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July 03, 2010

新聞は話したことの一部しか載せてくれないので

サッカーのワールドカップ、日本=パラグアイ戦でPKをはずした駒野選手のお母様に対して、「朝ズバ」司会のみのもんたさんが謝罪をさせたとかしないとかいう話が、2010年6月30日朝、ネット上で一瞬流れて消えたという話がある。その件に関して2010年7月3日付の朝日新聞が「駒野選手の母に謝らせた…誤情報炎上、批判殺到すぐ修正」という記事で書いていて、そこに私のコメントがひとこと出ている。

当然だが、こういう際には、このひとことだけじゃなくて、もっといろいろ話している。でも記事に使われるのはほんの一部。これは当然といえば当然で、あとは発言の趣旨を汲んでくれるかどうかの話。今回は割ときちんと出していただいた方だと思うが、それでも言い足りない部分がないわけではないので、そのとき話した内容を、覚えてる限りでメモしておく。

記事の趣旨は、「「思いやりがない」という批判が殺到したが、実はこれは誤った情報だった。投稿者たちも気づき、すぐに修正された。」というもので、これについて載った私のコメントは、「数時間で収まり、たいした騒ぎにはならなかった。しかし、誤解が完全には修正されず、被害や迷惑が広がる可能性もある。多くの人が情報の送り手側になったが、ネット上の情報が正確なものかどうか気をつける意識が必要だ」となっている。

別にこの趣旨で大きくずれてるとは思わないが、ぴったりというわけでもない。話したのは、確か以下のような感じのことだったと思う。とかいいつつ、少し補足したり修正したりしてはいるが、少なくともいいたかったのはおおまかこういうこと、ということで。

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今回のケースは、数時間で収束したし、実際、たいした騒ぎにならなかった、といっていいのではないか。「騒ぎ」といっても、実際のところ、そもそもネットの一部で広がっただけで、幅広く伝わった訳ではない。最近の記者の方々は日々情報をネットでチェックしているからそう見えたかもしれないが、実際は自分自身がその盛り上がってる一部、たとえば一部のツイッターユーザーや、2ちゃんねるの該当スレッドの閲覧者のグループに入っていたにすぎない。その他の人々、ネットにあまり触れない人やネットのほかの部分にいた人、おそらくこちらの方が大多数だと思うが、そうした人たちは、そうした「炎上」があったことすら知らなかっただろう。

発生から終息までの流れは、いってみれば、この種のものとしては典型的な推移だったように思われる。何かきっかけがあって、それを誤解したか、あるいは意図的に曲解したか知らないが、批判的に取り上げる人が登場し、やがてそれに同調する人がどんどん発言し、さらにそれを拡散する人が出てきて情報が広まっていくが、そのうちそれを疑う人が出てきて、やがて検証が行われ、事実が明らかになり、騒ぎは収束へと向かう、という流れだ。ちょっと前に、鳩山前首相の偽ツイッターアカウントが現れたときの騒ぎも似たような経緯をたどったし、大小の差はあれ、同様の騒ぎは日常的に起きている。人々もだんだん慣れてきているかもしれない。もちろん記録として残ってはいくだろうが、おそらく数ヶ月もすれば、思い出す人はほとんどいなくなるだろう。

ここで起きたことは、何も特殊なことではない。たとえば、新聞記者が何か情報を受けてそれを記事に書こうとする際には、裏をとるプロセスがあるはずだ。その結果、誤報とわかれば、それは書かれず、すでに書かれてしまったとすれば訂正される(実際、大事件や大事故の場合、いったん報道された内容が後で修正されることはよくあるはずだ)。今回のケースを含め、ネット上で発生する誤報やデマとその訂正のプロセスは、それと同じことを、素人を含む多数の人々が、公開の場で行っているわけだ。いってみれば、ジャーナリズムがこれまでとちがった人たちによって実践される際、「作法」にも別のやり方が登場してきたということだ。実は、この動きは報道だけではなく、他の分野で起きている。たとえば論壇でも、音楽や動画の分野でも、これまでこれまで少数のプロが握っていた情報の発信機能が、ネットを介して多くの人の力が合わさるかたちで担われるようになってきている。技術の発達が新たな可能性を開き、少なくとも一部の人々の行動を変えてきているわけだ。

ただ、社会や制度、また一部の人々も、このような技術の変化に必ずしも対応できていない。そこに問題の発生する余地がある。現時点では、ネットでの言説が、直接的に社会に大きな影響力を及ぼすことはほとんどない。そうしたことが起きるのは、主に、それがマスメディアにとりあげられたときだ。マスメディアの少なくとも一部の人たちは、ネットを使いこなす「先進的なユーザー」のグループに入っていて、常にその情報に触れる機会がある。さらに、最近のマスメディアは、ネットで起きてることをことさらに大きく伝える場合がある。その意味では、今回のようなケースで最も懸念されるのは、マスメディアがことさらにセンセーショナルにとりあげて騒ぐことだろう。中には、確信犯なのかもしれないが、裏もとらずにネットの情報を針小棒大に膨らませて垂れ流すメディアもある。

今回のケースはともかく、ネットでの誤報やデマが、大きな被害をもたらすリスクは、潜在的には当然ありうる。マスメディアが拡散することによって被害が大きくなる場合もあるだろうし、仮にネットの中だけで広まったものであっても、たとえば風評被害を苦にして自殺する人が出てくるようなことがあれば、取り返しがつかない。

そうした深刻な被害が発生した場合には、現行法に従って、当事者に責任が問われることになるだろう。単に情報の拡散に加わっただけの個々のネットユーザーにまで責任を問うことがあるかどうかはわからないが、潜在的にありえなくはない。もちろん、法的、技術的、あるいはコスト的に、どこまでできるか、どこまでやるかは別の話だが。また、こうした情報拡散のプラットフォームを提供したネット企業の責任が問われたり、そうした被害を事前に防ぐための対応を義務付けようとしたりする動きもあり、それが加速するようなこともあるかもしれない。ネットによって情報発信の「力」を得た個人は、いつまでも「弱者」「被害者」の位置にとどまり続けることはできない。そのことを自覚する必要がある。

しかし、だからといって、ただ規制すればいいというものでもない。規制の必要を訴える議論の中には、ネットの影響力のうち、マイナス面のみ高く、プラス面では低く評価するものがあるが、これは、プラス面のみ高く、マイナス面を低く評価することのちょうど裏返しにあたり、いずれも望ましくない。おそらく、規制は必要最小限にすべきと考える人が多いのではないかと思うが、問題は、その「必要最小限」がどこなのかについての意見が、「専門家」の間でもまちまちであることだ。ネット技術の発達が、たとえば放送と通信、あるいはプロとアマのように、これまで別分野とされてきたものを融合させる方向に働いていることにもよるのだろう。そのうえ、それぞれの分野に、既得権者と新規参入者がおり、また潜在的な加害者と潜在的な被害者とがいる。誰もが無条件に同意できる方策など、おそらくありえない。

したがって「正解」を探るのは難しいが、少なくともそれは、なんでも禁止、規制してしまえという立場、あるいは逆になんでもすべて自由にすべきだという立場のような両極端のどちらでもない。規制がもたらすメリットとデメリット、自由がもたらすメリットとデメリットをいろいろ検討し、社会としての合意を導き出す努力が必要だ。そのために、議論を重ねていくべきだろう。

この際、少なくとも中長期的には、「与件」となっている要素、たとえば法律のようなものについても、根本から問い直していくべきではないかと考える。たとえば今回のようなケースでも、誤報やデマによる風評被害を防ぐために通信の秘密はどの程度まで制約されていいのか、逆に表現の自由を守るために人は風評被害やプライバシー侵害のリスクをどの程度まで受忍すべきか、議論の余地はある。もっと一般化すると、最初にふるいにかけて悪そうなものを取り除いてから取り入れるやり方と、いろいろなものを取り入れながら少しずつ悪いものを取り除いていくやり方のどちらに近いスタイルを選ぶかという問題でもある。

現在の法令は、過去の技術水準、過去の生活スタイルを前提として定められ、判例による「微調整」はありうるが、原則としてそのまま残っている。新たな技術、新たな生活スタイルを前提としたときに、それをどこまで引継ぎ、どこから変えるかという問題は、今日のように変化の早い時代においては、常に問われ続けるべきものだろう。そのための議論は、決して法律の専門家だけのものではない。法は社会の鏡であり、社会の常識を少なくともある程度は反映すべきものだからだ。個人的には、善良な一般人がごく日常的に行う行為を違法なものとし、国民の多くを潜在的な犯罪者に仕立てるような法や規制は、社会として持つべきではないと考える。守れない法は社会の秩序を破壊し、意図的な犯罪者を資するばかりだ。

もちろん同時に、社会全体としての情報リテラシー上げていくための努力も必要だ。こういうとまた我田引水になるのだが、とはいえこの問題は、子どもや学生だけが学べばいいというものではない。むしろ大人をどうするのかというあたりが、中期的にはカギを握るような気もする(ケインズじゃないが、「長期的にはわれわれはみんな死んでしまう」ので、世代は入れ替わるし)。じゃあ大人を学校に通わせて、というのも難しいからめんどくさいところだが、当面お願いしたいのは、まだまだ情報発信の主役の座にあるマスメディアの皆さんの、ネット情報に関するリテラシーだ。「炎上」とは火が大きく燃え上がることを指すわけだが、現在のところ、ネットの「炎上」の大半は、社会全体からみれば、放っておけばすぐ消える「種火」レベルでしかない。それを大きく燃え上がらせているのはむしろマスメディアだ。大人とはいえ素人の皆さんに対しては、いろいろな意味で何かを押し付けるのは難しい場合が多いが、「プロ」の皆さんは、そういう言い逃れもできまい。「プロ」なんだから。ネットの情報をどう扱うかぐらいのことは、われわれ一般人より知っておいていただかなければ、困る。

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Comments

ネットデマが深刻なレベルになったのは、過去の英国の口蹄疫騒ぎではなかったでしょうか?

本年の日本の宮崎口蹄疫の初期に政治的な悪意あるデマが発生したこと、また、その際にも、その教訓が繰り返し語られました。「報道もネット(私の言説も含め)も信じるな。情報源からの一次情報が総て。」

まあ、英国の、その際にも、マスコミも含めないと深刻な度合いにならなかったわけで、ネット単独では、まだ深刻化しないというのが現実だと思います。(宮崎は初期がマスコミ報道が現地以外になかったせいで、現地以外では、少し似た感じにはなりましたが。)

今後、ネット単独で現実を巻き込んだ騒ぎが起こることになったときには、それがネットの成長度、というか、ネットの発展度を示すことになると思います。

Posted by: luckdragon2009 | July 03, 2010 03:00 PM

luckdragon2009さん、コメントありがとうございます。
誤報やデマの広がり方にもいろいろなパターンがあるのだろうとは思うのですが、個人的な思いつきレベルでは、どのメディアかというより誰が誰に伝えるかという要素の方が強いのではないかと思ったりすることもあります。よく確かめずに、あるいは確信犯的に伝える人が、なんども鵜呑みにしてあちこち触れまわる人に伝えたときに被害が拡大するのかな、などと。

Posted by: 山口 浩 | July 08, 2010 09:23 PM

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