大学教育における学長車の重要性について
昨今の予算削減「ブーム」に関しては、一般論はともかく、個人的な立場からすれば、職業柄、教育関連予算の削減への危惧を強く持っている。というわけで関連のニュースにはつい目が向くのだが、2009年11月30日付朝日新聞に出ていた記事には目をむいた。
「国立大の窮状アピール 学長ら「予算削減、教育に影響」という見出し。11月26日に国立大学協会が発表した緊急アピールに関連して開いた記者会見をとりあげたもの。
大阪大の鷲田清一総長は「国立大は2004年の法人化の時に事業仕分けをしたようなものだ」と話し、「かつて、運転手は学部数より多かったが、最後の1人が来年3月に退職する。カラーコピーはモデルだけで、ほかは配るのは白黒、封筒は裏返してリサイクル」と経費削減の努力を紹介した。
また、九州工業大の下村輝夫学長が「職員に事故を心配されるが、自分で運転して三つのキャンパスを移動している。学長自らが運転する時代なんです」というと、東京芸術大の宮田亮平学長は「私の場合、移動はオープンカーの自転車です」と応じた。
で、
アピールは「大学予算の縮減は国の知的基盤、発展の礎を崩壊させる」とし、民主党が政策集に載せた「交付金の削減方針を見直す」という姿勢を貫くよう求めた。
と。
もっと大切なことをいろいろな語っただろうに、この部分をメインにとりあげて記事を書いた記者(署名がないので誰かはわからない)も相当意地が悪い(というかむしろ悪意すら感じる)と思うが、この記者会見の趣旨からみて、その場で学長車のことをわずかでも話題に出すこと自体いかがなものかといわれてもいたしかたないところはあろう。聞かれてやむをえず答えた、のだろうか。会見の模様を見ていないのでよくわからないが、たとえそうだとしても揚げ足をとられるすきがあったのは事実だ。
いや別に学長車がいちがいにぜいたくだというつもりはない。職務の重要性やらスケジュール上の必要性やらから、移動に際して専用の車を配置したほうがいい場合があろうことはわかる。それでも考える余地はあるわけだ。どんなシステムだったか知らないが、「最後の運転手が退職」ということは、他の業務と兼務かもしれないが職員として今まで雇っていたということだろう。職員を充てるべき職務なのか。車をどうしていたか知らないが、もし所有していたとすれば、本当に費用をかけて保有しておくべきものなのか。必要なときにタクシーやハイヤーを呼ぶのでは本当にまずいのか。地域によっては、公共交通機関やら「オープンカーの自転車」やらですまないのか。そもそもその予算を若手研究者に配分する等、他で活用する余地はなかいのか。
そういった検討をふまえて、独法化の際に学長車を廃止の方向にもっていこうとしたのだろう。それを、教育・研究への影響をアピールする場でわずかでも話題に出したら、揚げ足をとられてしまうであろうくらいの想像力は「経営者」としてもっておいてほしいところだ。とある私立大学では、理事が昼間にキャンパス内の空室の電灯を消して歩くらしい。それで削減できる経費など知れたものだし、理事ならその時間でもっと意味のある仕事をすべきだと思うが、まあ危機感はわかる。企業のオフィスや工場だって、昼休みに電灯を消すところはいくらもあるだろう。「コピー用紙の裏は使うな」と戒める向きもあるが、「学長車」の論理よりはましだ。少なくとも今は、政府を、というか国民を納得させなければならない場なのだし。
もし「大学教育の充実には学長車が必要だ」と主張したいなら、それもアリだとは思うが、まあ常識的にはそっち方向ではなかろう。民間企業なら危機管理コンサルタントに記者会見での答え方の指南を受けるところだったのかもしれない。大学にそんな余裕はないだろうが、ともあれ国立大学のみならず大学界全体を代表する立場にもあるわけで、ぜひがんばっていただきたい。個人的な利害の意味でも今後いっそうの「健闘」を期待するところ。
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Comments
昔は、すごかったんですねー。大学が運転手雇うなんてかんがえられないなー
Posted by: のひ | November 30, 2009 07:38 PM
のひさん、コメントありがとうございます。
今でもそうですが、少なくとも日本において国立大学の学長というのは、非常に社会的地位の高い存在です。学長車があって運転手を抱えていること自体は、「本来」なら違和感のある状況ではありません。この話は、予算を削られて若手研究者の雇用が危ないとかいってる状況で学長車の話が出てきたからびっくりして書いたものです。そこでその話を出すんかい!というわけです。
Posted by: 山口 浩 | December 01, 2009 05:52 PM
”学長車があって運転手を抱えていること”に、私は違和感を感じます。社会的地位が高いからのみだけで専用車と運転手を抱えてよいという考えは、国民に理解されにくい時代になっているのだと思います(それとも世代によるのかなー)。
ーー
ごめんなさい。タイトルとは少し外れたところへコメントしてしまいました。でもあまりにもびっくりしたので。
Posted by: のひ | December 02, 2009 01:26 PM
のひさん
まあお気持ちはわかります。本来、「社会的地位」というより「職務上の必要性」みたいなところで決めるべきものですよね。両者がきれいにリンクしていればいいんですけど、必ずしもそうとは限らなかったりするわけで。
Posted by: 山口 浩 | December 04, 2009 12:38 PM