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January 07, 2010

「大学の歴史」

クリストフ・シャルル、ジャック。ヴェルジェ著、岡山茂、谷口清彦訳「大学の歴史」(文庫クセジュ、2009年)。

大学の歴史に関する研究書がどのくらいあるのか詳しいことはよく知らないが、けっこうたくさんあるらしい。一般向けとしてはこの本のほか、中公新書で「大学の誕生〈上〉」「大学の誕生〈下〉」が出てるがそちらは日本の話。西欧の話だとハスキンズの「大学の起源」(←これ2009年刊なんだが再刊なんだろうか)とかが有名なんだろうだけど、あれは中世の話。本書「大学の歴史」は、中世ヨーロッパに始まり、20世紀半ばまでの世界の大学の歴史をおおざっぱに通観している。まあ大半はヨーロッパの話だが、まあ地域的なバイアスというより大学の歴史のうちかなりの部分がヨーロッパの大学の歴史であったことの反映にすぎない。

それだけ大きな話を新書1冊にまとめきれるわけもなく、当然ながらこの本は、大学という機関というかしくみというか、そういったものがたどってきた歴史をおおざっぱに振り返ってその背景やら影響やらを分析するといったもの。読んでいくと、全体を通しての現代的「視点」といったものを強く感じる。それはたとえば、まえがきにあるこの文章にもあらわれているかもしれない。

大学という制度は、長いあいだ、変わることなく存続してきたように思われている(それゆえ往々にしてなんら動きのない状態にあるようにも見える)。だが、明らかにしなければならないのは、じっさいはその大学制度が時代の移り変わりとともに深刻な変容を経験してきたという点である。

実際、歴史の古い名門大学なんかだと、昔からの建物、制度や慣行なんかがそのまま残っていたりして、おおこれぞ伝統の重み、などと思ってしまったりするから、さぞかし変わっていないんだろうと想像してしまいがちだが、そうではないというわけだ。まあ考えてみれば当然で、今まで続いているということは今の時代に適合しているということであって、そのためには昔のままのところより変わっている部分のほうがだんぜん多いはず。そこまでは簡単に想像がつく。

興味深いのは、この、遠い過去に大学が経験した「変容」が、その本質においてなんとも「現代的」というか、今の話としても通じるような現代性をもったものであるということだ。この本に書かれていた内容を整理して、ちょっと例を挙げてみる。あえて時代を含めずに抽象化して書いてみるが、現代的な課題として読めるだろうか。

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大学は国家などの支援があって初めてなりたつ。国などによって設立されたり、さまざまな特権や運営費の支援を受けたりすることにより、大学はより多くの学生に高等教育の機会を与えることができるようになった。しかし一方で、これにより学問の自由や大学の自治には大きな制約が加わる結果となっている。

さまざまな分野で、新たな「知」が大学あるいは大学人から生まれた。過去の権威にとらわれず、学問を追求した成果である。とはいえ、大学で学生に対して実際に行われている教育の大半は、基本的には過去の知識の再生産にすぎない。多くの新たな「知」が大学以外の場所で生まれる一方で、少なからぬ大学教員が、新たな知の生産に関してさしたる貢献をしていない。

むろん「過去の知識の再生産」にも重要な意義がある。実際、大学は、さまざまな分野に一定の知的水準を備えた「知識人」を送り出すことによって、社会の発展やその維持に無視できない役割を果たしている。国が支援する大きな理由の1つがこれだ。

大学はまた、社会における流動性を高めることにも寄与している。すぐれた大学には多くの国や地域から優秀な学生が集まり、こうした大学教員や学生たちの移動が、地域間、あるいは国家間での「知の交流」を可能にした。また、大学教育は、恵まれた者たちだけでなく、多くの中産階級の子弟に職業面でのステップアップの機会を与えることにより、社会階層の面でも流動性と活力を生み出してきた。

しかし、時間の経過とともに、大学教育にも形骸化が進行する。大学はしだいに就職のための学位製造機としての要素が強まり、学生の側にはより容易に学位を取得できる大学を選ぼうとする傾向や、不正行為によって学位を取得しようとする行動なども見られるようになる。一方教員にもきちんと教育を行わない怠慢者がいる。こうした「劣化」により、全体として大学教育への信用は低下してしまい、改革を迫られている。

とはいえ、こうした問題の原因が大学だけにあるとみるのも酷である。大学教育の停滞の一因として、学位取得者の就職難も挙げられる。社会が硬直化し、学位取得者の有力な就職先だった職種が既得権層によって占められてしまうようになったため、大学教育自体の意義自体に疑問を呈する動きが活発となった。その意味でも、大学のあり方は社会情勢と無縁ではいられないのである。

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これらは、12~17世紀ごろまでの間にヨーロッパの大学で起きたことだ。大学は、12世紀ごろヨーロッパの各地でほぼ同時期に誕生したのだが、その初期から教会や国家の庇護があった。当時は教師や学生たちの作った組合をベースに教育が行われていたが、これに対して教会や国がさまざまな特権を与えた。

大学に対する国家の関与が強まったのは14~15世紀ごろだった。国家や都市の発達により、より多くの行政官その他の知的人材を必要とするようになったためだ。国によって数多くの大学が設立されるようになり、学生数も飛躍的に増加していくが、大学教育の質の低下はすでにこのころから問題となっていた。国家の関与が不可避となった一因は、大学教育の質を一定以上に保つためでもあったとされる。国家関与の増大とともに、初期に認められていた大学の自治や特権の多くも奪われていった。また、15世紀にはすでに「旧態依然」とした大学教育の硬直性を厳しく批判する動きも出ている。

興味深いのは当時の学生の構成だ。中世の大学教員や学生がヨーロッパ各地を渡り歩いていたという事実は比較的有名だが、社会的出自についてのくだりは意外だった。14~15世紀ごろの学生について、こうある。

中世の大学において、貴族階級の学生数が多かったことは一度もなかった。たいていの場合、貴族の学生が占める割合は五パーセントに満たず、例外的に多い場合でもせいぜい一〇から一五パーセントに留まった。(中略)以上のことから考えられるのは、学生ならびに学位取得者のほとんどが「中産階級」の出身だったということであり、しかも都市部の出身者に限られていたということである(公証人、商人、比較的裕福な職人)。

また、16世紀のパリ大学学生については、

貴族出身の学生は少なくとも九・五パーセントを占めていた(商人の子弟が三七・四パーセント、職人の子弟が一八・九パーセント、農民の子弟が一〇・三パーセントである)。

との研究がある。

こうした流れと同時並行的に、大学の学位製造機化が進行していく。いつの時代も、学問をしたくて大学に行く者はそれほど多くはないということだろう。したがって、就職に支障が出れば大学教育自体に対する疑問が出てくるのも当然といえば当然だ。それが起きたのが16~18世紀ごろ。大学卒業者に開かれていた官吏のような職業が世襲になってしまったことが引き金とされている。社会構造の変化が一段落して安定期に入ったのかもしれないが、とにかくここで、大学が果たしてきた役割がうまく果たせなくなったわけだ。

この後大学は18世紀、19世紀と改革を続けていくことになる。そのあたりは本書でお読みいただきたいが、教育内容や方式の革新と社会ニーズとの乖離、大学教育の普及と質の低下とのせめぎあい、あるいは学生層の増大による社会的変革への動きと既得権層の反発といったところがキーワードになるかもしれない。どれも今の日本にとって縁遠くはない話だ。

つまりいいたいのは、大学をめぐる問題として今日本で指摘されていることの少なくともいくつかは、現代日本固有の問題というより、大学そのもの、あるいは大学と社会との関係に関するかなり本質的な問題を含むものであるかもしれない、ということだ。それはまた、世相評論家の皆さんとかがせいぜいここ20~30年の国内情勢とかをベースにあれこれ論じることの意義はさほど大きくないということも意味する。中には、西欧の大学がすでに克服・解決した課題もあるかもしれない。それらの意味で、大学がこれまでたどってきた歴史を知ることは、現代を、そして将来を考えるにあたって少なからず有益ではないかと思う。

大学に関係するすべての人にお勧め。

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