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事業仕分けについてまたもやつらつらと

独立行政法人の事業仕分けが前半の日程を終了した。事業仕分けについては昨年一度書いたことがあるし、そこで行われたネット中継についても数日前に別途書いたとおりだが、仕分け自体について、このタイミングで自分の考えをもう一度まとめてみるのも悪くないと思うので、ひとくさり。

相変わらず無駄に長いので、読みたくないという人のために思いっきりまとめるとこんなあたり。
(1)政治のプロセスを可視化するツールとして再定義したらどうか。
(2)人を入れ替えることはけっこう重要なのではないか。

今回の事業仕分けはこれで2回目になる。後半は5月に行われるわけだが、前回と比べて今回はより「穏健」に推移したのではないかと思う。もちろんここには、仕分け人たちが前回の経験から学んだということがあろう。多くの局面で仕分け人たちは、批判を受けたきつい物言いを引っ込め、おおむね柔らかいていねいな物言いに留意しているさまを見せた。仕分け方針にしても、何割削減とはっきり打ち出した前回とちがって今回は事業規模「拡充」などという選択肢も用意されていたし、より「穏当」な打ち出し方をしている。はでなバトルを期待していた向きには不満だったようだが。

ただ、政権獲得前に伝えられていたような大きなスケールの話と比べても、あるいは前回仕分けが始まったころの期待と比べても、全体として小粒化したような印象を受けるのは否定できない。基本的に法人自体ではなく個別事業についての仕分けだったから、法人の存続の是非を視野に入れた話はほとんどなかった。報道によれば、金額面で目玉といえるのは国土交通省所管の鉄道建設・運輸施設整備支援機構の利益剰余金1兆3500億円とか中小企業整備基盤機構の余剰資産2000億円、都市再生機構関連会社の利益剰余金407億円、農林漁業信用基金の政府出資金355億円あたりなんだろうが、これらはあくまで1回限りで、毎年使える財源じゃない。今回廃止した事業への国費投入額は2009年度で計3508億円だそうだが、借金増やしてでも政府が金使えという大合唱の中で、これがそのまま削減できると考える人はいないだろう。事業仕分けの大きな目的とされるところの行政の無駄排除を金額の面でとらえるなら、効果は限定的なものといったほうがいいのかもしれない。

では、事業仕分けの意義はどこにあるのか。そもそも国の金の使い方は財務省の所管なわけで、その意味では事業仕分けをやっている行政刷新会議自体が仕分け対象になってしかるべき機能の重複ということになってしまうではないか。

選挙を意識したショー、という要素があるだろうことは誰も否定できまい。「劇場型政治」ということばがあるが、これもまた劇場型政治の典型例の1つだ。前回の仕分けで注目を集めた蓮舫議員は今回も花形として活躍、そのほかにも派手な色のスーツを着込んだ女性議員たちが注目を集めた。ちゃんと調べたわけじゃないが、ネット中継の視聴者数は、2つあった会場のうち蓮舫議員のいる側がもう一方のほぼ2倍ぐらいだったような印象がある。皆が皆、蓮舫議員の鋭い言説のみを見ようとしていた、なんてことはまずなかろう。

こういう傾向を苦々しく思う人は少なからずいると思うが、だからといって完全に否定すべきと思わない。少々露悪的な表現をすれば、少なくとも一定年齢以上の全国民が選挙権を持つ普通選挙制度の下では、中川淳一郎氏がいうところの「バカと暇人」(この点については以前書いた)、つまり「ふつうの人々」を一定数選挙に集めてこなきゃいけないわけで、事業仕分けは少なくとも今までのところ、そのためのツールとしてそこそこ機能しているように見える。

もちろんこれがいつまでも続くとは限らない。最初は鮮烈な印象をもって受け入れられた事業仕分けに対しても、見慣れてくればだんだん関心が薄れていくだろう。派手な立ち回りがあるわけでもないし、実際のところめざましい成果を挙げるわけでもない。少なくとも、国民の大半を占めるはずの、中川淳一郎氏がいうところの「バカと暇人」の関心を集め続けることは難しいと思う。何日も続くネット中継を見続けるどころか、テレビのニュースで2~3分にまとめられたものすらめんどくさくて見たくないという人の方が全体からみればおそらく多いのだ。

しかし、世の中にはこういうものに対するある程度の知識を持ち、かつ関心のある人ももちろんいる。この文章に出てくる「小さな知識人」「小さな運動家」というのがそれにあたる。こういう人たちに意思決定の過程を見せる、少なくとも見ることのできる状態におくこと自体には、少なからぬ意義がある。そういうふうに位置付けを再定義し、今後のあり方を考え直していくべきときにきているのかもしれない。

このことを、より大きな文脈の中でみる。すなわち、専門家の判断に対して部外者がどのように関与していくか、そのためにどんなシステムが望ましいか、という視点だ。たとえば、事業仕分けをいわゆる取り調べ可視化と比べてみてみよう。どちらも権力行使、あるいは専門性の高い領域での専門家の判断に対して、外部の目でチェックを入れるプロセスだ。このチェックは、「誰でも行える」ものである必要はないし、いつも必要であるということもない。たくさんの人が実際に見るかどうかは本筋ではない。必要なときに、しかるべき人が確かめられればいい。

しかしここで、チェックすべき過程全体でなくその一部のみにしかアクセスできないとなると、重大な支障が発生する。取調べの可視化の場合は明らかだろう。そもそもこれは、取り調べの際に自白の強要が行われたりしていないかなどをチェックするためのものだが、映っていないところでやられたのでは意味がない。となると、今行われている「検察官の裁量によって、検察官による取調べの一部のみを録画・録音する」という部分的な可視化では不充分だという考え方には充分な説得力がある。

同様のことが事業仕分けにおいてもいえるのではないか。あれも、あの場ですべてが行われているわけではなく、事前準備としてヒアリングをしたり現地視察をしたりして、下準備をしている(参考1参考2)。そうでなければ事実上無理だし、別にそれ自体何の不思議もないが、私たちには見えていないものがあるということだけは認識すべきだろう。仕分け会場で交わされた議論も、事前の段階での議論を繰り返しているだけなのかもしれない。しかも、その事前調査や打ち合わせの内容はあまり公開されていない。とするとこの件、密室での取り調べで何が起きたかを記録すべきとする取り調べ可視化問題と似た構図ではないか。

もし私たちが、取調べ可視化に対して、捜査の公正を保つためには取調べの全過程を記録すべきだと考えるなら、事業仕分けについても、政治ショーというより、その過程全体をできる限り検証可能なかたちで記録し、必要に応じてしかるべき人がチェックできるしくみとして活用していく方向が必要ということになるのではないだろうか。それなら、対象は政府の活動全般に広がってくるだろう。現在のような公開人民裁判のようなスタイルでは必ずしもなくてもいいが(ちなみにだが動画による記録はこの領域でも有益だと思う。今回も独法幹部と主務官庁の官僚との目線でのやりとりやしぐさなど、非言語的な情報は少なからず参考になった)、権力の行使、ないし権力者の意思決定の過程を検証可能な状態におくためのツールとしては、その全域、無理でも可能な限り広い範囲をカバーしておくことが望ましい。

もう1つ思ったのは、人はなかなか変わらない、変われないものだな、ということ。前回の事業仕分けではお役所のみなさんがばっさりやられたわけだが、その経験を今回に生かしているかというと、必ずしもそうでもないように見える。説明用のパネルを持ち込む人たちもいて、それはそれで改善なんだろうが、行政実務経験がないとできない仕事があるとして天下りを受け入れ、かつ実際の仕事は外部委託してるみたいな、前回の経験からみてどうみても通らないだろうという説明を平然としている人がいたのは少々驚いた。自分の組織の説明もまともにできないで現役官僚に助けてもらってる人もけっこういたりして。もちろん、そうでない人もたくさんいて、独法の経営者にも力量の差があるだろうことは容易に想像できる。仕分けでの説明のしかただけでなく、ふだんの経営からたぶんちがうんだろう。

ともあれ、人はそう変わらない。思考回路がなかなか変わらない、ということももちろんあろうが、当然それだけじゃない。というか、変わりたくても変われないのかもしれない。利害がからんでるからだ。組織単位の利害もさることながら、個人単位のものも多いと思う。となると、やはり議論して変わるというものでもないんだろうな。人を入れ替えないと組織としても変わっていかないのかもしれない。

でもこの利害ってやつは誰にでもあるわけで、その意味で今行われてる事業仕分けは今の政権党の利害に沿うようになってるはず。それが全体にとってよいものばかりでもないことはすでにあちこちで指摘されてるとおり。

となれば、やはりちがう目でのチェックが行われるようになってほしいところ。確か自民党にも「無駄撲滅プロジェクトチーム」(河野太郎座長)なるものができて、「子ども手当や高速道路無料化の社会実験など、鳩山政権による今年度予算の目玉政策の事業仕分け」を行ったのだそうだが(記事)、政争っぽい色彩はおくにしても、対象を広げて考えてみるという意味はあるだろう。実際には、野党による仕分け結果が政策に反映するのはなかなか難しいわけで、そこは今後の政権交代を待つということになろうか。願わくば、対象となる側が事前に、仕分けされないようにちゃんとやってもらうようになってほしいところだが、それも仕分けないしその類似のプロセスが今後も(政権が変わっても)続くという「期待」が醸成されてのこと。

とりあえず、今の政権には今の政権にできることを(今のうちに)ちゃんとやっといてもらわないといけないので、ぜひ後半もがんばっていただきたく。

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Comments

今回の事業仕分けで「廃止」とされた36事業への国費投入額が3508億円というのは、おそらく時事の配信だと思いますが、それは過大です。
09年度の補正予算で追加された分まで含めてしまっているから、そんな数字になる。
当初予算ベースだと、たった52億円です。
補正予算分は不要資産返納と同じく「1回限り」ですから、恒久財源ではありません。
なお、「日経」や「毎日」には600億円とか619億円という数字も出ていましたが、これも財投借入金を含んだ金額ですから、「真水」の額ではありません。
マスコミは、きちんとした数字を報道しないといけないと思います。

Posted by: ゆうくんパパ | April 30, 2010 at 08:02 PM

ゆうくんパパさん、コメントありがとうございます。
単なる印象ですが、数字を出す側も伝える側も、あんまりちゃんと考えてないような気がします。「目的」がそこにはないかのように。
数字に関していうと、事後の検証が大事ですよね。せめてそのくらいは、マスメディアのみなさんに期待したいです。存在意義があると主張されたいなら。

Posted by: 山口 浩 | May 09, 2010 at 09:11 AM

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