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April 24, 2010

独法事業仕分けの公式中継に関するコメントをリサイクルしておこうっと

手元にある2010年4月24日付朝日新聞に「仕分けネット中継 沸騰 視聴者 ツイッターで同時議論」という記事が出ているが、この中に私のコメントが出ている。ネットでみると「ネット5社、仕分け生中継 反応殺到「読みきれない!」という見出しになってる。

この件、社会グループ(いわゆる「社会部」のこと?)の記者さんからメールでコメントを求められてメールで返したらそのうち一部が使われた、というもの。こういうとき、マスメディアが勝手に趣旨を改変するという話がよくあって、実際私も過去に経験があるが、今回はうまく拾っていただいたように思う。とはいえ、書いたことの大半は使われなかったわけで、この「エコ」の時代に文章の無駄遣いも何だから、リサイクルの意味もこめてここにおいとく。

ご依頼の趣旨は、今回の独法事業仕分けで内閣府が公募した業者によるネット中継が行われることについて、前回のような個人や企業による非公式中継ではなく行政側が積極的に中継のアレンジに関与することの意味について、ジャーナリズムや有権者への影響なども視野に入れて意見を聞きたい、というものだった。できあがった記事をみると、藤代さんや慶應の院生の方のコメントも載ってるし、津田さんのツイッター中継のことも紹介されてる。今回の動きについて比較的冷静に、偏りなく伝えようという意図を感じる。

送ったのはこんな文。1箇所だけ「しかし」が続いていたところを削除したが基本的に原文そのまま。直したいところもあるけどまあいいや。

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今回の事業仕分けで行政側がネット中継を(企業のボランティア参加によってではありますが)自ら行おうとしていることは、いくつかの意味で最近起きている大きな変化のあらわれであると考えています。

情報メディアの発達という観点では、これは情報伝達手段のオープン化のひとつのあらわれということになるでしょう。通信技術の発達によって、誰でも文字や音声、動画などさまざまなかたちで情報発信を行うことができるようになってきました。これまで社会の中で、情報の流れの中核部分を担ってきたマスメディアという形態は、情報発信に大きな資本が必要という技術的制約ゆえに採用されてきた方式であり、その制約がなくなれば、方式自体の優位性、必然性が相対的に低下していくのはむしろ自然な流れです。情報を発信したい主体にとって、情報の量や内容を制限しあるいは改変したりもするマスメディアを経由せずに多くの人に情報を届けられるなら、それは基本的にありがたいことです。もちろんそれには自らコストを負担する必要があるわけですが、民間事業者の協力を得たことで、それも安く抑えることができるわけですから、やって当然、といってもいいかもしれません。

この裏側に、マスメディアに対する政府の、さらには国民からの不信という要素もあることは否定できません。基本的に日本はマスメディアからの情報に対する信頼が厚い国ではありますが、最近その信頼がゆらぎを見せるようになってきています。これは、マスメディア各社に誤報や捏造、偏向など信頼を裏切る行為があったという一般的にわかりやすい図式で説明する人もいるかもしれませんが、むしろもっと大きく、「第四の権力」としてのメディアに対する社会的な監視が不充分であったという反省からきているとみたほうがいいのではないかと思います。本来マスメディアに対する監視は各社、各機関が相互に行うべきものでしょうが、少なくとも日本では、マスメディアの中でも特に影響力の強い新聞とテレビが業界全体として「仲良し村」を形成しており、互いの批判を避ける傾向がみられるように思います。情報を自ら発信することにより、マスメディアによる情報の取捨選択や編集のやり方は、いまや編集なしの生情報によって常に検証され、評価されるようになりました。それが必ずしも適切な結果につながるとは限りませんが、少なくとも比較の対象、検証の機会を与えられたこと自体は、情報の受け手である国民にとってメリットがあると考えます。

大きくいえば、これは社会のなりたちに深くかかわる問題にもつながります。これまで私たちは、それぞれの分野に「プロ」を配置し、彼らに幅広く任せることで社会を運営するスタイルをとってきました。もちろんこれは複雑な社会を運営していくために不可欠なことではありますが、お互いの領域を不可侵と考える傾向があり、社会全体が「タコつぼ」化してしまっているのが現状です。その最たるものが政府の領域でしょう。私たち国民は政治家を批判し、官僚制度を悪の権化のように罵倒しますが、それは客が店に対して無理難題をいうさまにも似ていて、そこには当事者意識、私たち自身が主権者であるという意識があまりないように思われます。最近提唱されている「新しい公共」も、そうしたことへの反省から生まれたものではないかと思います。

社会を私たち自身が担っていくためには、私たちが当事者意識をもってさまざまな事項に関心を持ち、関わっていくことが必要でしょう。逆にいうと、それができなかったから現在の状況があるわけです。そうした現状を突破するひとつのカギが、「ライブ感」と「参加意識」なのではないかと考えます。マスメディアから発信される情報はあくまで過去、すでに決まったことであり、何より見ている側には手を出せないことでした。だから他人事としてしかとらえられなかったわけです。しかし今注目を集めつつある Ustreamもニコニコ動画の生中継も、伝えているのは過去ではなく現在です。しかも、ただ送りっぱなしではなく、コメントやつぶやきなどを通して発言する機会があり、何よりそうした発言等を情報発信者側が聞こう、吸い上げようという雰囲気ができています(双方向性は新聞にも放送にもそれなりにあるとマスメディアの方は思われるかもしれませんが、一般国民はそうは見ていません)。今目の前でものごとが動いていく、みんなでわいわい議論する、問題をいっしょに考え決めていく、そうしたことが、政治を「私たち自身のこと」として再認識するきっかけになるのではないかと思います。

みんなで考え決めていくといっても、国民の知識や判断力、意識等は一様ではありません。実際には、各自が暮らす小さなコミュニティの中にそれぞれいる「小さな知識人」「小さな運動家」たちがその周囲に影響を及ぼしつつ全体の世論が形成されていきます。マスメディアの伝える情報は、「マス」を狙うために、情報の大半が捨象され、編集されていますが、これはそうした人たちが重要な判断を行うのに適切な情報量ではないかもしれません。そうした情報をすべて伝えようとすることは、マスメディアでは技術的制約の点からも、またコストの面でも、事実上困難です。しかし今の情報技術や、ユーザー自身が当事者として参加し自らサービスを作り上げていく今のネット文化の下では、社会の中に散らばっているさまざまな分野の専門家や高度な能力を持つ一般人が、自発的に参加して捨象・編集されない「生」の情報を活用してものごとを考えていくことが可能になっています。つまり、マスメディアでは伝えきれない生の情報を必要とし、それを活用できる層の人々がいる、ということです。その意味でも、政府が自ら情報発信していくことはきわめて重要です。

もちろん、これですべて解決というものではありませんし、いいことばかりでもありません。全国民がネット中継にかじりつくということもないでしょうし、仮にかじりついてもそれがすぐれた世論形成につながるという保証はありません。政府による情報操作のおそれもあるでしょうし、誤報や虚報のリスクも高まるでしょう。しかし私たちは今、新たな技術を得て、新たな考え方、行動スタイルの試行を始めたところです。それは、これまでの手法では解決できない問題、これまでのやり方が限界を迎えてしまった課題に直面する今の社会において、試してみるに値する大きなチャンスであるといえます。

マスメディアが担ってきたジャーナリズムのあり方も、この影響から無縁ではないでしょう。自分たちをスルーして情報がやりとりされることへのいらだちや懸念をお持ちであることは強く感じます。しかし、政府による情報発信がジャーナリズムそのものを根本から変えてしまうとは思いません。むしろ直接情報のやりとりが可能になったことによって、マスメディアを経由する情報伝達の意義は高まったといえるでしょう。訓練を受けたプロによる取材、編集、発信は、国民全体にとって依然として大きな価値があります。しかしそれは、既存のマスメディア各社がこれまでと同じ収益を上げ続け、既存マスメディアの社員がこれまでと同じ給料を稼ぎ続けることができることを意味するわけではありません。いくつかの会社はつぶれ、社員数が減ったり給料が下がったりするでしょうが、それは社会におけるジャーナリズムの重要性とはほぼ無関係です。それは、海外とのコスト競争で苦境に陥ったメーカーと基本的に同じ構造の問題であり、現状維持を叫んでも解決策にはなりません。ジャーナリストの皆さんはぜひ、ネットという新たなツールも使いこなしつつ、ジャーナリズムがあるべき姿を追求し続けていただきたいと思います。それが新しい時代の「プロ」というものでしょう。

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急いで書いたというのもあるし、当然ながらある種のポジショントークという側面もある。このほかにも、ネット配信事業者の宣伝という要素もあって今後ネット配信の普及が進みやすくなるかもとか、でも実際に見たのは合計でも数万人程度でテレビの視聴率から計算される視聴人数と比べたら微々たるものみたいな点とか、どうせ大半の人には見たって退屈であることがわかっただけとか、いくつも付け加えるべきことはあったのだろうが、まあそれはそれとして。マスメディア向けの「警戒感」みたいなものが出ちゃったかもと若干反省。

「参加」が「質」を保証しないのは古より周知の事実。一応よりどころとして、集団的意思決定においては「質」と同じくらい「納得感」も重要なのではないか、といいたいわけなんだが、ただそれだけで説得力があるとも思わないので、そのあたりはまた別の機会に。

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Comments

■事業仕分け:JICA大幅縮減 4法人8事業「廃止」判定―劇場型政治の小粒なSMショー第二段始まる!!

ブログ名:Funny Restaurant 犬とレストランとイタリア料理

こんにちは。また、劇場型政治の小粒なSMショーである事業仕分けが、またはじまりました。この程度なら、政治家が手を出さなくても、役人にやらせればそれですむことです。同じ事業仕分けをするにしても、もっと他にやるべきことがあります。それは、特別予算への本格的な切り込みです。それから、国会議員の仕分けです。馬鹿な政治家や、政治をしない、できない政治家はいりません。まずは、議員定数を削減すべきでしょう。それと、こうした茶番劇の裏に隠れてみえませんが、鳩山さんのことをあなどってはいけません。党内の調整などで、「ブレている」などと評価される鳩山さんですが、彼は、根本的には全くブレていません。彼なりの信念を貫いています。そこが、彼の怖さで。この怖さに気づいている人は意外と少ないと思います。詳細は是非私のブログを御覧になってください。

Posted by: yutakalrson | April 24, 2010 01:34 PM

おっしゃる通りで、最近痛感しています。
特に、参加が質を保証しない、あたり。

成長するしかないですね。特に日本の民主主義は。

Posted by: luckdragon2009 | April 26, 2010 07:27 AM

コメントありがとうございます。

yutakalrsonさん
私は事業仕分けにそれなりの意義を見出しているのでご意見には賛成いたしかねる部分もあるのですが、今仕分けの対象からはずされているものの中に重要なものがあるという点には同意します。そしてそれらの仕分けを行うのは現政権の役割ではないかもしれない、とも思います。

luckdragon2009さん
民主主義の発達過程において、私たちは今やっと「人民裁判」の段階にまで到達できた、といえるかもしれません。まだ道のりは遠いですが、少しずつやっていくしかないんでしょうね。

Posted by: 山口 浩 | April 28, 2010 11:44 AM

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