« 衆院選予測週刊現代090627 | Main | 「tsudaる」議員たち »

June 16, 2009

リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理

ダン・ガードナー著、田淵健太訳「リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理」早川書房、2009年。

必読。

本書の帯にこうある。

史上最も安全で、
健康な私たちが、
なぜ不安に
怯えているのか?

ちょっと前に「リスクの正体!賢いリスクとのつきあい方」なる本を出したのだが、そこで言いたかったことの1つは、「リスクそのものよりリスクをどう認識するかのほうがポイントではないか」という点だった。その点を、この「リスクにあなたは騙される」は、幅広い分野の理論や研究成果、それに多くの実例を紹介しながら、よりわかりやすく説得力をもって説明している。

私たちが何かについて判断を下すとき、「頭」と同時に「腹」が働いている(つまり「理性」と「情動」ということだ)。「頭」が知識を使い、理性的に考えて結論を下すのと対照的に、「腹」は直感的に、動物としての本能のようなものを使いながら、瞬時に判断を下す。もちろんそれらはいずれも重要なもので、うまくいく場合も多いのだが、問題もある。「腹」からの命令はとても強力で、これがいったん下されると、逆らうことは容易ではない。不確実性に満ち、危険が絶えず襲ってくる環境下で知識に乏しい昔の人類が生き残ってこれたのはこれがあったおかげだが、まちがう場合も少なくない。特に、社会が高度化・複雑化し、直感的な理解が難しくなっている現状ではさらにそうだ。

私たちは、直感的に「いいもの」と判断されるものに関するリスクを低く見積もり、「悪いもの」と判断されるものに関するリスクを高く見積もる傾向がある(「良い・悪い規則」)。たとえば私たちは、食品に含まれる「人工の」化学物質がもたらしうるリスクについて非常に敏感だが、食品にもともと含まれる「天然の」化学物質のリスクについてはほとんど考えない。考えてみれば当然だが、化学物質には人工のものもあれば天然のものもある。天然のものに毒性がないというのは大きな誤りで、それこそ「食物は言うまでもなく天然の発癌物質に満ちている」。しかし私たちは、「天然」というだけで喜んで食べ、「人工」というだけで無条件に避けようとする。「天然」はいいものであり、「人工」は悪いものであるという意識が定着してしまっているからだ。

また私たちは、実例をより鮮明に思い起こせるリスクに対しては、そうでないリスクに比べて不釣合いなほど強い警戒感を抱く(「実例規則」)。たとえば人は、ほとんどの病気の致死性を低く見積もるのに対して、癌の致死性だけは高く見積もる。それは癌による死亡例を、他の病気の場合より鮮明に思い描くことが可能だからだ、という。癌は他の病気に比べ、深刻な結果につながりがちであること、ゆっくり静かに進行していくこと、そして何より数多くの物語やニュースなどによって広められていることにより、多くの人が、「実例」をより多く、具体的に思い出せる。

こうした人間の性質を「利用」する人々がいる。人々の「恐怖」をてこにして「安心」を売る企業、関心を集めようとするメディア、自らの勢力拡大につなげようとする政治家や官僚、活動家やその団体。予算獲得を狙う一部の学者もそうだ。こうした、「恐怖の産官学複合体」とでも呼ぶべき人々は、情報を選択的に伝え、あるいはより積極的に隠蔽し、あまつさえ捏造までしながら、社会を導いていく。

1つ例を、ということで引用しておく。

二〇〇五年一月、カナダで「癌を抑制できなくなりつつ」あると宣言している新聞の全面広告が国中で掲載された。「我々の一〇人に四人が癌になるだろう。そして、一〇年後に、それは一〇人に五人になるだろう。今こそ癌にやり込められるかわりに癌の抑制を開始するときだ。そうしなければ、これまで以上に多くの人間が、癌にかかり、癌で死ぬことになるだろう」。広告を出したのは、「癌コントロールのためのキャンペーン」だった。国家癌戦略を実行するように連邦政府に迫るために結成された癌や健康にかかわる組織の共同事業体だ。この広告で述べられていることはすべて本当だった。現在の趨勢だと、これまでより多くの人が癌にかかり、これまでより多くの人が癌で亡くなるだろう。しかし、この広告が触れていないことがある。このような推測が成り立つのは、人口が増加しているからであり、国民が高齢化しているからだということである(人口が増えれば癌も増えるし、これまでのところ高齢化が癌の最大の危険因子であるため高齢化は癌の増加を意味する)。また、癌の死亡率が低下しており、今後さらに低下すると予想されていることにも触れていないし、国民の高齢化を考慮すれば、ほとんどの種類の癌の発生率が横ばいか低下していることにも触れていない。

つまり、癌による死亡者が増えているのは、単純に人口が増えたからでもあり(仮に死亡率が同じでも死亡者数は増える)、またより多くの人が高齢のため癌になるまで他の原因で死なずに生きていられたからでもある(むしろいいことではないか)、というわけだ。ちなみにここに紹介された「癌コントロールのためのキャンペーン」というのは、たぶんこれだろう。構成員リストはここに出ている。「The Campaign consists of more than 70 leading Canadian cancer organizations. We are cancer patients, nurses, doctors, families, advocates, researchers, corporate sponsors and survivors. We represent the most dedicated scientists and health care providers Canada has to offer.」だそうだ。専門家の団体、患者の団体などが多いようだが、もちろんGlaxoSmithKline IncMerck Frosst CanadaNovartis CanadaPfizer Canada IncRoche Pharmaceuticalsといった社名もしっかり入ってる。

別に医療の分野だけではない。テロ、インターネット犯罪、麻薬、気候変動、遺伝子組み換え作物、食品中の化学物質や発癌物質、肥満や農薬といったさまざまなものについて、同じようなことが行われている、と著者は指摘する。かくして、実際には「史上最も安全」な時代にあり、かつてないほど「健康」状態のいい「私たち」であるにもかかわらず、以前と変わらず、あるいは以前にも増して「不安に怯え」つつ暮さなければならないはめになる。

もちろん、少しでも危険を減らしたいという思いは理解できるし、大切なものを守りたいという願いは尊い。しかしそれだけで問題はすまない。私たちに与えられた資源は無限ではないからだ。冷静に考えなければかえってまちがった対策に資金や労力をつぎ込み、私たちを守るために必要な施策への配分が充分に行われなくなるかもしれない。そうなれば結果として、私たちはかえって「本来実現できるはずの状態」より安全でない状態におかれることになってしまう。少なくとも責任ある立場の人は、そうした事態をこそ恐れるべきではないか。

子どもに対する犯罪も私たちが恐れるものの大きな1つだが、これについても例を紹介する。米政府が行った「行方不明の子供と誘拐された子供、家出した子供、捨てられた子供の発生に関する全国調査」(NISMART: National Incidence Studies of Missing, Abducted, Runaway, and Throwaway Children)なるものがある。2004年に出たその2回目の報告(NISMART2)は、1999年の事例を調べたものであるらしい。この本がその内容を紹介した部分を、ちょっと長いが正確を期すため引用。ゆっくりていねいに読んでいただきたい。

・・推定七九万七五〇〇人の一八歳未満の男女が何らかの理由で行方不明になっていることが明らかとなった。この調査では、続いて、飛び抜けて人数が多いのが家出であることが示された。もう一つの大きいものには、二〇万件を超える「家族による誘拐」(通常、離婚した親が法的に許されている期間より長く子供を手元に置いていることである)が含まれていた。五万八二〇〇件の「家族でない者による誘拐」もあった。これは、見知らぬ者が子供を誘拐することのように聞こえるかもしれないが、そうではない。実際には、非常に広範囲にわたる区分であり、たとえば、元のボーイフレンドが駐車中の車から外に出させなかった一七歳の女の子も含まれている)。
親たちを脅かしている暗がりに潜む小児性愛者による暴力行為のたぐいに該当する数字を把握するために、NISMARTはステレオタイプの誘拐と呼ばれる区分を作った。それは、見知らぬ者あるいは少ししか知らない者が、子供を一晩中連れまわすか引き留める、あるいは、八〇キロ以上離れたところに連れて行く、身代金目当てあるいは手元に置いておきたいという意図から子供を拘束する、子供を殺すことを意味した。NISMARTは、一年間に米国内で起きたステレオタイプの誘拐が一一五件であると推定した。誘拐されたとき一四歳以下の子供(括弧内略)のみを含むように調整すると、九〇件になる。
・・二〇〇三年に、プールで溺れた一四歳以下の米国の子供の総数は二八五人だった。したがって、子供がプールで溺れる確率は(中略)見知らぬ者に誘拐される確率の二・五倍以上である。さらに、二〇〇三年に二四〇八人の一四歳以下の子供が自動車の衝突事故で死亡した。(中略)したがって、子供は、見知らぬ者によって誘拐されることに比べて、二六倍も車の衝突事故によって死亡しやすい。

米国には子供が「およそ七〇〇〇万人」いるのだそうで、「ステレオタイプの誘拐」に遭う確率は約0.00016%、あるいは608,696人に1人ということになる。プールでの死亡事故は245,614人に1人、車の衝突による死亡は29,070人に1人の計算だそうだ。当然ながら、特定のリスクが強調される裏には人間本来の性質以外にそれを「利用」する人々もいるという点は先ほどと同じ。もちろん重大なリスクにはちがいないが、世間でいわれるほどなのか、他のリスクと比べて適切なレベルの扱いなのか、そして、その対策にメリットに匹敵するデメリットはないのか、といった点については、よく考える必要がある。もう1つだけ引用。

二〇〇七年に、英国と米国、カナダ、オーストラリアの児童心理学者と児童セラピスト二七〇人から成るグループが、英国の新聞『デイリー・テレグラフ』への公開状の中で次のように主張した。「戸外での自由な、あまり厳しく監督されない遊び」は子供の成長に不可欠であり、それが失われること(部分的には「『見知らぬ人に注意』に対する親の心配」による)は「病気と診断されうる子供の精神衛生上の問題の爆発的増加」の原因になっているのかもしれない。

上に挙げたのはアメリカやらイギリスやらといった諸外国の例なので、日本では当然事情が違う部分もあろう。検証が必要だ。とはいえ、共通する部分も多いはず。少なくとも私は、読みながら少なからず「これ日本じゃん」と何度もつぶやくはめになった。それに、この本が主に諸外国の事例を挙げていることは、日本で「他国で例がある」とか「規制していないのは日本だけ」といった根拠で規制を押し付けようとする主張の基礎がいかにあやふやなものであるかということをも示しているとはいえないか。

この本もまた1つのポジショントークであるのかもしれないという留保をつけはするが、この本は少なくとも、私たちが現代社会を生きるうえで知っておくべきことをいくつかは教えてくれている。その最大のものは、私たちは、少なくとも私たちの中で責任のある一部の人たち(「腹」だけでなく「頭」も使うべき人々)は、リスクについて、その対処について、できる限りきちんと知ろうとすべきであるということだ。私なりにまとめるとこう。

正しく知り、賢く恐れよ。
少なくとも、そう努めよ。

こういう話を居心地悪く感じる人も少なからずいると思う。「腹」の世界に生きる人だ。そういう人は「発癌物質はコーヒー豆やニンジン、セロリ、ナッツに含まれ、その他にも非常に多くの農産物に含まれている」という事実や、イスラエル以外の地域で、人が一生のうちにテロによって負傷するか死ぬ確率は、おおざっぱにいって、雷に打たれて死ぬ確率や風呂で溺死する確率の数分の1ないし数十分の1程度である(日本でいえば、テロリストより餅のほうが毎年はるかに多くの犠牲者を生んでいる)という事実に直面することを、半ば本能的に、つまり「腹」で拒否するだろう。そういう人がいるのはある程度しかたないが、社会全体がそれでは困る。社会は全体としてその重要度に応じて資源を配分していかなければならないからだ。

当然、責任ある立場の人たちはこのあたりをわかっている、と期待したいが、どうも、わかってはいてもそうは行動してない、と思われるふしが少なからずある。もちろん、直接的には政治や行政にあたる人たちの責任だが、統治権限が国民に由来する私たちの社会のような場では、特にメディアの責任が大きい。この点については本書もかなりのスペースを割いているが、当然だろう。「人が犬をかむ」類のニュース、なんであれ人が死ぬニュースを追いかける習性があること、それらが主に彼ら自身の利害からくることを否定できる人はいないと思う。とはいえ、それを責めるばかりでは問題は解決しない。メディアを規制してすむ話ではないし、規制自体の生むデメリットも考える必要があるからだ。ただ、この業界の人たちがもし、自分たちの存在にパチンコ屋や遊園地より高いレベルの公共性があると自負するなら、自ずとやるべきこと、やるべきでないことの境界について、思うところがあるはずだとは思う。ちょっとパスカル風にいうとこんな感じかな?

メディアは社会を映す鏡。
でも少しは「考える鏡」であってほしい。

とはいえ、この本の著者も、とっさの判断の際の「腹」の重要性を否定はしていない。いくら子供への犯罪行為のリスクが「思ったほど」高くないとしても、たまたまその立場に立ってしまいそうになった子供には、「腹」で危険を察知して、すばやくそれから逃れてもらわなければならない。社会がリスクに満ちているように見えるとして、それが社会のせいであろうが自分自身のせいであろうが、そのリスクが襲いかかってくる先は自分だ。社会が「過保護」であろうが「自由放任」であろうが、自分の身を守るのは最後は自分しかない。社会やら政府やらの責任とはまったく別の次元で、それは自分の責任だ。そして、もし不合理な判断をしたとしたら、そのつけを払うのも自分。ほんのわずかなリスクを避けるために莫大な費用を使う無駄も、リスクを過小評価して自分が死んだ後にいくばくかの賠償金が払われるむなしさも、結局は自分のものだ。ジャイアンぽくまとめるとこんな感じか。

社会のリスクは自分のリスク。
自分のリスクは自分のリスク。

この本が指摘する点は個人的に非常に興味のあるところで、このブログでも似たようなことを何度も書いている。このブログに書かれていることを少しでも面白いと思う人なら、かなり面白く読めると思う。まるごと信じる必要はないが、参考にはなるはずだ。読みたくない人は、少なくとも、あなたの安心のために、あなただけでなく他のみんなもコストを負担している、ということぐらいは知っておいていただけるとありがたい。

最後に、特にこの本を薦めたい人を3人ほど挙げておく。
(1)古舘伊知郎。
 あと、報道に関わってる人みんな。
(2)舛添要一。
 あと、政治や行政に関わってる人みんな。
(3)アグネス・チャン。
 あと、みんな。

|

« 衆院選予測週刊現代090627 | Main | 「tsudaる」議員たち »

Comments

初めまして。山口先生のブログは日本語がしっかりしていて読みやすく、いつも楽しみに拝読しております。
いきなりで誠に勝手ながら、山口先生の「リスク」に関するご意見に深く共感いたしました。
なぜなら私、ただ今大学の授業で「ナイーラ『Nayirah』の証言」について勉強しているからです。
先生はご存じかと思われますが、あの事件は社会の鏡が政府ではなく、国民を動かしたものです。事件を調べてみて、以前、日本でもテレビ放送の翌日に「納豆が品切れになった」のを思い出しましたが、それ以上にわれわれ国民はこんなに簡単に動いてしまうのか、と驚きました。メディアのチカラといえば、ケビン・カーター氏が亡くなった一因もメディアによるものでしたね。
「より複雑化していく現代で、より良い生活のために情報がほしい。そして確かに身辺に情報は溢れている。しかし、必ずしもそれが正しいと信じられる裏付けがない。今度は裏付けのための情報がほしくなる。しかし、裏付けを裏付けるための情報がない。今度は裏付けを裏付けるための裏付けが……」ふと今、心に浮かびました。情報化社会を生きるのは大変ですね。
私はまだ無知蒙昧なため、意見の代わりに感想を述べさせていだだきま

Posted by: 黒衣2 | June 17, 2009 12:12 AM

黒衣2さん、コメントありがとうございます。
「ナイーラ『Nayirah』の証言」、覚えてます。当時のニュースですごい扱いでしたね。お金のためにあれをやったのもメディア企業なら、その疑惑を暴いたのもメディア企業でした。その意味では、社会の中でちがう意見が共存することの重要性、自由な言論の環境を保持することの重要性を如実に示した例でもあると思います。それは、「リスクのない、安心できる社会」とは必ずしも一致しないかもしれませんが。

Posted by: 山口 浩 | June 17, 2009 02:38 PM

お忙しい中、お返事ありがとうございます。前回の私のコメントは途中で切れてしまってましたね。失礼しました。
確かに、嘘を作ったのも暴いたのも分類としては同じメディアですが、やってることは真逆ですね。同業者でも、立場が違う相手の嘘は「鬼の首」として扱うのでしょうか。
僕にはなぜ「ナイーラの証言」が嘘だと発覚したのか、なぜあのあとも政権が続いたのかわかりません。しかし、そんなことで迷っていては「賢く恐れる」ことにならないのかもしれませんね。
お返事ありがとうございました。

Posted by: 黒衣2 | June 17, 2009 11:02 PM

黒衣2さん
同業者はライバルですから、「同業者でも、立場が違う相手の嘘は「鬼の首」として扱う」のはいわば当然です。だからこそ競争が必要なわけですね。何せ「第4の権力」ですし。
以下は想像ですが、嘘の発覚は、なんらかの情報があったんだと思います。見る人が見ればわかるでしょうからね。
その後も政権が続いたのは、政権中枢の人が直接嘘に関与したわけではないからでしょう。だまされた、ですむわけですから。

Posted by: 山口 浩 | June 18, 2009 02:54 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理:

» 子供が誘拐されて帰ってこない確率は140万分の1 [痛いテレビ]
アメリカでティーンエイジャーを含む子供が、見知らぬ大人に誘拐されて帰ってこない確率は年に140万分の1だそうです。確率的にいえば車に轢か [Read More]

Tracked on July 13, 2009 06:47 PM

« 衆院選予測週刊現代090627 | Main | 「tsudaる」議員たち »