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May 26, 2010

ネット選挙「解禁」に寄せて

いわゆる「ネット選挙」の解禁について、今日方向性が与野党協議で決まったらしい(強行採決のあおりで暗雲が立ち込めてたのが何とか合意したようだ)。このタイミングで考えを整理しておくためにちょっと書いてみる。急いで書いたので変なところがあるかもしれないが、自分用メモということでひとつ。

「ネット選挙」ということばでイメージされるものには、ネットを通じた電子投票のようなものも入るのだろうが、今回「解禁」となる(かも)対象は「ネット選挙運動」。要するに、公示後、選挙期間に入った後の活動をネットを通じて行うこと。

今検討されている解禁の方向性について、報道ではこんなふうに書いてる。

当面は政党と候補者のホームページ(HP)やブログの更新に限られ、電子メールや140字以内のミニブログ「ツイッター」の解禁は見送られる。
ネット選挙解禁、効果は? 参院選公示1カ月

これまでは、選挙期間中におけるホームページやブログの更新もメールの送信も、いわゆる「文書図画」の配布ないしそれに類似する行為として規制されてきたわけで、そこからは前進ということになる。候補者は選挙運動の情報や直近の情勢に基づく情報を発信できるわけで、それ自体はたいへんけっこうなお話で、というわけだが、それがこれまで実現しなかったのは、当然ながら、反対する人たちがいたからだ。

なぜ反対なのか。おおまかにいえば次の3つくらいか。
(1)コストをかけられない政治家にとって不利となる。
(2)ネットを使わない有権者を不利に扱うことになる。
(3)なりすましによる偽情報や、誹謗中傷などが広まりやすくなり、選挙結果に影響する。

結論からいえば、これらは理由になってないか、対策が可能だとかまあそういうことになる。実際に判断した政治家の皆さんがどう考えたかはわからないが、自分で考えてみるとこう。

(1)はむしろ逆だろう、と。「文書図画」の代表格であるポスターなんかは、貼れる枚数に制限があるわけだが、実際には全部貼りきれない候補者がけっこういたりするらしい。理由は簡単で、人手が足りないから。あのポスターってやつは、その1枚1枚に選管のシールを貼ってから掲示板に貼らなきゃいけないわけで、これどうみても手作業。もちろんネットだって、金をかけたほうがいいサービスができるのは当たり前だが、金の有無の差による影響力の差は他のメディアと比べれば小さいほう、といっていいんじゃないだろうか。

実際は、政治家やそのスタッフの中にネットに詳しくない人がけっこういるから、というぐらいの話じゃないかと思ったりする。このへんは、最近の世代交代の流れやら政権交代やらのおかげで、だいぶ入れ替わりが進んできたのではないか。だからこそ今正式に解禁の方向に動いているということなんだろう。よくデジタルデバイドとかいうが、必ずしも年齢に起因する差ばかりとは思えない。例の高齢者にやさしい政党「たちあがれ日本」の中心人物の1人である与謝野議員だってPCはかなり詳しかったし。そもそも、伝える「プロ」の政治家が伝えるための道具を使えないってどうよ?という話もある。政治家を引退したハマコー氏だって立派にツイッターを使いこなして(?)いるではないか。甘ったれるな、というか、政治を甘くみるな、ということではないか。

(2)は正直、意味不明。ネットを使った選挙運動を解禁すると、ネットを利用できない人に不公平になるという反対論は、現状がネット以外ではリーチできない人に対する情報提供の不足という意味で逆の不公平になっていることを忘れていないか。ネットを利用していない人への配慮が必要だというなら、ネット以外をあまり利用していない人への配慮も必要ではないか。別にネット以外での選挙運動をしてはいけないという話ではない。高齢者だって、ネットを使いこなす人はたくさんいるわけだし。とはいえ、もちろん大勢としては、ネットの利用率は年齢層が低いほど高い傾向に少なくとも今はあるわけだが、それが投票率の世代間格差とおおまかにかぶっていることも忘れちゃいけない。ネットの選挙運動への利用が、若年層の政治離れへの対策の1つになるかもしれない、ぐらいの意気込みを政治家の皆さんは持っていただきたいところ。

で、実際の問題は(3)ということになろうかと思う。なりすましや誹謗中傷はネット以前からあったが、ネットの登場でそれがさらに拡散しやすくなった、という懸念だろうか。わからなくもないのだが、これはちょっと大胆にいいきってしまえば、前時代の発想ということではないか。ネットの時代には、この種の行為は数多く生まれるかもしれないが、その寿命も短い。よく話題になったツイッターのなりすましアカウントも、ほとんどは数日とたたないうちにばれた。いろいろなものが生まれて、消えていく。中には長く残るもの、広く出回るものが出てくる。そういう生態系なのであって、それはマスメディアが情報をフィルタリングして広くあまねく伝えるスタイルとは大きくちがう。

そう考えれば、なりすましや誹謗中傷の問題も、それを完全に防ぐことができないとしても、全体の情報の流れの中で考えればいいのではないか。気にする人はネガティブ情報ばかりを気にするが、世の中には当然ポジティブ情報も流れてるわけで、人はネガティブ情報ばかりを見ているわけではない。もちろん、投票日ぎりぎりのタイミングで大きなインパクトのあるデマが流されて選挙結果に影響する、といったよろしからんケースも考えられなくはないわけだが、現行法でもそうした行為には少なくとも事後的にそれなりのペナルティがあるわけで、システム全体として脆弱になるとは思えない。少なくとも、それによるメリットを帳消しにしてしまうほどのデメリットとは考えにくい。

諸外国でも選挙運動にネットは活用されていて、もちろん誹謗中傷の問題もあるわけだが、だからといってそれだけを取り出して制限しようということはないように思われる。上記の意味で、これはつきつめると、有権者に対するある種の「信頼」のあらわれなのではないか。集団としての有権者が、全体としてこの新しい道具をきちんと使いこなすであろうという信頼。そう考えると、日本のこれまでの政治家の方々は、有権者を信頼していなかったということになろう。

このへんのところは、今の解禁案におけるツイッターの排除にも関係してくる。一般のウェブサイトやブログにおける情報の拡散は、主にハイパーリンクやRSSを経由する。つまり、元情報の場所のみを示すやり方だ。それを見たければ、ネットユーザーはリンクをクリックして元情報を見にいく。しかしツイッターでの情報拡散は、RT(QTというのもあるがあんまり普及してない)を経由し、原文を直接引用するかたちで拡散していく。字数制限のためにその間に文章が改変されることもしばしばあり、実際、それを原因とした誤解が生じることもよくある。これが政治家の皆さんが懸念するところなのかもしれない。悪意のRTで誤解を誘うとかもありえるし。

しかしこれも、同様に考えることができる。つきつめれば、有権者のリテラシーに対する信頼の問題だ。今は公式RTで元情報を変えずに拡散することも可能ではあるわけだし、もし何かあっても比較的簡単に元情報にたどりつくことができて、誤解があればその大半は比較的早く終息する。そういうものだ、というふうに理解するしかない。その意味で今回の案でツイッターを排除する方向になっているのであれば、それには賛成できない。

それから、ネット上での人のつながりは必ずしも地域ベースではない、ということも指摘しておきたい。選挙は今のところ、基本的には、地域をベースにした選挙区ごとに行われている。その場合、ある選挙において結果に影響を与えるためには、その地域に特化して情報を送らなくてはならない。こういう情報提供には、ネットは必ずしも向いていない。ネットでのコミュニケーションは、地理的制約を超えられるところにメリットがあり、実際、同じ選挙区内でのコミュニケーションが大半を占める、という人はそう多くないのではないか。となると、プッシュ型の情報提供で誹謗中傷なんかをやったとして、それで与えられる影響というのは、考えるほど大きくないかもしれない。

誹謗中傷や偽情報に関して個人的に懸念しているのは、こうしたネットでしばしばあらわれるガセをどこかのマスメディア等が真に受けて大々的に報道してしまう、といった事態だ。ネットの中であれば自然に消えていくはずだったものを、マスメディアがわざわざ「ネット耐性」のない他のところへ拡散してしまうと、変なかたちで蔓延してしまうかもしれない。

そうしてくると、解禁に向けた課題の最大のものはリテラシーということになろう。政治家がネットを使いこなすリテラシー。有権者がいたずらに誹謗中傷や偽情報に踊らされることなく、情報を全体として判断できるリテラシー。そして、伝えるべき情報をきちんと見分けて伝えるべき人に伝えるというメディアのリテラシー。

教育が重要だな、という我田引水にたどりついたので、このへんにしておく。

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