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小さな英雄を必要とする社会は小さく不幸である、という話

「英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」ということばがある。この手のものにはうといのだが、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトの作品「ガリレイの生涯」中の台詞らしい。1939年の作品だそうで、事情は知らないが時代背景を考えるとさもありなんという感じはする。

そんなことをふと思い出したりした一件。ずっと小さなレベルでだが、私たちにとってはそれなりに意味があると思うので。できるだけ手短にいきたいのだが無駄に長い文章を書く芸風らしいのでそこは仕様ということでひとつ。

今朝、つまり2010年3月6日のニュースにこういうものがあった。

線路に男性転落、俳優の池田努さんら救助 表参道駅」(朝日新聞)
東京メトロ銀座線・表参道駅(東京都港区)で4日夜、ホームから線路に転落した男性(71)を、たまたま居合わせた俳優池田努さん(31)と会社員秋山佳範さん(23)が助け出した。電車が迫るなか、わずか約40秒の救出劇だったという。東京消防庁は5日、秋山さんに感謝状を贈り、池田さんとホームにいて救護に当たった男性医師にも贈る予定だ。

「電車は約420メートルまで迫っていたが、他の乗客が緊急停止ボタンを押し、約300メートル手前で停止した」のだそうで、一瞬の連携プレーがあったわけだ。ホームに落ちた男性は酒に酔っていたとのこと。ボタンを押した人には感謝状を送らないんだろうか、などと気にならなくもないが、ひょっとして名乗り出なかったのかもしれないし、まあそこはいいとして。

このケースは有名人が関わっていたせいでよけいに注目を浴びたのだろうが、こういう話はそれほど珍しくないように思う。最近も似た話があったよなあ、と思い出すのは2月15日のこのニュース。

迫る電車 ホームから転落の女性を間一髪で救助 東京・JR高円寺駅」(産経新聞)
15日午後9時15分ごろ、東京都杉並区高円寺南のJR高円寺駅の中央線快速の上り線ホームで、都内の20代の女性が線路に転落した。
 そばにいた都内の20代の男性会社員が女性を助けるために線路に降りた。警視庁杉並署や東京消防庁によると、列車が間近に迫っていたことから、男性はとっさに女性を線路の真ん中に寝かせ、男性はホーム下の退避スペースに避難した。

これはほんとに間一髪。よく無事だったと変に感心してしまうくらい。何しろ以下のケースだって、忘れてない人は多いはずだ。

新大久保駅乗客転落事故」(Wikipedia)
新大久保駅乗客転落事故(しんおおくぼえきじょうきゃくてんらくじこ)は、2001年(平成13 年)1月26日(金曜日)の19時14分頃に東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線新大久保駅で発生した鉄道人身障害事故である。
事故概要
山手線新大久保駅で泥酔した男性がプラットホームから線路に転落し、さらに、その男性を救助しようとして線路に飛び降りた日本人カメラマンと韓国人留学生の男性が、折から進入してきた電車にはねられ、3人とも死亡した。

こういう危険な事故が日常茶飯事であるとまではいえないだろうが、それほどレアケースというほどでもない。ちょっと見ただけでも、たとえば東京メトロでは、平成20年度にホームからの転落によるもの3件、ホーム上での列車との接触12件で計15件の人身事故が発生している(PDF)。この他に自殺目的の飛び込みが9件。JR東日本では2008年度に鉄道人身傷害事故が計92件、線路内立ち入りや自殺などによる輸送障害が334件発生している(PDF)。こういうのを各社が出してるらしいから運輸安全委員会あたりでまとめたものを作ってくれればと思うが、どうもそういう発想はないのか見つからない(ご存知の方ぜひ教えていただきたく)。ともあれけっこうあることはまちがいなさそう。特に大都市圏であれば、それなりの件数があるのではないかと思う。

上に挙げた転落事故の際、救助に参加された方々の勇気ある行動はいうまでもなく賞賛に値する。誰にでもできることではない。ホームに下りること自体は危険な行為で、鉄道会社の方は決して薦めないだろうが、助けようとした真摯な思いはやはり尊ぶべきだ。それは前提として。

「小さな英雄」という形容が適切かどうかはわからないが、そういう人を仮にこう呼ぶとしよう。ここで冒頭の話につながる。「英雄のいない時代は不幸」であるのと似た意味で、「小さな英雄」のいない時代もやはりちょっと不幸であろうことに異論がある人は少ないのではないかと想像する。自分がそうできるかどうか別としても、線路に落ちた人を誰も助けようとしない社会よりも、助けようとする人が現れる社会のほうがいい。

とはいえ。「英雄を必要とする時代はもっと不幸」であるのと同じように、「小さな英雄」を必要とする時代もやはり、ちょっと不幸ではある。この問題意識は多くの人が共有してるはず。意図的な飛び込みは別として、ホームからの転落事故の大半は、ホームに柵を設けることで防げる。ことは人命に関わるので優先順位も高いはずだし。当然、会社側もこのことは認識していて、実際、柵を設ける駅は徐々にだが増えている。新しい路線だけでなく、これまで柵のなかった駅に設置する例もけっこうある。だがまだ全部ではないし、そもそも最も柵設置の効果が高いと想像される山手線を含め、少なからぬ主要路線で柵は設置されていない。

もいっちょ、とはいえ。さっさと全部柵をつければいいじゃん早くやれよ、で済む話でもない。通行量が多いのに柵が設置されていない路線の場合、理由はいくつかあるらしい。費用もさることながら、ダイヤが遅れ気味になる、車両が多様でドア位置がそろわない、ホームが狭くなる、工事にも時間がかかる等、いろいろな事情があるようだ。単に儲け優先だとかやる気がないとかそういうことではないように思う。実際少しずつは進んでいるわけで、遅いという批判はありえても、何もしてないわけではない。

そもそも。飛び込む人は別として、ホームから転落したいと思っている人は普通いない。では人がなぜホームから転落するような状況に陥るのか、もう少しきちんと考える必要がある。目の不自由な方という場合ももちろんある。点字ブロックがあれば充分というものでもなかろう。では「泥酔した人」はどうだろうか。報道ではきわめて「抑制的」に書いているが、少なくともほめられる状況でないケースが多かろうと思う。2ちゃんねるあたりではこの点を叩く人がたくさんいそうだが、もちろんそれですむ話でもない。うろ覚えだが確かどこかの新聞か何かで「泥酔するほど飲まなければやりきれない社会状況」を批判するような論調のものがあった。これはさすがにどうかと思うが、たとえば酒を売った飲食店なり酒屋なりに何かできることがあったかもしれないとか、ホームの前、改札あたりで泥酔者をチェックしたりできないかとか、泥酔癖のある人に対してふだんから何か対策を打てないかとか、考えられることはいろいろあろう。より間接的には、電車があまり混雑しない状況になれば、ダイヤの過密もホームの混雑も改善するかもしれないし、車両の更新を促進する政策をとればドアの位置が合わない問題は解消するかもしれないし、ということもある。時差通勤やらテレワークで改善する部分もあるだろう。上記の新聞の話でいうと、アルコール依存症が関係しているケースなら、依存症対策も再検討されるべきかもしれない。

要するにいいたいのは、誰か1人、1社のせいにしても始まらないということだ。世の中のものごとはけっこう複雑にできていて、何か1つやればポンとすべて変わる、みたいなことは通常ない。もちろん何か1つの対策を一点の漏れもなく完全にできれば可能かもしれないが、たいていそれは難しい。だから一生懸命考えてあちこちをいじる必要がある。一度に全部できないなら順番も考える。何かやって弊害があるならその対策も必要だ。

ここでお気づきいただきたいのは、1人ないし数人の「小さな英雄」をほめたたえることと、好ましくないものごとの責任を誰か1人、1社、ないし少数の人や会社に押し付けようとする発想が、ちょうど裏腹の関係になっているということだ。危機一髪の状況から人命を救ったのはもちろん「小さな英雄」のおかげだが、それは同時に列車運行を管理するさまざまな人たちの連携プレーであり、非常通報装置を含む緊急対応システム整備の結果でもある。もっと広げれば、とっさに救助に向かう価値観を育んだ家庭や学校での教育の成果でもあるかもしれないし、日頃からの運転士の厳しい訓練の賜でもあるかもしれない。たいていのものごとは、何か単一の原因によって起こるのではない。それを簡略化し、簡単に把握し語ろうという動きは、「英雄」方向にも「責任」方向にも同じように広がっている。どちらも考える手間を省き、お手軽に満足を得られ、結果として問題を放置することにつながる。

もともとの「英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」ということばは、英雄による打開を必要とするほど不幸な状況だということを意味するのだろう。「小さな英雄」を必要とする時代についても、似たことはいえる。ちゃんと調べてないのでよくわからないが、日本の鉄道はおそらく世界的にみてかなり安全な部類に入るんだろうと思う。事故もそれほど多くないのではないか。もしそうなら、そうした国に住む私たちは、その点において基本的には幸せであるはずだ。とはいえ、不幸な事故が起きることは避けられず、必ず起きる。しかし私たちの社会には、「小さな英雄」たちがいてくれて、これまた幸せなことなんだが、そうした「小さな英雄」たちが登場しなければならないのは現状がまだまだ改善を必要としているからで、その意味でやはり小さく不幸だといえる。

しかしもう1つの「小さな不幸」も忘れてはならない。私たちはものごとを考える際につい、簡単に説明できる図式を求めがちだ。それは大きくはずれてはいないかもしれないがピンポイントで正解というわけでもない。たくさんあるうまくいった原因の中から1人の「小さな英雄」に注目することは、たくさんある原因の中から1人だけの責任を追及することと似て、本質から微妙にずれた結果につながる。「小さな英雄」を求める心はわかりやすい「心温まる経験」に餓えているがゆえのものであり、やっつけてかまわないわかりやすい「悪者」を渇望する心でもある。それでは問題は解決しないという意味でも、そうしたものを求めざるを得ない心理状態があるという意味でも、これはやはり「小さく不幸」と言っていいのではないかな。

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Comments

>「小さな英雄」を求める心はわかりやすい「心温まる経験」に餓えているがゆえのものであり、やっつけてかまわないわかりやすい「悪者」を渇望する心でもある。

非常にわかりやすい図式ですね。
あと、物事を「英雄」や「悪者」に押しつけることによって自分を部外者に置こうという心理も働いているのではないかと思います。

「英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」という言葉にしても、例えば坂本竜馬みたいな英雄(?)が現代にもいたら、いてくれたらという願望というのとかもいい加減にして欲しい気がします。

いやそれはさ、現代を生きてる自分達でどうにかしようぜ、って・・・。

Posted by: 名無之直人 | March 06, 2010 at 09:29 PM

本質ではありませんが、ブレヒトの原作では「もっと不幸だ」という比較ではなく、ガリレイの弟子のセリフをガリレイが否定する形になっています。手元の英語版より:

ANDREA: Unhappy is the land that breeds no hero.
GALILEO: No, Andrea. Unhappy is the land that needs a hero.

Posted by: shiro | March 06, 2010 at 11:03 PM

>簡単に説明できる図式を求めがち

これは永遠の命題のような気がします。

Posted by: T☆K | March 07, 2010 at 02:16 AM

コメントありがとうございます。

名無之直人さん
今、英雄と呼ばれている過去の人たちが、生きているころにどう見られていたのか、ちょっと興味があります。もちろんなにやら偉大なことを成し遂げたから英雄と呼ばれているわけで、当時も評価する人たちがたくさんいたのかもしれませんが、そうは考えない人もきっとたくさんいただろうなあ、と。

shiroさん
情報ありがとうございます。そうなんですか。なるほどねえ。でもどういう文脈でこれが語られたのか気になりますね。

T☆Kさん
まさにその通り。簡略化は理解を助け、より高度な考えに頭を割く時間を作ります。知的能力の中でも重要な要素の1つでしょう。ただ、それが伝わっていくうちに本来もっていた要素をそぎ落としていってしまうのが問題なわけです。

Posted by: 山口 浩 | March 10, 2010 at 05:52 PM

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