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February 18, 2009

なんだか英訳されてるらしい件

手短に。この1つ下に出ている記事、「責任は「足して100%」ではない― 再び」というのは、本文が「メディア・サボール」に載っていて、その大元はこのブログの過去記事だったりするというややこしいものだが、これがなんだかこちらで英訳されてる。この人にはこの記事が「rant-ish essay」と映ったようで、ふうんそういうふうに見えるんかねと思うわけだが、まあ面白く読んでもらえたらしいのはありがたい限り。ただ、ここに書かれた議論の展開を「Japanese art of non-debating」と評してるのはどうかと思うな。そのブログのコメント欄にも同様のコメントがあるが、こういう流れはアメリカでもよくあるし、たぶん他の国でもよくあるはず。

ともあれ、自分の文章が自分の手によらずに英語になってるというのはなんか面白い。日本でも、英語圏の中でも、わかってる人はわかってる話があって、それは現在のところ、日本の専門家層から発信される情報は英語圏のネットではまだまだ少ないってこと。彼らは情報を欲しがってる。マスメディア経由でない、でも日本の「生の声」を。

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Comments


勝手に翻訳をさせていただいたアダムです。情報たっぷりの記事、ありがとうございました。とても勉強になります。さて、先生の疑問に答えさせてください。

1.「Rantishという言葉がふさわしくないこと」英和辞書を引くと「わめき散らす」や「暴言」みたいな、無責任な意味になっているけど、ネット用語では、話し言葉で書いたり、文章構成が必ずしも整っていなかったりするような記事をよくRantと呼ぶことがあり、いわゆる「ブログ語調」と同じ意味だと思ってください。外国人からすれば、山口先生の書き方が明らかに日本の書き言葉と違うので、Rantっぽく映ったしだいです。
2.「Japanese art of non-debatingもどうかということ」意図はいずれにしても、こんな言い方だと「アメリカではきちんと議論をするが、日本はいい加減だ」と移っても仕方がないかもしれないので、すみませんでした。「アメリカにも似た流れを感じる」と明確にすばきでした。しかし、「Nondebating」(議論に値しない議論」)は当たっているように思います。毎回毎回同じだと、結局は何も建設的なディベートはできないではないでしょうか。

Posted by: Adamu | February 18, 2009 03:23 PM

Adamuさん、コメントありがとうございます。
いや別にrant-ishがいやだとか言ってるわけではありません。このブログは基本的に話し言葉で書いてて、私は、実際にも、「ですます」を使う以外はほぼこれと同じようにしゃべります。ゆっくり話すぐらいのスピードでタイプしてますし。新聞では見ないでしょうが、ブログではこういう文章、けっこう多いんですよ。
「art of non-debating」だというのは同意です。アメリカにも他の国にもあるでしょ?というだけの話で。たいてい、不利な側が論点をそらす戦略を使うので、あとは似た流れになるわけですね。ただ、アメリカとの比較でいうと、「建設的な話をしよう」という志向が、日本の人のほうが弱いかもしれない、とはうすうす思っています。あんまり認めたくないんですが。
ともあれ、翻訳ありがとうございました。面白かったです。

Posted by: 山口 浩 | February 18, 2009 03:42 PM

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