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August 26, 2009

新聞への公的支援を検討しよう

一部で話題になったこの記事。新聞への公的支援を提言、と。それを毎日が載せているのがこれまた香ばしい、と盛り上がる向きが少なくない由。

メディア政策:新政権に望む 「表現・報道の自由」規制、デジタル社会、そして…」(毎日新聞2009年8月24日)

なるほど卓見ではないか。その通りだ新聞は守られるべきだな。よしこれに乗っかって、ちょっとだけ賛成の論陣を張ってみよう。

まずは内容を確認。記事中でこの主張をしているのはジャーナリストの原寿雄氏。共同通信社の元編集主幹、元社長だそうだ。えらい人なんだねえ。1月に「ジャーナリズムの可能性」なる本を出版された由。今このご時勢に、なんて思うのは素人。「いま原点に戻って、ジャーナリズム本来の力、役割を問い直す必要があるのではないか。長年の現場体験を踏まえ、放送、新聞の現状を検証し、再生の道を構想する。」という趣旨の本らしい。すばらしいではないか。で、その再生の道がこれ、ということなんだろうか。さっそく原文を。

民主主義社会ではジャーナリズムが不可欠だ。日本では社会文化政策として新聞ジャーナリズムの公的な支援論議はほとんどされてこなかったが、いまこそ始める時ではないか。再販制度や特殊指定制度は、新聞事業を維持するために、その意義が一層強まった。

うむ。なるほどその通りだ。民主主義社会には公衆浴場も必要だが、ジャーナリズムも不可欠だ。公衆浴場については、東京都も含む各地の自治体が、公衆衛生の向上・増進のため、さまざまな経営支援策を講じている。ほとんどの家庭に浴室が備わるようになった現在でも、世の中には浴室のない家に住む方はいるし、手軽な娯楽としてたまには大きなお風呂に入りたいという方もいよう。スーパー銭湯がたくさんできても、そこまで行けない人もいる。そういう方のために地域の公衆浴場は必要であり、顧客が少なくなってその経営が成り立たなくなったら、経営支援で支えようってわけだ。なんたって、少なくなっても顧客層の人たちは投票率高そうだしな。

いまやジャーナリズムの分野でも、人々がマスメディア以外のさまざまなルートで情報を入手し、あるいは自ら発信していく、また、情報の信頼性についてもある程度は自ら検証していけるだけの力を手にしたが、そうでない人たちもまだいる。少なくなってしまった顧客で経営を成り立たせるためには、公的支援が必要だ、とこういうことだな。こちらも、顧客層の数は少なくなっても(それでも公衆浴場の顧客よりはまだだいぶ多いだろう)投票率は高そうだし。風が吹けば桶屋がもうかるが、新聞社が儲かれば通信社ももうかる。

ふむ。だから特殊浴j、もとい特殊指定も維持か。そうだな。特殊指定につきものの販促品の洗剤も、日本の大事な文化だし、何より新聞事業の維持のためには不可欠だもんな。もちろん押し紙も。

欧米の政策を参考にした税制上の優遇や、教育文化政策の一環として、ジャーナリズムの社会的な重要性を学ぶためのカリキュラムを強化したり、義務教育が修了する15歳を機に新聞の1年間無料配布を検討してもいい。年500億円で足りよう。

ほほう。今でもあちこちの学校の入学試験で新聞記事が使われたり、授業の中で新聞記事を使ったり(そういえば、新聞紙も貴重な教材だな。夏休みの工作なんかに使えるし)、あちこちの公共図書館でさして読まれもしない新聞をとったりしているが、それでは不足なのか。年間500億円。新聞社の売上ってだいたい年間2兆円くらいくらいらしいが、それで足りるのかな。あ、そうか新聞・通信社の従業員数がだいたい5万人だから、1人あたり年間100万円という計算か。それとも、月ぎめ3000円として約140万人分の購読料相当額?

税制上の優遇、ね。利益は出るって前提でいいのかな。いや、いい考えがある。人々にあんまり利用されないけど文化的価値が高いものっていえば、ほら文化財があるじゃん。これだよこれ。新聞も無形文化財になればいいんだ。すると新聞社は財団法人とかになって。名記者とか活字職人とかには人間国宝とかになってもらって。徒弟制で有望な新人を育成すると。「事実を歪曲するな!」とか「ネットの情報を鵜呑みにするな!」とかみたいな、最近は忘れられがちな基礎の基礎から厳しく鍛えてもらおう。これも誇るべき文化をしっかり次世代に残していくためには欠かせない。新聞販売店にも、名人とかきっといるだろうな。配達とか、集金とか新規開拓とか。これも人間国宝ってことで。

で、こういう誇るべき文化はぜひ広く社会で共有していかなければ。新聞をとる世帯は減ってきているようだし、とってる家庭でも子どもが読んでるとは限らないから、やはり直接見せる機会を作るべきだろう。小学生は皆で新聞社に社会科見学に行くと。で、係のお姉さんだかおじさんだかに説明してもらうわけだ。「昔、新聞というものがあってね・・」

そういえば、新聞にもいろいろあるよな。われらが日本の誇るべきスポーツ新聞とかも公的支援の対象なんだろうか。あの独特の見出しのつけ方とか、羊頭狗肉の書きっぷりなんかは、あれをクールジャパンと呼ばずして何を、というぐらいなもの。ぜひ次世代に伝えたい。これもあわせてぜひ公的支援をしていただくとよかろう。あ、最近いろいろ大変らしいナイタイもついでに一緒に支援してもらったらどうかな。あれも立派な日本文化じゃないか・・


・・ちょっとだけまじめな話。どの業界でもそうだが、公的支援をいうなら、その前にそれなりの自助努力はあってしかるべきだ。佐々木さんの本じゃないが(佐々木さんがそう考えているかどうかは知らないけど)、10年とはいわないまでも2、3年は早い、と思う。もちろん、新聞がまったく消えてしまっていいと思ってる人は、それほど多くないだろう。プロのジャーナリストによる報道は必要だ、というのは今でも世の中の総意といっていいのではないか。でも、それは今の会社数、今の人数が必要ということではないし、今の給与水準が必要ということでもない。地方紙はともかく、全国紙が5つ必要なんて思ってる人、業界の外にそうたくさんはいないと思うな。もちろん、心あるジャーナリストの方なら必ず考えてるだろうが、公的支援を受けることと言論の自由を守ることの関係については、もっと警戒感を持っていただきたい。


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Comments

URLで紹介したブログで書いてあったんですが、毎日は国家組織とべったりになりながら、同じ組織が問題を起こしたとすると手のひら返しをして攻撃する節操のない会社みたいですね。僕もwaiwai問題をひた隠ししてた事を考えたならば、マズコミは自然消滅してくれたほうが日本の為です。

Posted by: マサキ | August 26, 2009 08:35 PM

マサキさん、コメントありがとうございます。
ええと、マスメディアの情報を鵜呑みにしないのはいいことですが、ならばブログの情報を鵜呑みにするのもおかしいですね。幅広い情報に触れてください。複数のソースからとるだけでなく、反対の立場からの情報、無関係の立場からの情報も組み合わせて、物事を立体的に理解するようにしてみてください。
別にこの記事は、毎日新聞なんかつぶれてしまえと書いているわけではありませんし、毎日新聞の記事は信用できないと書いているわけでもありません。毎日新聞は、産経や読売、朝日や日経など他の新聞社と同様、実績と定評のある報道機関であり、優れた記者がたくさんいます。よく専門家の方でマスメディアを手厳しく批判している人がいますが、そういう人たちはこうした「定評」の部分を自明の前提として省略しているのであって、根っこからだめだとか主張しているわけではありません。そういった文脈を理解するためにも、ぜひ多様な情報に触れてみてください。自分とちがう考え方がなぜあるのかを理解してください。そういうことを「メディアリテラシー」といいます。

Posted by: 山口 浩 | August 26, 2009 10:22 PM

山口さん本当に新聞は常に正しいとでも思ってるんですか?
昔、負け戦を正確に伝えなかった歴史がありますが。
誰も潰せとは言っていないですよ。読者から信頼の得られない新聞は、市場原理で潰れても仕方がないと言っているまでです。良く読んで下さい。
ブログの記事は正しいかは俺も知らないけど、音声が公開されていれば信憑性はすこぶる高いでしょう。専門家に聞かせれば編集しているかがたちどころにばればれです。しかし、記者が見聞きしたと言ってる事を原稿に書き写してそこから活字に起こしているんだから、疑ってしまえば信憑性は凄く低いと言える。
山口さんの言ってることは「メディアリテラシー」ではありません。盲目に信用しきっている愚民による「提灯記事」と言うのです。

Posted by: マサキ | August 27, 2009 10:53 AM

マサキさん
私がどこに「新聞は常に正しい」と書きましたか?人の意見はよく読みましょう。いろいろな意見を吸収して、自分なりの考えを持つようにしてください。ただ1ついえるのは、何か特定のものごとで全体を判断したりすることは危険だ、ということです。ものごとには必ず表裏があり、立場のちがう人からはちがって見え、ときに相矛盾するとしか思われない事実が平気で共存すらします。対象に近づいてよく見ることと同じくらい、対象から離れて大きな図を見ることも必要です。

「市場原理で潰れても仕方がない」ということは、「国家組織とべったりになりながら、同じ組織が問題を起こしたとすると手のひら返しをして攻撃する」ことや、「waiwai問題をひた隠ししてた事」とまったく関係がないわけではありませんが、その主要な原因でもありません。「市場原理で潰れ」る可能性が比較的高い会社は他にもありますからね。意図がどうあったにせよ、先のコメントの書き方は、政治的な意見から毎日新聞はつぶれたほうがよいという主張のように読むほうが自然かと思いますので念のため。

それから、子どものけんかではないのですから、議論の際のことば遣いには気をつけましょう。「マズコミ」(「マスゴミ」と書きたかったんでしょうか?それとも最近はこういうのかな?)といった罵倒表現や、「愚民」のようなアジテーション色の強いことばは、冷静な議論の場ではむしろご自身の主張の説得力を下げますよ。

Posted by: 山口 浩 | August 27, 2009 11:45 AM

自己レス。本文に「公的支援をいうなら、その前にそれなりの自助努力はあってしかるべき」と書いたんだが、ひょっとして銀行業界の前例に学んだのだろうか。とするとこの人たち、思ったより手ごわいかもしれん。

Posted by: 山口 浩 | August 29, 2009 09:06 AM

Wikiのような客観的にまとまった文書は、
民主的に維持されているのではないのでしょうか
情報をゆがめようとする圧力がなければ、無料で客観的に正しい、自由な文書が作れるのです。
Wikiが、おかしくなるのは荒らしがいるときです。
Wiki管理者の思惑にはんして、間違った情報を
提供しようという圧力がかかると、Wikiはおかしくなります。そのようなWikiは、面白いかもしれませんが、情報源としては信頼性にかけるものでしょう。
正しい情報というのは数多くの人のチェックに耐え抜いてこそ正しいと言えるんじゃないかと思います。新聞も面白さや読者の受け狙いより、Wikiを見習って、多くの人の検証やコメントをつけれるようにしてみてはどうでしょう。かなりの新聞社は倒産してしまうかもしれないけれど、いい新聞になるとおもいます。、

Posted by: 水野 立郎 | September 06, 2009 11:26 PM

水野 立郎さん、コメントありがとうございます。
WikiとWikipediaはちがうものなんですが、言及しておられるのはWikipediaかと推察しますので、それを前提として。
多くの人のチェックがWikipediaの正しさを担保するとは限りません。大多数の人はあの情報をただ利用するだけですからね。Wikipediaに多くの正しい情報が出ているのは、それを多くの人が閲覧したからではなく、そこそこの人数の充分な情報と判断力をもった人たちが作成に関与しているからでしょう。ではその人たちはその情報や判断力をどこから得たのか。無料で得たのでしょうか?おそらくちがいます。多くの場合、元をたどればコストと時間をかけて身につけた教育訓練の成果なり、買ってきた情報なりを二次利用しているはずです。つまりWikipediaは、誰かが有償で取得した情報を無料で提供しあうことで成り立っているのであって、その意味で「有償」の情報を完全に代替するものではありません。マスメディアに期待されているのは、基本的にはその「有償」の情報の部分であり、Wikipediaをまねしてどうなるというものでもありません。
本文の主張は、その「有償」の部分は必要だがもう少し少なくなってもおそらく問題ないと思う、というものです。
今、ネットではニュース記事をネタにして発信される情報が山ほどありますから、新聞社が自社サイトにコメント機能をわざわざつけなくても、記事に対する反響やコメントは簡単にわかります。それに、ニュースというのは基本的にほとんどがフロー情報なので、1つの記事についてあれこれ議論するより、別の情報があるなら別の記事で出していけばいいと思います。
要するに、Wikipediaを引き合いに出すのはあまり適切だと思いません、ということです。新聞が読者からの批判にもっと応えよ、という一般論には賛成しますが。

Posted by: 山口 浩 | September 07, 2009 10:57 AM

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