「Star Wars」シリーズを制作順にみる3つの理由
小ネタ。「スター・ウォーズ」シリーズの劇場用映画は全6作あるが、これを全部まとめて見ようという場合に、物語の設定上の年代順(123456)に見るか、それとも制作の順(456123)に見るかという論争がファンの間であるらしい。個人的な好みでいうと「制作順」派で、なぜかってあたりを少しだけ。もちろん、どちらが正しいというようなスジの話ではないので、単なる1つの意見。
いや、ほんとたいした話じゃないからね。あらかじめことわっとくけど。
1 R2D2の成長ストーリーとして見る
「スター・ウォーズ」シリーズ全体を通しての「主人公」ってのを考えてみると、まあアナキン・スカイウォーカーと考えるのがふつうではないかと思う。アナキンが少年から大人になって、ダース・ベイダーになって、最後に改心して死ぬという「伝記」ってわけだ。しかし個人的好みにより、この「表のストーリー」の裏に「陰の主人公」がいるのではないか、と主張したい。それはいうまでもない。R2D2だ。
シリーズ全6作品のすべてに登場するキャラクターは多くない。R2D2とC3PO、アナキンと、たしかオビ・ワン・ケノービぐらいか。で、設定上の年代順(123456)に並べるとアナキンの一代記になるわけだが、制作順(456123)に見ると別のものが見えてくる。だんだんR2D2が強くなっているのだ。
最初の「エピソード4」でのR2D2は、いろいろ活躍もするが、基本的にはロボットで、ジャワに簡単につかまったりする。5、6でもさほどめだった「進歩」はないが、はっきり差が出るのは後半の3部作。「エピソード1」では宇宙船の危機を救ったり、女王がじきじきに体を拭いてくれたりとまさにヒーロー扱い。「エピソード2」では仲間を助けるために空も飛ぶ。「エピソード3」で大きなロボットを一撃で倒して悠然と去っていくシーンなど、まさに「戦士」の風格。フォースとかあるんじゃないかと思うな。
2 映像技術の発達と人間の感覚の「柔軟さ」を見る
同様に、制作順に見ると、この間の映像技術の発達の歴史がよくわかる。撮影技法とかそのために使われた技術が云々みたいな話は、そういう専門家の方々があちこちで書いてるだろうから、ここでは「スピード感」の変化に注目。「エピソード3」あたりを見てから「エピソード4」をみると、スピード感のちがいにびっくりさせられる。
特に宇宙船で戦うシーン。リアルタイムで「4」を見たとき、あの映像からは確かに、ものすごいスピード感を感じたのだ。今でも、最初に「4」を見れば、やはり迫力あるシーンとして映る。それが「3」の後で見ると、なんともゆったりしていて、なんというか、間の抜けた印象さえ受けてしまう。人間の感覚ってのはずいぶん「柔軟」なのだな。
3 映画表現をめぐるPolitical Correctnessの変遷を見る
これも制作順にみるとわかる。「5」からアフリカ系の人たちが登場するようになったという話は有名なので省略するが、映画表現のルールは、この間ずいぶん変わった。最初の「456」が作られた70~80年代ごろは、まだ「悪者の手先をばったばったと殺していく」表現は必ずしもタブーではなかったのだろう。しかし90年代に入るとそうもいかなくなったらしい。「1」では敵方の兵隊がロボットに代わった。「3」では「2」から登場したクローン人間の兵士が敵方となる。ロボットならどんなに「大量に破壊」してもいいってわけだ。同様にロボットであるC3POやR2D2が「ロボットの人権」に目覚めなくてよかったな。それはいいとしても、クローン人間だと殺してもいいんだろうか?悪者をコピーしたクローンだからいいの?よく考えると微妙なんだが。
あとこの関連では、やはり政治システムだろうか。「1」に出てきた、「選挙で選ばれる女王」というのはなかなかに興味深い。こんなところにまで民主主義を持ち込まないといけないなんて。そもそもそういう配慮から離れられるのがこういうファンタジーもののいいところだったのだろうに。ともあれ、こういう時代背景を考えながら見られるのも制作順に見るからこそ。
以上、小ネタ、終了。
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