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February 24, 2010

斎藤美奈子が石原慎太郎作品をけちょんけちょんに批判しててこわいよー

小ネタ。「評論家」という職業の人に対しては、どうもおっかないという印象がつきまとって離れない。別に評論が悪口とちがうくらいのことはわかるんだが、自分の偏見か、どうも辛口の方が多いように見える。ちっとやそっとじゃあほめてなんかやらないぞ、みたいな。特にこわいのは文芸の領域。評論家と聞いただけでもう脳内では海原雄山みたいな顔がいっぱいに広がってきてしまって、うわー助けて勘弁して、と逃げ出したくなる。自分が評論の対象になってるわけじゃもちろんないのに。

というわけで、毎週こわいもの見たさでちら見だけしている朝日新聞の文芸時評欄。斎藤美奈子氏が書いてるのだが、この人の「毒舌」ぶりがまたはんぱじゃない。2010年2月23日付の文芸時評欄で石原慎太郎氏の作品が取り上げられていて、その斬り捨て方があんまりといえばあんまりなので思わず全文読んじゃった。

この日のこの欄、「「私」を語る方法」という見出しがついてる。いわゆる私小説を取り上げてるのだが、そもそもこの人、「私語り」があんまり好きではないらしい。書き始めがいきなりこう。

年齢や性別を問わず日本人は「私語り」が好きである。ネット上にあふれる日記風のブログの山を見ているとそう思わざるを得ない。学校で自分を語る作文ばっかり書かされたせいなのか、日記人口がもともと多いのか、はたまた「私小説の国」だからかはわからないけど。

で、「もっとも私語りの文章が読める(読むに値する)かどうかはまた別である」と続くのだが、それが実は上記の素人の「日記風のブログ」(この表現なんか面白いね。ほら昔ブログのことを「日記風ホームページ」とか言ったじゃん)ではなく、「新潮」2010年3月号の特集「小説家52人の2009年日記リレー」を指しているのだから、こわさもひとしお。「読むに値するかどうかは別」(いうまでもなくこれは「値しない」と言ってるわけで)なんて表現、常人ならまず使えないよ?

で、この方の興味は「日記を超えた私語りはいかにして可能か」へと向かう。他人にとってどうでもいい「私」の世界を超えた一般性を持つことはできるか、というわけだ。で、取り上げてる3つの作品のうち最初の2つ、岡田睦「灯」(群像2010年3月号)と松本圭二「詩人調査」(新潮2010年3月号)はかろうじておめがねにかなったらしい。前者はオートエスノグラフィ(自伝的民族誌、らしい)の手法によって自身の半生を語り、後者は「意匠的にはすでに懐かしい80年代風のポストモダン小説」(80年代風のポストモダン小説なるものにうといのでそれが何を意味するのか正直わからないのだが、これってやっぱりあんまりほめてないよね?)のかたちをとって、詩人自身が「詩人にとって詩とは何か」を語っている。要するに、自らを客観的な視点から語ることで、「日記を超えた私語り」、言い換えれば「読むに値する」「私語り」になったということらしい。よくわかんないけど。

ここで話題は一転、東大先端研の福島智教授の学位論文に移る。ご存知の方も多いと思うが、視覚と聴覚を失いながら学位をとって東大教授になってバリアフリーの研究をしておられる方。この方の学位論文は「福島智における視覚・聴覚の喪失と『指点字』を用いたコミュニケーション再構築の過程に関する研究」というタイトルらしい。オートエスノグラフィ、つまり「私語り」の手法で書かれた論文というわけだ。

なぜこの論文が出てくるか。実はこの論文が、この書評で取り上げてる3つめの小説、石原慎太郎「再生」(文学界2010年3月号)に関係するからだ。「関係」といってもただの関係じゃない。「多くの部分を脚色引用」している、と自ら断り書きをしているくらいらしい。つまり、上記福島論文が本人を客観的に見ているのと対照的に、「再生」は他人である石原が福島「本人」の一人称視点で語る私小説形式になっている、と。斎藤によれば「登場する逸話の多くは論文とほぼ同じだし、論文にはない成人後、結婚後の逸話は参考文献にあげられた光成沢美『指先で紡ぐ愛』、生井久美子『ゆびさきの宇宙』から多くを採っている」のだそうだ。どちらも福島教授のことを書いた本。

で、本題の「バッサリ」はここから。引用する。

実話をモチーフにした小説作品は珍しくなく、素材に力がある分、小説もそれなりには読ませる。が、特定の出典にここまで依拠した作品を「創作」と呼んで文芸誌の巻頭に載せる意味がわからない。

うわわ。そもそも「創作」と呼ぶに値しないっていう評価だよね?これ。

「創作」と呼べる部分があるとしたら、語り手の恋愛体験や性体験だろうが(それがまたいかにも石原慎太郎好みの「創作」でゾッとしないのだが)、出典との関係を無視しても「再生」には小説としての広がりも深みもなく「さよか」というだけ。

ひええこわいよー。必殺の「So what?」攻撃。もし自分が作家でこんなこと書かれたら、絶対立ち直れないだろうなあ。かの人は強そうだからそんなことないんだろうけど。

で、締めくくりはこう。

他者を主観的に語るのは、自分を客観的に語るのと同じくらいむずかしい。小説家にはその両方が求められる。日記ブログとの違いはそこ。片手間ではとてもできない仕事である。

・・・うわー・・。
「片手間仕事」だってさ。もう何もいうことはあるまい。斎藤美奈子おそるべし。
こうなったら、石原氏には一刻も早く「片手間」状態から足を洗って、専業作家としてリベンジしてもらうしかない、ということだな。・・あれ?ひょっとして、これが隠しテーマだったりして?


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Comments

面白かったです。斎藤美奈子という人がどういう人なのか、興味がわいてきました。どうもありがとうございます。

Posted by: fujita | April 04, 2013 10:16 PM

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