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January 03, 2009

ネットに「子どもの遊び場」を用意するということ

インターネットの中で、一般社会で受け入れられているルールが守られずに問題が起きる、という構図はよくある。たとえば著作権侵害の問題とか、プライバシー侵害の問題とか、犯行予告の問題とか、ネットいじめの問題とか、まあ他にもいろいろ。匿名性が問題なのだとかデジタル技術の特性だとか、教育がなっとらんとか法整備が必要だとか、いろいろなことがいわれていて、それぞれなるほどと思ったりそうかなーと思ったりいろいろあるが、とりあえずはおいとく。そういった「問題」の発生しているところを見ていて、つい連想する光景がある、という話から。

たとえば幼稚園、のような場所を想像していただきたい。小さな子どもたちが遊んでいて、それを先生たちが見守っている。その中で何人かの子どもが、いたずらを始めた。しばらく放置していた先生が、やがて見かねて注意する。「それはいけません。やめてね」と。子どもたちは「はーい」とか「ちぇー」とかさまざまに返事をしていったんいたずらをやめるが、またすぐ別の場所でいたずらをはじめる。それを見たほかの子どもたちもいたずらを始め、やがてだんだん場が荒れてくる。とうとう先生が「やめなさい!」と一番ひどいいたずらっ子たちをきつく叱り、その子たちが「えーん」と泣き出すと、他の子どもたちはいたずらをやめる・・・

とまあ、こんな光景。いや別に、ネットで悪さをするのはガキだとかそういうことを言いたいのではない。社会が「悪さ」とみる行為をしている人の中には、実はなんというか、ある意味「子どものルール」で動いている人がけっこういるのではないか、ということだ。

たとえば、幼稚園で子どもたちが「世界一有名な鼠」の絵を絵本から写し取って描いたとしてもその名のついた歌を歌ったとしても、当然ながら著作権者がどうこう言うことはない。もちろんこれは著作権法上問題のない行為だからなわけだが、子どもたちの目には、著作権などというものはそもそも存在していないかのように映っているはずだ。また、子ども同士のけんかが暴行罪に問われることは普通ない。上と同様に、これも通常は法律問題にならないだろうから当然なのだが、子どもたちにとって、けんかしたら逮捕されるかもしれないなどという発想は現実味をもってとらえられていないだろう。悪口も同様。けんかともなれば「ばか」「死ね」「ぶっ殺す」ぐらいのことばが子どもの口から聞かれることはよくあるが、だからといって侮辱罪やら脅迫罪やらにはならない。

つまり、「子どもの世界」では通常、法律が直接介入してくることはない。少々のことなら見逃してくれるし、度が過ぎてトラブルが起きてもたいていは「ごめんなさい」ですむ。自分たちがやっていることはその場だけ、自分たちだけの間のことであり、外部には影響しない。仮に何かあったら誰かが後始末をしておいてくれる。子どもの目に映る世界とは、おそらくそういうものだ。

どうもネットで「悪さ」をしている人たちが、そうした「いたずらっ子」たちとかぶって見える。何度削除されてもアカウントを変えて動画をアップロードし続ける人、掲示板にひたすら暴言を書き込み続ける人、ネタで犯行予告を書き込む人。たとえば、ニコニコ動画にアップロードされている動画の中には、よく「ようつべより」とかいったものがある。要するに無断転載だが、この能天気さからは、他人の権利を侵害してやろうという「悪意」よりもむしろ「こっちでも見られるようにしといてやるよ」といった、同じ場で遊ぶ仲間への「善意」めいたものを感じる。2ちゃんねるでの暴言の応酬も、仲間内のふざけ合いとみたほうがいいのではないかと思われるものが少なからずあるし、犯行予告でこれなら逮捕されないというギリギリの線はどこかを探ろうとして逮捕される人も、仲間うちでのチキンレースめいた自慢競争やネタ作りに走りすぎたあげくの失敗のように見える。

もちろん、だから彼らは悪くないというのではない。法令違反は法令違反だし、人に迷惑をかける行為は迷惑をかける行為だ。大人なら当然自分の行為の責任をとるべきだし、子どもでも事と次第によってはお咎めなしとはいかない。しかし実際のところ、こういったものを正面から抑え込もうとすると、技術的ないしコスト的な面からみてなかなか難しいのではないか。何せ相手は「いたずらっ子」なわけで、叱りつけようと躍起になる「大人」たちを出しぬくチャンスとあれば、これはかえって火に油を注ぐようなものだ。それに、あまり厳しく活動を制約しようとすれば、表現の自由とか言論の自由とか、そういった別の「大人の事情」にぶつかったりする。逆に、すべて自由にしてしまえ(たとえば著作権自体を廃止せよみたいな)といった主張もあるが、正しいかどうか別として、少なくとも近い将来その方向で合意に至る可能性はなきに等しい。ネットをどう扱うかという問題は現代社会でけっこう重要なテーマかと思うが、難しいのは対立するいろいろな考え方があって意見がまとまらないからだ。

これを「大人のルール」と「子どものルール」の摩擦、みたいにとらえてみたらどうか。いってみれば、本来子どもの遊び場所でない「大人の場所」で子どもたちが遊んでいる図、というわけだ。「大人」の世界では「大人のルール」を守る必要があるがどうせいったって聞かないし、無理やり聞かせようとするとかえってトラブルになる。それに「子どものルール」にもそれなりの意義があっていちがいに否定すべきものでもない。

となると、「大人」がすべきことというのは、大人たちの迷惑にならないように配慮しながら、「子どもたち」のための遊び場を用意すること、となるのではないか。ある一定の「領域」を決めて、その中ではできるだけ自由に活動できるようにする。ただしそこはいつも「大人」に見守られていて、何か問題があれば介入を受け、度を越した悪いことをすれば叱られたり、場合によっては罰を受けたりする。なんらかの方法でそうした場をネットの中に確保してやることで、「大人のルール」と「子どものルール」が共存できる環境を作り出すことはできないだろうか。

いうのは簡単だが、実際にはそんな簡単な話でない。「子どもの世界」が楽しく憂いなくあるためには、まわりで「大人」たちが「大人の世界」でいろいろ準備したり、支えたり、見守っていたりしてあげないといけない。法律問題やコスト負担、権利調整にトラブル処理など、やらなければならないことはたくさんある。もちろん、できないことだってあるし、「大人」が実力をもって介入すべきときだってあるはず。実際の子どもとはちがって、ここでの「子ども」は実際には大人である場合も多い。同じ人が「大人のルール」の世界と「子どものルール」の世界を行き来するわけだから、問題はなおさらややこしい。

とはいえ、すでにそれに近い考え方が実現していることもある。たとえばニコニコ動画やYouTubeがJASRACと契約して、そこに投稿されたJASRAC管理楽曲の演奏動画に関する著作権料を支払うようにしたのは、そうした流れの1つとみることもできる。動画に関しても、一部の権利者は一部のMADを公認する動きが出ているし、UGCを活用したキャンペーンなどでは素材を提供して作品を作らせるものがけっこうあるが、権利処理のしくみが一般化し、利用しやすくなれば、音楽の場合と近い状況になっていくかもしれない。コミックマーケットで二次創作の同人作品を売るのも、ぎりぎりその範疇に入っているのではないか。

もちろん「子ども」を自由にさせてやろう、というばかりではない。「子ども」であるがゆえに制約を受けるべき部分もあるはずだ。現在すでにある法律、提唱されている法案などにもこれに似た考え方はあるが、すべて一律にという決め方は、たとえどう決めたとしても、どこかに不満が残る。法律が必要最小限として「青少年(本来の意味での)を守る」ためのルールを決めるのはいいとして、それ以外に、分をわきまえた「いたずらっ子」たち(未成年者だけでなく成年者も。なんかby definitionでおかしいような気もするが)が安全に遊ぶためのしくみというのも、なんらかのかたちであったらいいのではないかと思う。「世界一有名な鼠の国」では、大人たちも(もちろん本来の意味での子どもたちも)、鼠耳帽子をかぶって子どものように遊ぶために、そこで守るべきルールに嬉々として従うではないか。権利と義務、自由と保護について、合理的なトレードオフをもった複数の選択肢があったほうがいい、ということだ。

ネットに関連して起きる問題の少なからぬ部分が「ルール」間の摩擦に起因しているというのはそれほどずれていないように思う。どちらか一方に合わせるかたちで調整するのはなかなか難しいという点も。「子どものルール」になぞらえて考えることは、それが唯一の正解だというつもりはないが、少なくとも調整のあり方に関する1つの「たたき台」にはなるのではないだろうか。

※2009/01/05追記
はてなブックマークに「この手の論者の常として」というコメントがあって興味深い。私は「どの手」の論者なんだろうか。「ルールとは時代に応じて移り変わっていくものと言う観点が足りない」そうだが、ちゃんと読んだのかね。

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