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ネットにもサイレントマジョリティはある

「ネット世論」ということばがある。「世論」というのは「世間一般の意見や考え」というぐらいの意味だろうから、それに「ネット」がくっつくと、「ネットの中で一般的な意見や考え」くらいになるだろうか。わざわざ「ネット」とつけるということは、「ネット世論」は「世論」とはちがうという含みがあるのかな。いまや全国民の7割だかがネットユーザーであるわけで、ネット世論が全体の世論とちがうというのもなんだか妙な気がするわけだが、ユーザー層は必ずしも国民一般の縮図とはなっていないのも事実だし、実感にもそこそこ合っているような気がするにはする。

それはいいとしても、「ネット世論」も「世論」の一種なわけで。となると、アレだなアレ。

世論を語るときに、サイレントマジョリティという考え方が持ち出されることがある。Wikipediaによると、1969年にニクソン大統領が「発言はしないが現体制を支持している多数派」という意味で演説に用いた、のだそうだ。まあそういう向きにとって便利なことばではあるが、だからといって一律に根拠のない空想であると決め付けるわけにもいかない。世論を構成する個々人の意見がそれと認識されるためにはなんらかの方法で「発言」される必要があり、それには大なり小なりの「コスト」がかかる以上、それを厭って発言を控える人が出てくるのも自然なことだからだ。

よく知られた「共有地の悲劇」と、構造は似ている。「共有地の悲劇」が起きるのは、つきつめれば共有地の利用に関して受けるメリットは個人で享受できるのに対して、負うべきコストは皆に分散されるからだ。つまり「やり得」ということ。公共事業を例にとると、事業のメリットの大半は少数、つまり典型的には工事関係者とその周辺が受け、そのコストの多くは多数、つまり国や自治体、ひいては国民全体が負ってくれる。ならば主張しない手はない。これに対して、その他の人々は、負うべきわずかなコストを免れるためにわざわざ反対の主張をするまでの強い動機を持たない。主張すること自体にコストがかかるうえ、推進派から批判を受けるという「コスト」もかかるからだ。だから公共事業は横並びを志向し、結果として過剰になる。

同じように、世論もまた、強い動機をもった少数の人々の意見で大きな部分が占められやすい。だからこそマスメディアが取材等で「声なき声」を拾い上げたり、世論調査でウラをとったりする必要があるわけだ。マスメディアにもそれぞれ固有のバイアスがあるようだが、さほど極端なものはないし、複数を見比べてバランスをとることもできる。定期的に行われる世論調査も、動向を知るのに役立つ。全体として、まあそこそこ信頼できる状況といえるだろう。

では、「ネット世論」のほうはどうだろうか。ここで気になるのが、「ネット世論」というときには、ネットで発言された内容のみを指すような風潮がみられることだ。このような考え方は、ネットを「通信手段」と考える発想からくるものではないかと思う。人が意思を伝達するために利用するツール、つまり「話してナンボ」と。しかし、現在のネットは、コミュニケーションの手段というより、むしろそこで時間をすごす「場」のような存在になりつつある。となれば、単にそこで話されている内容だけが大事なのではない。その場の空気やそこで共有される常識にも重要な意味がある。その意味で、ネットにもサイレント・マジョリティがある、とみたほうが適切だろう。

たとえば、ネット用語で「ROM」というのがあるが、あれはサイレント・マジョリティに近い人々ではなかろうか。総務省の「平成19年通信利用動向調査 世帯編」から「インターネットの利用目的」をみると、パソコンまたは携帯電話を通じてウェブサイトやブログの閲覧をしている人は42~49%ぐらいになるが、ウェブサイトやブログを自分で作っている人は3.8~4.7%。つまり、ネットユーザーといっても、自分から発信している人は一部にすぎない(同じ調査で、BBSやチャットの閲覧をしている人は13.7%だがそれらに書き込みをしている人は8.4%とあるから、BBSやチャットは参加者が比較的少ないがROM率も低い、逆にいえばアクティブ率が高いということになる)。

もちろん、ネット上のサイレント・マジョリティの考え方が表面にあらわれたネット世論とちがうとは限らないが、実社会で声高に主張している人と実際の世論との間に齟齬がみられることが珍しくないとすれば、同じメカニズムがネットでも働いているかもしれないと考えてもさほど不自然ではない。新聞投書だけが世論ではないのと同じように、2ちゃんねるに限らずネットで多く見られる罵詈雑言だけがネット世論というわけではない。

ネットは実社会に比べ、情報発信のコストが格段に低い。ある程度の匿名性もある。だから、声を上げたい人は簡単に声を上げられる、と思うのは必ずしも適切ではない。たとえ無料で使えるとしても、自らの時間と労力を割いて意見を表明するのはそれなりに大きなコストだし、仮に匿名で発言したとしても、自分の意見が否定され糾弾の対象になったりするのは精神的に大きな負担となる。となれば、ネットで発言する人は、その対象について、少なくともそのコストを上回る程度には強い利害関係もしくは思い入れなどがあるとみていいのではないか。そこまでのものがなければ、「ふーんまあいいや」とスルーしていく。ネットでも依然として、サイレント・マジョリティが生まれるメカニズムは基本的に変わらないのだ。もしそうなら、ネットに出ている言説とサイレント・マジョリティとの間に、多少なりとずれがあるケースは少なからずあるのではないか。

にもかかわらず、ネット世論を論じる際には、サイレント・マジョリティの声を拾おうとする取り組みが充分だったようにはあまりみえない。ウェブアンケートでは、「プロ」がやっている一部を除き、サンプルバイアスに対する適切な処理が行われているとはいえなさそうだし、特にお金がからまない領域では、もっとラフでナイーブな取り扱いをしてるところもいっぱいある。もちろんリアル社会と条件は同じではないから、気を使う領域やレベル、そのやり方はちがったりするのだろうが、もう少しこのあたりに気を使ってもいいのではないかと思うわけだ。

個人レベルの話としては、ネットで多少叩かれたからといって簡単に「ネットはこわい」とおじけづいてしまわなくてもいいんじゃないか、と思ったりする。実社会でも、すぐどなりちらす人とか、ちくちく文句いう人とかっているよね?だからといって、まわりのみんながこわい人ってわけじゃないよね?それと同じように考えたらどうかな。



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Comments

空気読んでる奴か。

Posted by: takahiro | July 29, 2009 at 04:41 PM

takahiroさん、コメントありがとうございます。
ネット上で反応しないからといって、別に「空気読んでる」とは限りません。「わざわざ」発言するほどの動機を持たない人がけっこういるのではないか、というのが本文の主張です。そもそもたいていのことがらは、世の中の大半の人にとって、実際の重要性はどうあれ「どうでもいいこと」ですから。世の中のすべての問題について積極的にどんどん発言してる人なんてそうそういるものではありません。自分が関心をもっている(つまり、自分が重要と考えている)問題については、他の人も同様に関心が高いだろうと考えるのは幻想だと思います。

Posted by: 山口 浩 | July 30, 2009 at 09:35 AM

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