムにも出てました

Posted by: to | August 26, 2008 at 12:15 PM

toさん、コメントありがとうございます。
やっぱり出てましたか。なんかテレビで見たような記憶があって。アメリカの人は人身売買と児童ポルノにはえらく敏感ですね。

Posted by: 山口 浩 | August 27, 2008 at 12:44 AM

うーん、あんたあのレポートの9ページに目を通していないね

Posted by: nanasshi | September 08, 2008 at 03:23 AM

nanasshiさん、ご指摘ありがとうございます。
すいません見落としてました。本文にも一部加筆しました。毎日の記事と、琉球新報の記事が紹介されてますね。読まれたのであれば、これがなくてもレポートの趣旨は変わらないということがおわかりいただけるかと思います。ぜひ他の資料も読んでみてください。

Posted by: 山口 浩 | September 08, 2008 at 09:32 AM

Post a comment