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June 20, 2009

「天使の歩廊:ある建築家をめぐる物語」

中村弦著「天使の歩廊:ある建築家をめぐる物語」新潮社、2008年。


第20回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。「選考会開始直後に受賞(ほぼ)!」だったそうだ。「ほぼ」というのが気にならなくもないが、まあよかろ。とにかくダントツの1位、ということだ。いや実際、面白かった。飛行機の中で一気に読み通した。

「建築幻想小説」と銘打たれている。なんじゃそりゃ、という感じもしなくもないが、読めばああなるほど、となるだろう。こういうのをファンタジー小説と呼ぶべきなのかどうかよく知らないが、考えてみれば小説というものはすべて、大なり小なりファンタジーの賜物だし、まあ意味するところはわかる。語感としては「幻想」のほうがしっくりくるかな。

建築は音楽と似ている。音楽はただ音がならんでいるだけではない。セオリーに則り、形式に従って組み立てられてはじめて、耳に音楽として響く。建築も、緻密に設計され、しっかりした技術をもってきちんと建てられなければ、そもそも建築物として成立しない。

しかし、建築も音楽も、それだけではただの「入れ物」にすぎない。どちらも、そこにさまざまな思いが込められ、それらが具体的に表現されてはじめて、本当の価値が生まれる。それらは、事情のわからない者にとっては特段の意味を持たないかもしれないし、ひょっとしたら存在することすらわからないかもしれない。しかし、その「思い」の主、およびそれがわかる感性を備えた者にとっては大きな、ときに決定的な意味を持つ。

この作品は、そうした特別な「思い」を抱いた依頼者たちと、その「思い」を汲み取り、建築としてかたちにあらわす稀有な才能を持った1人の天才建築家が織りなす物語だ。

各章は時系列には並んでおらず、ばらばらの時点のほぼ独立した、しかし1人の数奇な運命を背負った建築家をめぐるエピソードを描きながら、全体として物語を紡いでいく。舞台は明治から昭和にかけての日本。当時の世相は記録映画や写真などで知るのみだが、明治維新や鹿鳴館をめぐるどたばた、大津事件、日露戦争、大正デモクラシーといった、歴史の教科書に載っているような事件やできごとを背景に、建築家は、さまざまな境遇の人たちからのさまざまな依頼を受ける。大きな時代の流れに翻弄された人たち、時代の制約から自らを押しつぶさざるを得なかった人たち。彼らの思いに、建築というかたちで応える。

本書の帯にこうある。

その男がつくる建物は、
住む人の心を狂わせる

人はもともと、心の中にさまざまな、表には出さない、あるいは出せない思いを宿している。ひょっとしたら、その本人も気づいていないという場合もあるのかもしれないが、おそらく、表に出さない、出せないのはそれなりに理由があるはずだ。そうした思いをあからさまに表に出し、はっきりとかたちにあわらすこと自体が、ある意味で「狂った」行為なのだろう。

しかし、外界から屋根と壁によって隔てられた建物の中でなら、人は心を解き放つことができる。、閉じた空間であるからこそ、自由に羽ばたくことができるわけだ。ましてやそれが、その秘められた思いを汲み、包み込みかつ解き放つような、そんな空間であったなら。この建築家の作る建物に繰り返し登場する「天使」というモチーフは、そうした自由の象徴であり、また依頼者をそこへ導く建築家自身の象徴でもある。彼の建てた家に、依頼主たちは皆、満足していた。「狂う」こと、「狂える」ことはその意味で幸せ、ということなんだろう。

・・いやなんか書評みたいになっちゃったぞ。個人的には書評というのはえらそうで好きじゃない。あくまで感想文、ということで。

建築家に家を建ててもらいたい、と思ったこともないではない。いや今でも、希望は捨てていない。この物語に登場する建物の中では、個人的には「迷宮閣」がお気に入りだ。自分でもどこに何があるかわからない家。「永遠に住める家」。思いもよらないところにつながっていたら面白いだろうな。

しかしまだ私は、狂ってしまうには早すぎる。建築家に家を頼むという行為は、そうでない人もいるんだろうが、私としては一種「上がり」という印象がぬぐえない。私はとても、そこまでいっていない。少なくとももうしばらくの間は、現実と格闘していたい。というか、そもそも先立つものがない。「狂う」にも元手は必要なのだ。ううむ。

ともあれ本書、建築をめぐる幻想小説、なのだが、とりあえずは、自分の家を建てたいと幻想する人にお勧め。建築が好きな人、戦前という時代に興味のある人にもお勧め。ちょっと思わせぶりな終わり方でもあるので、私としては続編を期待。

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