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私がバブル崩壊から学んだこと

あちこちで「不況対策に日本の教訓を」みたいな話があるんだが、「日本の教訓」が何かについて、必ずしも社会的合意があるようには見受けられない。極論するとこっち方向こっち方向があるように思うが、どちらかというと今はどうも後者のほうが「優勢」なんだろうか(参考)。もちろん個人的な意見はあるんだが、専門外なのであまり自信はないうえに、特にネット界隈で繰り広げられてるこの分野の口汚い舌戦に参加する気もないので、ここでは元企業人としての経験と実感を書いてみることにする。当時を知る人なら、共感いただける方が少なからずいるのではないかと思う。

私が元職場である保険会社に就職したのは1986年だった。折りしも「バブル」と後に呼ばれることになる資産価格の上昇が都内で始まろうとしていたころだが、まだ世間は「円高不況」で騒いでいたかと思う。私が配属されたのは不動産管理の部門。いわばバブルの膨張をかぶりつきで見られる「特等席」だった。その後、いろいろあった後に90年代後半をすごしたのが関連事業部門。当然、関連会社にもバブル崩壊の影響は及んでいた。今度はバブル後処理の前線に送り込まれたわけだ。なんだかんだで20年ほど勤めたこの会社での私のキャリアは、本業である保険とはとうとうあまりかかわることはなく、バブルとその後処理がかなりの部分を占めることとなった。思い切り細部をカットして端折ると、以上が私の「経験」。バブルに関してもっとすごい経験をした人はたくさんいるだろうから、「どうだすごいだろう」などとは微塵も思わないが、つたない考えをめぐらすにはそこそこ充分な経験だったと思う。理論でも指標でもなく、現場の人たちの生の動きを見ることができたからだ。もちろん個人的な経験なので、特殊な例なのかもしれないが、私としてはけっこう汎用性のある知見を得たつもりでいる。

ではそこで私が学んだこととは何か。もちろんいろいろあるんだが、ここでは今話題になっているあたりに絞る。あんまりたくさん挙げるのもしんどいので、例によって3つ。


(1)問題は隠され、矮小化され、小出しにされる
今の動きは、公的部門が景気を「落とさない」ために民間部門に資金をつぎこんで支えようという要素がかなり強いように見えるが、こういうものは概してあまり利かない。いろいろ理由はあろうが、現場で見た最も典型的な行動は「消極的な待ち」、つまり景気対策を検討している間、企業は動かなくなるということだ。いわゆるモラルハザード問題であるわけだが、この場合、原因となる情報の非対称性は、「プリンシパル」である公的部門と「エージェント」である民間部門の間にだけあるのではなく、民間部門の各段階、企業であればトップから末端に至るまでの組織の各段階に存在し、いわば入れ子構造になっている。そしてその各段階で、「エージェント」にあたるプレーヤーは自らの利益のために行動し、情報の非対称性を温存しようとする。

この入れ子構造の中では、「プリンシパル」もまた同時に「エージェント」であり、その構造を熟知した上で行動する。自らの下段階の「エージェント」が情報を隠していることを「承知」の上で「やりすごす」、つまり見ないふりをするのだ。当然ながらこれは、最上段の「エージェント」である政府とその「プリンシパル」たる国民との間にも、最下段の「エージェント」たる企業現場の担当者とその「プリンシパル」である現場責任者との間にも存在する。情報の非対称性を維持することにメリットが見出されているのだ。特段ややこしいことではない。「エージェント」は、問題が明るみに出れば自らの責任が問われて不利になるから最大限それを隠そうとするし、その1段階上の「プリンシパル」は、問題が明るみに出れば自らの監督責任を問われて不利になるから「エージェント」の隠蔽行動に気づかないふりをする、というだけのことだ。この各段階は、よほどのことがない限り「いわれたとおりやった」と「報告がないのでわからなかった」ですませられるように「あうんの呼吸」と繊細な配慮によって調整されていて、誰もが「できる範囲で自分のなすべきことはした」と言っても完全には否定できない程度になっている。だから、いざというときに責任をとるべき者は誰もいなくなるわけだ。

かくして問題は隠され、矮小化され、小出しにされる。それをもとに作られた対策は、したがって不十分なものとなりやすい。当然、問題解決は長引き、コストもかさむ。よく相場をやる人が「悪材料が出尽くさないと」みたいなことをいうが、悪材料がすぐに出尽くさない理由の主要な1つはここにある。「まだ他にあるのではないか」と疑うのはきわめて自然かつ合理的な反応だ。こういう話の際によくいわれる「その後新たに発生した問題」の少なからぬ部分は、最前線の現場ではそのはるか以前から把握されている。ここでの不確実性は、むしろ「政策」の側にあるのだ。


(2)戻りたい過去は身の程以上
公的支援による対策を訴える民間部門の中には、深刻かつやむをえない問題を抱えている企業や人たちがたくさんいる。それは当然の話だが、同時に必ずしもそうとはいえない企業や人たちが少なからず紛れ込んでいることも否定できない。いってみれば「弱者の顔をした強者」であるわけだが、問題はその区別が非常に難しいということだ。本人自身が本気で弱者と思い込んでいる場合もけっこうあるし、仮に気づいていても、上記(1)のような問題もあるから、実態は隠される可能性が高い。真剣にはチェックされないことも少なくない。

しかしそれよりも大きな問題は、こうした人々が「参照」する「守るべき状態」というのが、えてして「身の程」以上であった過去の状態であるということだ。もともと、(他の条件が同じなら)時代の変化についていけない企業やセクターであるほど、景気の悪化で深刻な影響を受ける(したがって最も大きな声で主張する)傾向があるから、取り戻そうとする過去はすでに時代遅れとなっている場合は少なくないだろう。中には、過去最もよかった時期をベンチマークにしている場合だってあるはずだ。誰しもいいことは自分の成果、悪いことは他人のせいということにしたがる傾向を持っている。バブル崩壊直後の少なくとも数年間、多くの企業人にとって、バブルはあくまで経済全体ないし他業界の問題であって、バブル期に自社が挙げた高業績はあくまで自分たちの努力と才能の結果という認識だった。期待の修正には、けっこう長い時間がかかる。ひいき目で見ているから、構造変化もわからない。となると、景気対策の理由として使われる「需給ギャップを埋める」や「激変緩和措置」というレトリックは、「身の程」以上に肥大した状態をベースとして主張され、それがゆえに社会に必要な変化を押しとどめる原因になっている場合がある、ということだ。

結果として「景気対策」は、もちろんすべてではないにせよ、無駄遣いと非効率の温存から逃れられない部分を少なからず含むということになる。期待が修正されるのは、「もうこれ以上助けてもらえない」ことがはっきりしたときだ。そのときは当然ながら、「弱者の顔をした強者」より、本当の「弱者」のほうが大きな影響を受ける。


(3)「最善の案」は実現されない
ある問題に対する「最善の案」なるものは、事前にはなかなかわからないことが多い。そもそも上記のような問題があって事実がよくわからないということもあるが、それに加えて、ものの考え方自体にちがいがあり、そこに立場のちがいに起因する頑なさがくっついてくるからだ。だから政治家や経済学者の政策論争は、神学論争にちょっと似たところがあって、主張のちがう相手を受け入れる余地が実に少なく、それぞれ研鑽を積んだであろう専門家たちが互いをまるで無能者か極悪人のように罵りあう状況があちこちでみられる。とはいえ、そのときどきの経済情勢によって優勢劣勢は変化するものの、勢力バランスが極端に振れることはあまりない。それなりの説得力を持つ考え方には当然ながらそれなりの根拠なり実証結果なりがあるが、それらが互いに矛盾することは珍しくないからだ。そもそも現実が多様な側面を持っている以上、現実を説明する方法が複数存在するのはしかたがない。そこに立場のちがいが加わればなおさらのことだ。

さらにここに、一般市民の義憤やら嫉妬やらが積み重なる。得るものの少ない彼らは、自らが何かを得ることより「甘い汁を吸っている」と思われる誰かを引きずり落とすことに関心を集中させがちだから、これまた妥協の余地は少ない。しかしこのことは、批判される可能性のある側に、情報を隠す充分なインセンティブを与えるから、問題はさらに複雑になる。もちろんこれも、一方向に振り切ってしまうことはない。立場がちがう人たちが入り混じっているからだ。もともと皆が満足のいく策は存在しない。不利な側は表立って発言することを控え、裏から足を引っ張ったり、骨抜きにしたりする側に回る。

したがって、「最善の案」が何であるにせよ、それは多くの場合実現されない。現実にとられるのは常に妥協の産物で、膠着のために時間を浪費したあげく、不十分な規模、質のものにとどまる。だから政策は、不完全にしか実行されえないことを前提として作らないと合意に至らないし、もし実行できてもうまく機能しない。


じゃあ結局どういう政策がいいと思ってるのさ、と聞きたい向きがあるかどうか知らないが、また長くなりそうなので、冒頭に書いたとおり、ここでは書かないことにする。上記の趣旨をふまえればだいたい想像がつくと思う。

他人の本をここで挙げると「そういう意見なのか」といわれそうなので、自分のを挙げておこうっと。

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