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もう日本語は守ってくれない

手短に。他の場所だとどうなのかよくわからないが、都内でコンビニに入ると、店員の中にたいてい1人は外国人がいるようになってきた。名札から察するに、中国、韓国、ベトナム、インドネシア、等々出身はさまざま。単なる主観だが、完全に「定着」したような印象がある。当然そういう場所では日本語を使うわけで、ちょっとたどたどしく聞こえる場合もあるが、たいていの場合は問題なく通じる。

似たようなことは、他でも起きているだろう。飲食店なんかは典型的だ。最近あまり近寄らないのでわからないが、建設現場もそうなっているかもしれない。製造業でもそうなってるという話は報道等でよく聞く。国内にいるわけではないだろうが、先日HPのテクニカルサポートに電話したときに対応してくれた中国人っぽい担当者も、それなりに複雑な質問に対してほぼ完璧な回答をくれた。ソフトウェア開発だって、最近は海外に下請に出すのはむしろ普通になってきている。医療とか看護みたいな資格がいる領域は難しいだろうが、正直なところ、あれは職域保護のため意図的に排除してるとみたほうが近いように思う。

昔は製造業だけの問題で、何より海外での問題だった。日本の企業が日本で製造していたものが、海外生産に移っていく。海外から工場労働者が大量に流入することはあまりなかった。サービス業に外国人が進出してくることも少なかった。それは、資本と比べて労働の移動が難しかったからだ。いろんな理由がある。移民の制限もあるし、労働コストの問題もあるわけだが、その有力な1つが、「日本語」だった。少なくとも、そう思われていた。

「日本語は世界一習得が難しい言語」みたいな、根拠があるんだかないんだかわかんない言説がまことしやかに語られ、それが「どうせ日本は外国人があんまり興味持たない辺境の国」みたいな意識とあいまって、外国人は日本語を話さない、という固定観念ができあがったのではないかと想像する。ちょっとでも日本語を話す外国人がいればすぐ「日本語お上手ですね」と言ってしまう思い込みもそのあらわれ。ここで日本語は言語障壁、外国人から日本と日本人の市場を「守る」「防壁」のような存在と認識されていた。日本語の壁があるから、外国人が日本で働く、特に接客のような仕事をするのはなかなか難しいだろう、と。

それがもはや通用しないのだな、というのが改めての感想。その他の障壁はともかく、少なくとも日本語は、かつて考えられていたほどの障壁ではないということが明らかになったわけだ。世界における日本のプレゼンスが上がった結果でもあろうから、嘆く必要はないとも思うが、国内でドメスティックな仕事をする日本人にとっては、これは少なくとも当面、リスク要因、というか報酬ダウン要因になりうるわけで。それで経済が活性化するならそれはそれで必ずしも悪いとはいいきれないのかもしれないが。

たぶん他の国でも、似たようなことはあるんだろう。アメリカを考えてみれば、ひとくちに英語といってもさまざまな訛りがあるわけで、多様な「英語」との共存が日常なんだろう。というか英語話せない人だってけっこういるわけで、そういう人たちも含めて社会やら経済やらが成り立ってる。日本にも、外国語のほうが通じやすい地域とか場所とかはすでに出てきてるんだろうな。それもまた日本の一部。

だからどうだというわけではない。もちろん考えるところはあるが、それは別の機会に。ただ、意外にすんなりと進んでいくもんなんだな、というのが今日のところの正直な感想。大きな変化は、こうしてむしろ静かに起きるものなのかもしれない。

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Tracked on July 20, 2010 at 05:58 PM

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