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入試でどうにかなるもんじゃなかろ?

「オッカムの剃刀」というのがあってだな、なんて古いことばを持ち出すまでもないのだろうが、内田樹さんのこちらの記事についてひとことだけ(追記:と思ったらけっこう長くなっちゃった)。「学校は序列化や選別のための装置ではない」というのはこの方の持論で、これ自体についてどうこういうつもりは(少なくともここでは)ないのだが、それを何にでもあてはめようとするというのはどうかと正直思う。

このくだり。

利益誘導によって、私たちは子供たちに「学力そのものには何の内在的な価値もなく、それによって得られる報酬こそが一次的に有用なのである」という信憑を刷り込んでしまったからである。
その結果、子供たちは「学力を身につけること」よりも、「学力による序列付けで高いポジションを得ること」を優先させるようになった。
努力の「費用対効果」を配慮すれば、競争における相対優位を得る方法は一つしかない。
それは同学齢集団(競争相手)全体の学力を低下させることである。
黙って勉強して、自分一人の学力を向上させる努力は自分にしかかかわらないが、教室で私語し、立ち歩き、学級崩壊を達成すれば、クラス全員の学習意欲を損ない、動機付けを傷つけることができる。
「自分の学力を上げる」よりも、「他人の学力を下げる」方が圧倒的に費用対効果がよい。
競争における相対優位を「目的」にすれば、子供たちは必ずそのような合理的判断に導かれる。

これはどう考えても苦しい。自分のためではなく、他人の学力を低下させるために授業中に私語したり、立ち歩いたりする学生が、あちらの大学にはいるのかもしれないが、ふつうの大学ではまず見ないのではないだろうか。これは入札時の談合と似ていて、誰か少数でも抜け駆けするとその効果は大きく損なわれる。「合理的判断」でこんなことをする人はまずいない。

私語や立ち歩き行為自体がないとはいわないが、それらはほとんどの場合教室の後ろ、教員から最も遠いところで行われる。他人の学力を下げるためなら、前でやらなければならないだろうが、そうはしない。なぜか。他人をどうこうするためではなく、自分がしたくてするからだ。教員に注意されたり、それによって単位を落とされたりするのがいやだから、せめて目立たないように遠くでやるのだ。こんなの、わざわざ書くのもどうかと思うくらい当然だと思うのだが。

この記事の主眼は、毎日新聞の社説にあった入試改革の提言に対する反論だろう。孫引きしとくとこういうことをいってるらしい。

一方で大学生の深刻な学力低下が報告される。6割の大学が高校レベルの補習をするなど基礎学力の補完をしている。そうしないととても専門教育ができないという。基本的な教養の欠落も指摘されている。
「だが、より根本の問題は学習意欲や動機付けだ。日本の子供たちが勉強を楽しんだり、将来の夢と結びつけたりすることが相対的に希薄なことは国際比較調査にも表れている。入試改革は単に受験知識を増加させればよいのではなく、適性や意欲、好奇心などを土台とする基礎学力をより的確に見いだすものへ変わらなければ真の改善にはほど遠い。」

学力低下の原因が学習意欲の低下にあると。学力低下自体、データ的にはいろいろあるらしいので突っ込まないが、まあ実感としてわからなくもない。学習意欲の低下も経験が浅いもので比較がしづらいが、まああるとしておこう。そこまでは毎日新聞と内田さんの間にも齟齬はないようだし。

で、問題は、毎日社説がそれを入試改革によってどうにかせいといっているらしい点。この点に関して内田さんが突っ込みを入れてるわけだ。それはどうよ、と私も思う。入試だけでどうにかできるようなもんじゃなかろ?

ただ、そこで学習意欲の低下は学校における競争の導入が原因であるという例のご主張に結びつくと、これはやはりちょっと勇み足、といわざるを得ないなぁ。

競争において相対優位を占める「努力」に適正な「報酬」を約束するという「努力=報酬相関システム」の導入によって、日本の子供たちは勉強することを止めた。

だそうだが、ええとそれって明治以降、それから戦後も長らく続いたアレじゃないの?学力低下をいつと比較してるのか知らないが、まあ戦後の昭和のあたりだとすると、その時期はまさに受験戦争が最も激しい時期で、「いい大学」が「いい就職」とかなりのところ(少なくとも今よりはね)ダイレクトにつながってた時期だ。「仰げば尊し」に「身を立て名を上げ」ってあるよね?「ふるさと」に「志を果たしていつの日にか帰らん」ってあるよね?あれは最近の歌なの?

冒頭にもどって、最も自然な、シンプルな流れを考えるとこうではないか。学習意欲の低下は、努力に対する報酬の低下、あるいは努力しないことに対するペナルティの低下のいずれか、あるいは両方。前者は、日本経済の成長がかつてほどのペースでなくなった「パイ」の問題、その分配の問題、構造的な閉塞感とかそういったことからくる、と既に長く、いろいろなところでいわれてる。後者は、反論もあるだろうけど、社会福祉その他、さまざまな「守る」しくみの発達の影響(もっとはっきりいっちゃうと「モラルハザード」に近いと思う)がそれなりにあるのではないか。つまり、「努力=報酬相関システム」の強化ではなく、弱体化が学習意欲の低下に関係してるとみるほうがよほど自然ではないか、ということだ。

努力してもさして報われないし、失敗するかもしれない。一方、努力しなくてもそこそこなんとかなるし、しなければ失敗はない。努力したのに失敗してしまうのが一番ばからしい。となれば努力しないでいるほうがいい、と。

もともと「努力=報酬相関システム」は日本やその他の国にずっと昔から程度の差こそあれ存在してたし、今も存在してる。ではそれが昭和のころと比べて強化されたかというと、微妙なところではないか。私はむしろ弱くなってるのではないかと思う。しかし同時に、このシステムに対して私たちの社会は、かつてないほど「敏感」になっている。ほんの少しの誤差も許すまじ、という気迫すら感じる。昔の人たちは、これをもっとあいまいで間接的で、ゆるやかなものとしてとらえていたのではないか。

繰り返すが、ここでは、学校を競争の場にするな、という主張自体をどうこうというのではない。学校ではなく学校を出た後の社会の中で、努力が報われるしくみ、努力の欠如がペナルティになるしくみが薄れてきていることをこそ問うべきではないのか、といいたいだけだ。それと、「報酬」は必ずしも金銭的なものである必要はない、というあたりも。「努力=報酬相関システム」を問題視する人というのは、むしろ努力が金銭として報いられるべきという考え方のほうに近いのではないだろうか?金銭以外で報われることを是とするなら、誰かがどこかで努力を金銭で報われてることをそんなに問題視してもしかたないではないか。というか、昔の人たちってそうだったんじゃないのか?

あと、個別事情というのもあるね。たとえば文学を志す人が減ったとしても、他のところ、たとえば音楽やアニメや、そういったところで「金にはならないけど好きでやりたいこと」を一生懸命やってる人がたくさんいるのだとしたら、それは単にジャンル間の人気の問題だし、相対的に競争の厳しいところにより優秀な人が集まるのも道理。

もちろん、学校教育に何も責任がない、ということもなかろう。しかしそれは単に入試だけの問題ではなく、卒業までのすべてのプロセスの中で問われるべきものだ。当たり前だよね?毎日の人はセンター入試の日だからって入試にかこつけて書いたんだろうが、これはあんまりスジがよろしくないと思う。

もともと手短に書くつもりだったのでこのへんで撤収。

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Tracked on January 21, 2009 at 06:02 PM

Comments

内田氏の文章も、「「学習しない意欲」「学習しないことへの動機付け」が「過剰」なのである。」までは当たってるように思います。
社会が子供向けの娯楽や消費の機会を提供しすぎた結果、学習しないで他のことに時間を使うことへの報酬が大きくなりすぎたのでしょうね。

Posted by: Baatarism | January 21, 2009 at 06:09 PM

Baatarismさん、コメントありがとうございます。
「社会が子供向けの娯楽や消費の機会を提供しすぎ」という点には同意しますが、むしろ社会の方に娯楽を上回るほど面白いコンテンツがない」というほうが深刻ではないかと思います。
「学習しないことへの動機付け」ということでは、マスメディアの責任は重大ですね。内田さんのいう「同学齢集団(競争相手)全体の学力を低下させること」は実際には困難ですが、競争相手のうちトップの人たちに狙いを定めて引きずり下ろすことは比較的容易にできます。で、それを、子どもではなく、大人たちが一生懸命やっているわけです。高い給料とって。いくらパイが縮小しているからといって、こういうのはいただけないですね。

Posted by: 山口 浩 | January 22, 2009 at 09:26 AM

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