« 1個売るために5個試食させる話 | Main | 「良識派」の皆さん、出番ではないのか »

March 24, 2009

「新聞は生き残れるか」みたいなのもうやめないか

ごく手短に。朝日新聞に、有識者100人に意見を聞いて集計する「100アンサーズ」というコーナーがあったのだが、それが2009年3月22日掲載分をもって終わった。最終回のテーマは「新聞の未来」。「現在の新聞は生き残れると思いますか。」「生き残るためには何が必要だと思いますか。」という2つの質問をしてる。回答にある内容は、まあだいたい予想の範囲内。「生き残れるか」に対して「生き残れる」62人、「生き残れない」8人、「その他」27人、「無回答」3人。

こういうのってほんとに「なにをいまさら」だと思うんだが、もうそろそろこの段階は終わりにして、次の段階に進んでいったほうがいいんじゃないかな。

このシリーズ、多くの人に意見を聞くという意味で集合知ものではあるが、いわゆる「有識者」の皆さんに聞いてるのが新聞らしい点といえようか。

とはいえ、ただ聞くだけではなく集約して使おうというときに注意しなければならないのは、問題をはっきり定義しておくこと。たとえば「果物はおいしいか」なんて質問だったら、「りんごはおいしいけどパイナップルは苦手」とか「私は果物嫌いなんよ」「腐ってたら何だってまずいに決まってるじゃん」「季節によるよねぇ」とばらばらな答えが返ってくるのではないか。聞き方がおおざっぱすぎるのだ。集計して意味のある意見を聞こうとするなら、何を聞いてるのか、はっきりさせておく必要があるのだ。

「現在の新聞は生き残れると思いますか。」という質問も、これと同じような、いわば「悪い質問」。いくつもの前提条件や想定が入り混じっている。

(1)「新聞」とは何か?
「新聞」
当たり前に現在の新聞社を前提にしてるようだが、新聞社がやってることというのは、ごくあらっぽくいって、記事を作る、紙媒体に載せる、家庭に配るの3つある。これらのいずれもが、それなりに価値のあるものとして評価する声があるわけだが、おそらくこの中で最も評価が高いのは第1の段階、つまり取材して記事を作るという部分だろう。これ以外の部分は今、ネットの登場によって代替が進みつつある。いまある「新聞社」がやっている作業がすべて揃って初めて「新聞」、と定義するのであれば、同じ答えにはならなかったのではないかな。私たちの社会は、質の高いニュースや、綿密な取材に基づいた報道を必要としている。ただ、それを紙媒体に印刷する必要があるのか、自宅まで自転車で届けてもらう必要があるのかについては、好き嫌いは別として、議論の余地が多々あるはず。記事の一部が社外の専門家や市民記者なんかによって書かれる、なんていうのも想定の範囲内には入れておいたほうがいいかも。

(2)「生き残る」とは何か?
新聞社はたくさんある。全国紙もローカル紙も、一般紙も専門紙も。そのすべてが今のまま未来永劫、なんてわけがない。全国紙だって今の数のままとは限らない情勢だ。では1社でも残れば「生き残る」なのか、市場規模がどのくらいまであれば「生き残る」なのか。少なくともある程度はイメージできる程度に特定してもらわなければ、それぞれがそれぞれの前提条件や思い込みに従って答えるだけだ。それを集計してもしかたないではないか。たとえ私たちが質の高い記事を欲しているとしても、それが現在の数である必要は必ずしもないかもしれないし、それへの対価も今ほどとは考えないかもしれない。給料が半分になって、記者の数も減って、数社が残るだけの零細産業となった状態が「生き残り」のかたちである可能性はある。

(3)いつまで「生き残る」のか?
時期を決めない予測はあまり意味がない。極端なことをいえば、地球はあと五十億年もすれば巨星化する太陽に呑み込まれるであろうし(だから弥勒菩薩が救いに来るころには地球はなくなっている可能性がけっこう高い)、東大の松井孝典教授によるとあと5億年くらいで空気中の二酸化炭素濃度の「低下」(※太字・下線は山口による)により地球上の生物は死滅するらしいから、そこまで考えれば新聞も生き残れないだろう。もちろんそれ以前に「変化」は起きるはずだ。日本で「新聞」ということばが生まれたのは明治時代。それ以前にも瓦版はあったわけだが、だからといって「新聞は江戸時代からあった」とはいわない。つまり「新聞」が、何か別の名をもつ類似の(もっと便利な)ものに置き換えられれば、そこで「新聞」は終わる。


というわけで、そういう前提なしに「新聞は生き残れるか」を聞いて数を集計してもあんまり意味ないんじゃないかな、という話。それほど力んで書くような話じゃないんだけどね、と書いてて自分でも醒めてきたので、このへんで撤収。

※あらかじめ追記
本文の論旨とまったく関係ないが、「あと5億年くらいで空気中の二酸化炭素濃度の「低下」により地球上の生物は死滅する」については、世の環境大好きさんたちが「!?」となっているかもしれない。もちろん読んだ方もいらっしゃるとは思うが、もしまだならこの本は必読。以前このブログでも取り上げたことがある


|

« 1個売るために5個試食させる話 | Main | 「良識派」の皆さん、出番ではないのか »

Comments

まさにGIGOですね。

余談
>世の環境大好きさんたちが「!?」となっているかもしれない
ははは

Posted by: hidetox | March 24, 2009 01:36 PM

世論ごときを
集 合 知
などと造語で修飾してる時点で
読む価値なし!

Posted by: ウンコねた | March 24, 2009 06:05 PM

コメントありがとうございます。

hidetoxさん
まさしくGIGOですね。とはいえ、個別の意見はそれぞれ面白いですよ。私としては、それを回答者の属性で解析してみたい誘惑にかられますが。

ウンコねたさん
「読む価値なし」の記事へのコメント、ご苦労さまです。溜飲は下がりましたか?これは仕様ですのでどうしようもありません。ご指摘の意味がよくわからないので、ぜひ解説していただきたいところですが、これ以上ご不快な思いを強いるのもどうかと思いますので、むしろ他へいって有意義な議論をしていただくことをお勧めします。

Posted by: 山口 浩 | March 25, 2009 09:41 AM

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 「新聞は生き残れるか」みたいなのもうやめないか:

« 1個売るために5個試食させる話 | Main | 「良識派」の皆さん、出番ではないのか »