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社会保障に関する議論がいつもぐちゃぐちゃになる件について考えてたらぐちゃぐちゃになって

社会保障に関する議論っていつもぐちゃぐちゃになって収拾がつかないなあと思う。こういう問題だとみんなつい感情的になりがちだということもあるけど、それを除いても、やはり対立点は残る。つらつら考えるに、おそらくだが、人によって見てるところがちがうからではないか。で、そのことをわざとかもしれないが放っておいて議論するからじゃないか、などと思ったりしたので、手短にメモしとこうと思ったら自分でもぐちゃぐちゃになってしまってへこんだのだが、途中経過として記録しとこうと思うので書いとく。そういう前提でお読みいただければ。

対立ってのがどんなものかというと、たとえばこのニュース。

最低賃金が生活保護下回る地域、12都道府県に拡大
(朝日新聞2010年7月15日) 最低賃金が生活保護水準を下回る「逆転現象」が起きている地域が12都道府県あることがわかった。14日、2010年度の最低賃金の引き上げ額を議論する中央最低賃金審議会の小委員会で厚生労働省が報告した。これまでより2県増え、差も広がった。
・・・使用者側委員は「中小企業は厳しい経営環境が続いている」と最低賃金の大幅な引き上げに懸念を示した。
労働側委員は「今の最低賃金額では、健康で文化的生活にはほど遠い」と反論し、労使代表が雇用戦略対話で合意した「全国最低800円」という目標を3年程度で実現すべきだと主張した。

生活保護と最低賃金という2つの社会保障政策の「不整合」という問題。あらっぽく類型化すると、次の2つの意見が対立しているという構図に集約されるのではないか。

(1)最低賃金が生活保護給付より低いなんてひどい。だから最低賃金を引き上げるべきだ。
(2)生活保護給付が最低賃金より高いなんてひどい。だから生活保護の給付額を減らすべきだ。

もちろん他にもいろんな意見があるだろうがあくまであらっぽい類型化。どちらかの立場を明確にとっておられる方にはなかなか想像できないかもしれないが、それぞれの考え方にはそれなりの支持者がいる。ここではとりあえずその適否はおいとく。とにかく対立している。それぞれの意見の「根拠」としてよく持ち出されるのは、象徴的な事例だ。たとえば(1)の立場では、こんな記事。

最賃上げ景気回復 全国から霞が関に願い結集」(しんぶん赤旗2010年7月29日)
「最低賃金の時給では、(生活保護水準の収入を得るには)1日14時間も働かなければならない」。日比谷野外音楽堂で開かれた総決起集会の壇上で、大阪労連の代表は最低賃金の低さを告発しました。前日は労働局前で千分間のハンガーストライキを決行。最低賃金額で暮らす1週間の食事を並べたところ、その量の少なさに驚きの声が上がったと報告しました。

要するに、最低賃金が低いがゆえに困ってる人がいるという話だ。この立場の方はおそらく、生活保護についても現状は不充分であると考えている可能性が高かろう。そういう考えを補強するのは、たとえば生活保護申請の際に事前審査をしていたケースとか、生活保護を受けられずに熱中症などで亡くなってしまったケースなどの記事。説得力がある。

一方、(2)に近い立場では、たとえばこんな記事が挙げられるだろうか。

「沖縄旅行」に「月一すし40皿」 生活保護では「贅沢」なのか(J-CAST NEWS2009年10月20日)
政権交代前の09年8月21日の毎日新聞では、京都市の46歳の母親と18歳の長男の世帯での、母子加算が打ち切られる前のエピソードが掲載されているのだが、
「月1度の回転ずしがささやかなぜいたくだった」
との書き出しで、
「向き合って座り、積み上がった40枚以上の皿を見る時だけは、貧しさを忘れられた」
などと綴られている。これに対して、ネット上では
「40皿は多すぎる」
「どうして、子どもはアルバイトをしないのか」
といった批判の声があがっている。一方、母子加算の減額処分の取り消しを求めて訴訟を起こしていた広島市の原告女性は
「『沖縄の水族館に行きたい』という長女の夢をかなえたい」(09年10月1日、朝日新聞)
などと発言。これに対しても、やはり
「沖縄よりもずっと安く行ける水族館は沢山ある」
「どのレベルまでを(憲法で保障されている)『文化的な生活』として許容するのか」
などと批判が起こっている。

こちらは生活保護に注目して、受給者の要望がぜいたくではないかとほのめかしている。この記事はやややっかみめいたものがあるが、もともとこの意見は若干表に出しづらいのだろう、マスメディアなどでは「控えめ」に伝えられるのがふつうで、もっと露骨な意見が見られるのは主にネットだ。この記事もネットニュース。とはいえ、これにたとえば、ちょっと前に話題になった外国人が来日直後に生活保護申請しようとしたケースや「生活保護受給者がベンツでパチンコ屋に日参」のような数々の噂話を含む一連の不正受給問題が加わると、それなりに説得力が出てくる。

もちろんこの問題、理屈の上ではそれなりにはっきりしている。そもそもこの2つの不整合が問題だという点については異論なかろうが、法的には、最低賃金法の2007年改正で、生活保護制度との整合性をはかることが求める規定が加わった。こんな規定。

(地域別最低賃金の原則)
第9条 賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保障するため、地域別最低賃金(一定の地域ごとの最低賃金をいう。以下同じ。)は、あまねく全国各地域について決定されなければならない。
《全改》平19法129
2 地域別最低賃金は、地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない。
《全改》平19法129
3 前項の労働者の生計費を考慮するに当たつては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする。

要するに、生活保護の水準を前提として最低賃金を決めろという話で、その意味では上記でいう(1)が「正解」というわけだ。さらにここにはもれなく、企業が従業員を非正規雇用に置き換えてコスト削減しつつ巨額の利益を上げ、内部留保としてため込んでるみたいな話がついてくる。とくれば、最低賃金を引き上げろというのは当然のようにも思われよう。

しかしことはそう簡単じゃない。そもそも賃金は民間が決めるものなわけで、政府が最低賃金を定めることは、企業への規制。だからその引き上げは規制の強化で、かつ体力のない中小企業などでは死活問題に直結するから、実際に引き上げようとすれば反発があるのも当然。

溝大きく議論平行線 最低賃金・県内審議始まる」(沖縄タイムス2010年8月21日)
県内専門部会で経営側は「(目安の)10円の増加は、地域の経済情勢を全く考慮しない乱暴なもの」と指摘。中小零細企業の多い沖縄では、企業経営が困難になり、人件費の上昇で「失業率低減の実現は遠のく」と、据え置きを訴えた。

それに、じゃあ大企業なら負担増でもいいかというともちろんそんなことはないわけで、今度は国際競争がからんできて、もし負担が増すようなら大企業は拠点を海外に移すようになるだろうから、このままでは国内産業が空洞化するみたいな話に発展する。この立場の人は当然ながら法人税の引き下げにも賛成するだろう。さらにここには、自治体ももうカネがないよという話が加わる。

県債残高  最悪1兆4487億円」(読売新聞(宮城県版)2010年8月21日 )
歳出は、中小企業への貸付金の増加により商工費が同315億円増の1059億円、老人福祉費や生活保護費の増加により民生費が同206億円増の1130億円となった。財政の硬直度を測る経常収支比率は94・2%で、01年度から9年連続で90%を超え、財政の自由度が狭まっている。

ここまでくると問題の裾野が広がりすぎて、もう収拾がつかない。一方が「大企業が金を溜め込んで政府も無駄金を使って」といえばもう一方は「ヤクザや外国人、それに一部の怠け者が大量に不正受給してるのを見逃すのか」と返し、しまいには膠着状態に至るかつかみあいになるかだ。

2つの考え方が、一見同じテーマに向かってるように見えても、実際には「給付が適切に行われているか」と「コスト増を誰が負担すべきか」について、それぞれ別の部分に着目しているわけだ。それぞれの部分はそれ自体必ずしもまちがってるわけじゃないが、結果として逆の結論に至るから、共存できるわけでもない。このへんを自覚してないのかあえて無視してるのか知らないが、自分たちに都合の悪い部分を見ないのでは議論がぐちゃぐちゃになるのはいわば当然だろう。

じゃあどうすればいいんじゃいというあたりまでつっこめるほどこの問題について詳しくはないが、少なくとも、「じゃあちゃんと調べて、負担すべきところが負担して、もらうべき人がもらうようにすればいいじゃん」みたいな誰でも思いつきそうなぐらい案で解決しないことはわかる。そのためのコストがかかるし、コストをかけても文句が出ない程度にきちんとできるとは限らないからだ。そんなことができるくらいなら最初から問題はおきない。

さらにいえば、この問題の裏にはおそらく、「どこかで誰かがずるしてうまい汁吸ってるんだろうそうにちがいない」みたいな、誰の心の中にもあるどろどろした感情が渦巻いてるのではないかと思う。もちろんこれは恥ずかしくて表に出せないから、代わりにりっぱなお題目を掲げることになるわけだ。しかしいったん掲げたお題目は一人歩きするから、逆にそれに縛られて身動きができなくなるという次第。

その意味で、ひとつ思うのは、情報の透明性と、それをみんなで共有するしくみが重要ではないかと思う。手短に書こうと思いながらだいぶ長くなってきちゃったのでここから先はまた別の機会にしようと思うが、主に自分向けのメモ書きとしてひとくさりだけ。

誰だって助けるべき人は助けるべきだと思うだろうし、ずるしてる人はペナルティを受けるべきだと思うだろう。本当に必要なコストをみんなで負担するなら甘んじて受けるが、必要でないコストを負担することや、自分たちだけが重く負担することはいやだとも思うはずだ。問題は、どういう状態が助けるべきでどういう状態がずるなのかについての認識が共有されていないことと、そうした個々の人々や企業の状態を把握したり、実際にサービスを提供したりするためのコストがかかりすぎることなのではないか。

たとえば最低賃金規制も生活保護も、憲法第25条が規定する「健康で文化的な最低限度の生活」を具体化するための制度であるわけだが、じゃあその「最低限度」がいったいどんなものであるかについて、認識が広く共有されているとはとてもいえない。その基準となる、厚生労働省が決める「最低生活費」はもちろんきちんとしたプロセスをふんで決められているのだろうが、実際誰がどうやって決めているかも含め、その詳細はあまり知られていない(付け焼刃で調べたらこのあたりに少し出ている。議事録も含め興味深い)。どうもあまり外部には知られたくないっぽい風情を感じるのだが、そのあたりは改めていくべきではないかと思う。専門性が要求される分野ではあろうが、同時に一般庶民の感覚との整合性が大事な分野でもあるからだ。むしろオープンに、どのレベルを最低限度とすべきか問うてみたらいい。

コストがかかりすぎるのは、つきつめれば、そのすべてを公的セクターに、「プロ」のサービスとして行わせようとするからではないかと思う。もちろん、必要なコストをかけられるようにするために経済成長の可能性を探ったり財源を確保したり他のところで無駄を省いたりする作業が必要であるにはちがいないだろうが、それと同時に、このサービス自体にかかるコストを下げることも考えていくべきではないか。最近一部で話題になった「新しい公共」がどんなものか詳しくは知らないが、考えるべき領域ではあろう。公的サービスをすべて公的セクターに任せる発想から、少なくとも一部は脱却したほうがいいような状況になりつつあるように思われる。公的セクターのやることに対しては、国民の側にも公的セクターの人の間でも、「無謬性」というとちょっとちがうニュアンスかもしれないが、「完全」を求める発想が今でも色濃くあるように思う。それを取り払って考えることも必要かもしれない。そのうえで、サービスの水準とそのための国民負担の関係をわかりやすく示すことで、社会的な合意につながっていく、とまで自信をもっていえるほどではないが、そう期待したいしそっちの方向ならできる範囲で協力したい。

とりあえずこのへんでやめとく。あとはまた別の機会に。

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Tracked on August 22, 2010 at 07:54 PM

» 中小非正規労働者は生活保護以下ださうだ [非日乗的日乗inowe椅子人blog]
「そんなんやつたら生活保護受けはつたらよろしねん。ずううつと得やで」 さういつた声が耳にはいつてきた。血色のいい老人が健康の為か歩きがてら、手拭で汗を拭き拭き話してをり、瞬時吾は疑つた。 周知のこととはいひ乍ら、勤めし店の大小にて給金は異なるうへに、その…... [Read More]

Tracked on August 23, 2010 at 02:11 PM

Comments

興味深く読ませて頂きました。私見ですが社会保障(生活保護)というものが、全保護か無保護かの両極端である事に問題があるように思います。生活保護受給者は、月々の保護費受給の他に医療費とそれに要する交通費の補助、公営住宅の優先的斡旋、公共料金や税金年金支払いの一部減免、ゴミ袋等公共消耗品の無償支給など、プレミアムが大変多い。比較して、保護ぎりぎりの方はこれらをきっちり自腹で払うわけで、実際の実入りは圧倒的に少なくなってしまいます。そこで、保護レベルを何段階か設けて、それに応じた給付を行うことと、希望者(若しくは医師等に可能と判断された方)は、少しの時間でも良いので、何らかの作業割り当てをした方が良いでしょう。また『給付』枠より『貸付け』枠を増やす事で、貸し倒れでも同様、返却があればその費用が減ると思われます。重ねて書きますが、オールオアナッシングで『給付』一辺倒では歪みは無くならないと思われます。

Posted by: 和尚 | August 24, 2010 at 01:16 AM

和尚さん、コメントありがとうございます。
以前、負の所得税について書いたことがありますが、現時点でも基本的に考えは変わっていません。
http://www.h-yamaguchi.net/2005/07/post_01a6.html
ポイントは、いったん給付を受ける立場になった方々に、そこから抜け出そうとするインセンティブを与えるものであってほしいということです。もちろん多くの生活保護受給者の方々がそう思ってらっしゃるとは思うのですが、制度的にじゃましてる部分がありそうにも思えますので。

Posted by: 山口 浩 | August 25, 2010 at 06:33 PM

最低賃金と生活保障の ”ゴチャゴチャ”面白く読みました。 で問題を100歩程戻して ”儲けなし経済” てな
事 考えたら どうでしょう? 常識ハズレも甚だしい
と言われそうですが 事実 現実には 家族内経済、
友人愛人付き合い、慈善救済、等等 ”儲けなし経済”
は GDP計算に含まれないが かなり大きな”経済”と
思えます。 それが 貨幣制御市場経済と 混合共生  癒着抗争 している。ゴチャゴチャ思考の 良い種でしょう。 が 根本問題でもあるようです。  

Posted by: Oldbird | September 11, 2010 at 09:37 AM

Oldbirdさん、コメントありがとうございます。
いわゆる地下経済というか、インフォーマル経済ですね。大事な話だと思います。本文中の最後の段落は、それに関連するという意識で書いていることはおわかりいただけるかと思います。この種のものはフレーミングが大事なので、今後ともいろいろなかたちで発信していきたいと考えています。

Posted by: 山口 浩 | September 15, 2010 at 10:22 PM

最低賃金と生活保障の論題からはづれて 益々ゴチャゴチャに迷いこむようになりそうで申し訳けないです。 私には経済の話全くの謎。 風が吹けば桶屋が儲かる式に因果で一筋道を追う事はできそうですが 多数の筋の絡まり合いや循環する関係を どう整理したら良いのか?

白状しますが 私は引退生活 時間は持て余しているし 健康のために歩たら良いのに 自動車で近くの買い物に行く類の人間で 経費を計算したら馬鹿な事をしてます。が もし自動車なしにしたら GMはおろかトヨタもつぶれ 連鎖不況になり 失業増加。 最低賃金など法にあっても労働者層の貧困化を止める効力がないでしょう。資源 労働力を浪費しなければ 所謂 ”経済”が成り立たない? 経済と言う概念の反対になる ???  

Posted by: oldbird | September 18, 2010 at 12:23 AM

oldbirdさん、コメントありがとうございます。
確かにこの話は難しくて、経済だけじゃなくて政治やら、社会学やら心理学やらにも、もちろん医学やらにも、考えれば考えるほどいろいろなところに広がっていきます。複雑なフィードバックメカニズムが入っているので、何かやった結果は予想を超えたかたちで返ってきたりもします。
個人のできることは限られていますから、日本経済のために自分が消費するのだと意気込む必要はないとは思います。ただ、もし生活に余裕があるのでしたら、ご自分にとってより「価値」があると思われるものにお金をかけていくとよいのではないかと思います。そういう行動の集積が経済や社会を発展させていきますので。

Posted by: 山口 浩 | September 21, 2010 at 07:28 AM

価値選択と言うよりは その時の 行き当たりバッタリで
勝手な事をしている 典型的な中流下層人種ですから
経済をどう動かすなんて意気込んではいませんが 誤魔化されて良い食い物にされている感じがあり 犠牲にされて
いるとまでは言いませんが 一体どうなってるのと疑問は
あります。 私がどう思うと 私の年金や老後貯蓄からの
収入は 所謂経済の好不況で上がり下がりするのを どうする事も出来ない。 政策や金融界の お偉方の操作で
私が食えなくなる可能性は現実にあり 他人事でない。
と言って どうするとなると答えはない。 パスカルの
言う ”それでも人間は考える”でしょうか?  
昔 ベブレンと言う人が 工学的な思考人に経済の将来
を期待したそうです が 菅首相が工大卒なのに希望が
掛けられるか? 怪しい。 円高ドル安えの対応をみて
下層労働者賃金の低下は避けられそうにない。たまたま読んだ The Soul of Capitalismと言う本に 一人一人の自立自発が 根本だと論じている 出来ればよいが
自立自発の基盤は既に奪われて存在してないのではないでしょうか? 

Posted by: oldbird | September 24, 2010 at 02:23 PM

oldbirdさん
端的にいって、私たちは「正解」あるいは「理想像」を求めすぎなのではないかという気がしています。もちろんそうしたものを考え求めていくことは大事だと思いますが、それがないから動かない、許さないといった考え方があるとすると、あまりよろしくないと思います。
経済の動向は、もちろん「お偉方」のやることやらないことに起因するものもたくさんありますが、それ以上に外部環境や技術、社会全体の変化による部分のほうが大きいはずです。もちろん彼らにはそれらに対処する責任があるわけですが、だからといって彼らにすべて任せておけばいいというものでもありません。
工学的な発想は必要ですが、かつてのように、しくみのわかっている機械をうまく操作すれば万事うまくいくという考え方は、現在ではあまり妥当性がありません。私たちの将来は、道なき道を行くようなものとなっています。そういう際には失敗や非効率はある程度つきもので、それをあまりひどくなりすぎないようにあちこちいじりながら動かしていくわけです。うまくできない人がいれば、当然挿げ替えていくことになるでしょう。それが民主主義です。それが最適解につながる保証はありませんが、決定的に悪い状況には比較的なりにくいという社会的合意があり、かつ、みんなで決めたんだからという社会的な納得のしくみが内包されているという点が強みです。少なくとも、他の方法よりまし、ということです。
当然、個々人にはそれぞれ不満やいいたいことがあるでしょう。発言したければ、自分からするしかありません。自立自発の基盤が破壊されたとは私は思いませんが、万が一破壊されたとしても、自立自発が必要である状況には変わりありません。それは、所得再分配やら社会福祉やらの水準をどのあたりにするかとは別の話です。

Posted by: 山口 浩 | September 25, 2010 at 01:43 PM

ゴチャゴチャ論の魅力は何か考えてます。 理想論でも
正義論でもなく 会話 相談に窓が開いているてな事でしょうか? 熱烈授業なんてを東大で試したそうですが
私の一般教養の経済学など 500人も大講堂で 教授が
お経をあげてるみたいな事 嫌気が差してサボリ。その
バチが当たってるのかも 以来経済の話はサッパリわからない。 自立自発としても旅は道ずれ世は情けで相談仲間が要ります ブログがある事有りがたい。 昭和の初めにこれがあったら 太平洋戦争は無かったかも。 さて経済。 最低賃金も生活保障も 最下貧困層が
益々貧困化する事からの問題 (相対としても)でないかと思えます。 それが市場経済機構に必然とすると
応急手当の絆創膏では間に合わない。 経済機構は機械
のようには目に見えないので 何処を直したらどうなる
とすぐには解らない だからゴチャゴチャ話すしかないとなるのかも。 
  

Posted by: oldbird | September 26, 2010 at 10:14 AM

oldbirdさん
経済学は日々進歩しています。勉強されたのがずいぶん前なのでしたら、ぜひ最近の本を読まれるといいのではないでしょうか。わかりやすい本もたくさんあります。同僚のものを1冊挙げておきます。
飯田泰之「世界一シンプルな経済入門 経済は損得で理解しろ! 日頃の疑問からデフレまで」
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%80%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AB%E3%81%AA%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%85%A5%E9%96%80-%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%81%AF%E6%90%8D%E5%BE%97%E3%81%A7%E7%90%86%E8%A7%A3%E3%81%97%E3%82%8D-%E6%97%A5%E9%A0%83%E3%81%AE%E7%96%91%E5%95%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%83%87%E3%83%95%E3%83%AC%E3%81%BE%E3%81%A7-%E9%A3%AF%E7%94%B0-%E6%B3%B0%E4%B9%8B/dp/4047264458
ブログがあったら太平洋戦争が防げたかどうかは、ちょっとよくわかりません。ブログに限らずネットはメディアの一種で要は伝達・拡散の装置ですから、そこで何が伝えられるかは別問題。冷静にものを見て考えようとする人がどのくらいいるか、だと思います。
貧困は確かに問題ですが、それがすべてではありません。いろいろな問題がからみあって、原因になったり結果になったりしています。当然、対策も、正反対のものが同時に提案されていたりして、何がいいのやらわかりにくい状況です。
具体的な対策には専門知識も必要でしょうが、私たち誰でもができるのは、「どんな社会が望ましいか」についての議論かもしれません。私がNHKで放映されていた「ハーバード白熱教室」に注目するのは、まさにその点、私たちがどのような価値観なのか、どのような社会が望ましいのかについて発言していくこと、他人の意見に耳を傾けること、冷静に議論をして考えを深めていくということを正面からやってみせたことです。もちろんあれは大学の講義ですから、思想の理解のために具体的な事例をだすという位置づけで、そのままあれが実社会の議論に適用できるとは思いませんが、議論していくことの意義を見せてくれたことはたいへんよかったと思います。あれがそれなりの人数の日本人の心をとらえたということは、日本人もまだまだ捨てたもんじゃないということなんでしょう。
幸い、議論の場はかつてより大幅に広がっています。どんどん発言して、いろいろ見て聞いて、考えていくことから始めたらいいのではないでしょうか。当然、その間にもいろいろ対策をとるべきところはあるはずだし、実際動いていくでしょう。私たちは走りながら考えることを求められています。

Posted by: 山口 浩 | September 28, 2010 at 01:07 PM

毎度御丁寧に返信頂き恐縮です。素人相手に大変な努力で
飯田氏の損得主義から見て全くの”非経済”で申し訳ないです。(他の人の発言が無いようで気になります)
が 損得外、市場外経済はかなり大きなものにおもえます。生活補助 最低賃金法もその経済の一部かも。然し
”金は天下の回り物”と言う貨幣循環が円滑に動くのは
市場経済にとっても必要条件でしょうから その辺また
ゴチャゴチャ論になる? 循環について質問があります
良く”金持ちは益々金持ちに 貧乏人は益々貧乏になる”と言われます。 金子勝の逆システム学にもそう
書いてあるが どうしてかの説明はない。もしそうなら
生活保護など 永久に依存性を増すだけになりそうに
思えます。 御教示いただけますか? (付記:ここで日本語出版物を手に入れるのは不便で時間がかります。
御紹介の飯田氏の本 読みたいものが幾つかありますが
年末まで手が届きません)

  

Posted by: oldbird | September 30, 2010 at 02:37 AM

oldbirdさん
もし世の中が「金持ちは益々金持ちに 貧乏人は益々貧乏になる」ようなものであるならば、たとえば弥生時代や奈良時代は皆が平等だったのでしょうか。農家の方が凶作で子供を遊郭に売らざるを得ない状況は、つい数十年前まで存在しました。そういう時代の方が人々は豊かだったのでしょうか。
そういう議論は、基本的には「オレの若い頃はよかったのに」という老人や若老人の繰り言にすぎません。金子さんの場合はまあ若干イデオロギーがかったポジショントークですね。
実際には、人々の相対的な豊かさの分布(それを「格差」と呼ぶのは最近の流行ですね)は、時代とともにいろいろ変動してきています。相対的に差が広がるときもあれば、狭まるときもあります。生活保護制度は戦後のものですが、なんらかの公的・私的な施しによって生きる人々は、大昔からずっと存在してきました。おそらく人数やその比率も時代によって変動してきているでしょう。戦後の変化はこのあたりに出てますのでご参考。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2950.html
こうしてみると、生活保護を受ける人はずっと減ってなくて最近増えてるみたいな話になるわけですが、これは「最低限度の生活」をどの程度に設定するかとか、どのくらい予算があるかとか、そういった事情に依存する部分もあるはずですので、いちがいにはいえません。要するに変動してきたということです。
格差の問題は、その水準よりもその固定化をこそ問題視すべきだというのが私の考えです。本人の努力によって乗り越えられない部分がある程度より小さくなっているべき、ということです。
しかし、「出口」がなければ、がんばろうという気力もわかないでしょう。経済成長は、保護が必要な人々への保護の原資として必要であると同時に、前途ある人々にがんばろうという意欲を与えるためにも重要です。ポイントは、この2つの間に摩擦があることで、そのときの情勢に応じて微調整しながらバランスをとっていく必要があります。
何か1つの政策を採用すれば問題はすべて解決、といった主張をする方がいますが、ものを知らないか、嘘をついているか、あるいはややこしいところをはしょっているかです。ものごとはそんなに簡単ではありません。同様に、ものごとは悪くなる一方というわけでもありません。
今が数年前よりよくないとしても、別の時代からみれば夢のような豊かな時代であり、同時に今後の発展を期待できる時代でもある、と考えます。過去に学ぶのは必要ですが、これからをより
よくするために今できることをやっていくことが必要なのだと思います。私が本文で書こうとしたのは、価値観についての議論を欠いたまま制度の細部を議論しても水掛け論になるのではないか、という考えからです。それこそが今やるべきことの1つなのではないか、と考えています。

Posted by: 山口 浩 | October 01, 2010 at 11:30 PM

 又又ご返事有難うございます。異差が無ければ交換も協力も意味が無いでしょうから 異差そのものが問題でなく異差の種類、程度とか社会効用、その変化経緯が話題かと思えます。 逆システム学のヒイドバック束がその解明に役立つのを期待して 経済生理学とでも言う物を待ってます。
 貧困問題ですが 仰せの通り物品、エネルギイ消費では上昇して来たのは事実で 戦前昭和の生活水準に
比べれば 今の日本は断然裕福です。 それでも生活保障などが問題になるのは 相対差からと思えます。 その相対比をどう計量するのか知りませんが 例えば 
下層労働者の賃金と 最高富裕層の収入の比など見ると
所謂格差は大体増大傾向にあると言えるのではないでしょうか? それが差である事以上に経済機構の社会
効用能率にどう響くかも問題なようです。(さし当っては 経済成長率にも影響があるので 政策問題にも
されている?) 貨幣媒体市場は消費財の供給に大変便利な”社会技術”(方便?)なのは議論の余地がないでしょう。 が 金融と生産の齟齬が騒がれるようになった今日 貧困層と裕福層の金融市場加入に格差があれば問題は更に深刻になりませんか?   

  

Posted by: oldbird | October 02, 2010 at 02:26 PM

oldbirdさん
ご趣旨を正しくとらえているかどうか自信がありませんが、社会全体として格差が拡大傾向にあるのは事実のようです。その最大の原因は高齢化の進行だそうでして、もともと所得格差の大きい高齢者が人口に占める割合が増加するとともに、国全体としての格差が拡大しているとのこと。それに対応して、政府を通じた所得再分配機能の役割もどんどん増大しているわけですが、それでも足りないという声が上がっているのが現状なのでしょう。ただ、ではもっとやればいいのかというと、それがそう簡単な話ではないようだというのが本文でも書いた内容です。
ある問題への対策が別の問題を引き起こしたり悪化させたりすることはよくあります。これもその1つだと思います。私たちはどこかで選択を行わなければならないわけですが、それは決して二者択一のような単純なものではなく、バランスを微妙に調整し続けるような、めんどうなものであるはずです。もちろん、その前に、問題を細かくみたり、別の問題とセットで考えたり、別のやり方を考えたり、新たな枠組みの中で位置づけたり、いろいろ努力して、より高い水準の満足につながるような工夫をしていくべきなんでしょう。
みんなで考え、みんなで実行していくために、情報がこれまで以上に共有されていくべきではないか、というのが、今私が考えているおおまかな方向性で、それを本文で書いたつもりです。

Posted by: 山口 浩 | October 08, 2010 at 11:34 AM

ご返事有難うございます。 初めのゴチャゴチャ論の文調から 会話相談方向えの魅力を感じてまして つい素人のくせに寄稿してしまいました。 問題があります。悪を非難攻撃するのは安易ですが ではどうするかとなると自分の負担になり 能力が不足なのが露呈してしまいます。 昭和1桁代に ”ノウタリン”てな悪口がありました まさにそれかも。 でも 人間の能力は 測り知れないもので 機会がないので発達せず 潜在失業みたいになっているとも考えられます。 その筋で行くと アダムスミスの分業論 それを生産分配まで広げた市場論は どうして社会規模の協力に潜在能力を活用するかを提唱していると読めます。 私は 経済とは社会規模協力の話しと見ようとしてます。 勿論 分業となると 依存 寄生 組み合わせの齟齬 おちこぼれ 等の問題が起きるでしょう。 それで 塩が多すぎる胡椒がたりないてな 統制 調整 問題になり 今まだ完全とは言えない。 丁度いい塩梅とは ”イイカゲン”と
同意ですが 川清くして魚住まずでは困るので 大変むずかしいようです。 
 さて どうするか? 解らない。 まず話し合ってみる位が 私の限界です。   

Posted by: oldbird | October 09, 2010 at 02:18 AM

oldbirdさん
個人的な考えですが、世の中もう少しいいかげんでいいのではないかと思います。技術の発達や教育水準の向上のおかげでもあるんでしょうが、これまでと比べて社会のすみずみにまで目が届くようになりました。それはいいんですが、細かいところをいいすぎるきらいが出てきているように思います。正しくなければならない、と過剰に考えすぎる必要はないと思いますがいかがでしょうか。
あと、個人個人の力は小さいので、1人で世界をしょって立つ必要はありませんが、とりあえず自分は悪い方向に向けないように心がけよう、ぐらいは考えてもいいのかもしれません。それとてしばしば難しかったりしますから、それなりに悪くない目標だと思ったりしてます。

Posted by: 山口 浩 | October 13, 2010 at 11:39 AM

ご返事有難うございます。今になって ”ぐちゃぐちゃ”と”ゴチャゴチャ”を混同していたのにヤット気がつきました。年寄りにボケ お許しください。 ”ぐちゃぐちゃ”の方は理論の筋が通らないという経済学の問題かと思います。 ”ゴチャゴチャ”の方は理論などない雑多な集まり。言うならば経済史の視点に近い。それも ”元禄ブウムは幕府が悪質貨幣増発で金融緩和政策を取ったから”てな類の話では 偶然性を承知でも何か理屈の筋をつけて解ったような気になりたいし それが現今の金融政策と似た所がありそうと歴史の教訓を引き出すそうとなると 理論メイタ話になる それで ぐちゃぐちゃとゴチャゴチャが同じような事になってしまう。 まあ これは私の言い訳。 元禄ブウムについて更に言えば 富豪商人の出現 アプスケイル贅沢商品の出回りが目立ち それなりの生産力成長があったのでしょうが 当時4大都市の一つであった金沢あたりの記録では下層農民 下層侍は 余り良くなった形跡はなくむしろ格差が拡大したのかも。 これも最近の状況と平行に議論の種になりそうに思えます。勿論封建制では武力による略奪経済が多少進化した程度でしょうから 社会保障などの意識はなく 困窮層の忍耐相場を下回り 不満 不正義感が爆発し政権不安に延火するおそれがあり徳政なんて妥協は試みられ ある均衡状態あったでしょうが 今の”社会相場”とは大変違っていたでしょう。同じ数式モデルで比較や説明ができるか疑問です。

所で この”相場”(広義)は理論の筋からそうあるべき均衡か 雑多多数の平均みたいなものか? 殊に
市場経済が広範に支配的になった今日では 普通大体そうであるという常識礼儀作法から 価値感 道義感 政治機構えの責任期待 要求も 大量生産規格化され ”相場”が個人を規制しているでしょう。単純な
雑多多数の平均ではないようです。 雑多性も偶然性も
大きいけど 理屈というか機構というか 筋を知りたい
です。  今年のノウベル経済賞は 失業の研究とか。それも 貧困問題えの関心が高くなってきてる背景から
でしょう。 一頃前までは 経済成長が中心課題で 成長があれば 貧困格差問題など自然消滅するだろうと思うのが 相場常識でしたが 問題はそう簡単でないのが
知れて来た それで 山口氏の”社会保障ぐちゃちゃ”論の出現となったかも。

Posted by: oldbird | October 14, 2010 at 02:27 AM

oldbirdさん

江戸時代の経済についてはほとんど知りませんが、基本的に鎖国状態ですから、今のグローバル化の進んだ経済とはずいぶんちがうだろうと思います。社会福祉みたいな概念もない時期ですし。
個人的な問題意識は、この種の問題では絶対水準より「期待」のほうが大きな影響力があるのではないかという点です。生活水準は、福祉はこの水準であるべき、という期待がどのへんにあるかによって、現状をどうみるかは大きく変わってくると思います。今は、政府をはじめさまざまな人たちが総力を挙げて「変化」を抑えこもうとしているようにみえます。それが限られた資源でより高い満足を得るための一手法だからですが、このため私たちは、変化に対してとても脆弱になってしまっているのではないか、というのが懸念です。

Posted by: 山口 浩 | October 15, 2010 at 12:19 PM

付け刃か泥縄かウエブで厚生経済学を検索して見ました。アロウの不可能性定理なんてのが出てきました。 ジャンケンンポンとか落語のジゲムジジゲムと同じものですがぐちゃぐちゃ論もその類でありませんか? 論理学のラッセルの回帰迷理も グルグル周りの構造で似ています。 なら貨幣の循環は? 考えてみます。
パレイトの原理も出てきました:最上20%の富裕層が国総収入の80%を占めると言う。 これ大体の話で 最上層10% あるいは1% でも 同じような差の大きい分配になるかと思います。 が 分布である以上 こうした比較差があるのは当たり前で それ自体問題ではないでしょう。
問題は"貧困”で 相対的だと片付けてしまって良いと思えません。 私の行った小学校は池袋の東 あたりに貧乏長屋が沢山ありました。 自身も戦争で飢えを知ってます。 その感覚から言うと ジニ係数の話し等はソッポを向いている気がします。稲田宇沢の経済発展なんて本の初めをチョット見ましたが 潜在失業をどう活用するかを話して居るようで 人道正義論は別として 貧困とは 人間の潜在能力を無駄にしていると言う 経済非能率を含んでいるでしょう。 社会保障がそうした
機構欠陥にどう対応するでしょうか? 真向からの議論がありますか?  あの戦争であれだけの犠牲を払うくらいなら 戦争より経済でもっと効果的に 東条の言った ”ジリビン”をどうにか出来たのではないか
なんて事 つまり 昔はもっと悪かった 進歩はありえないかが 私の懐古です。     
  

Posted by: oldbird | October 18, 2010 at 02:54 AM

わき道に迷い込んで 論理もぐちゃぐちゃになる なんて事に行ってしまいましたが 丁度尖閣島領土紛争などあり現社会は 武力 暴力支配の段階を抜け切れてないのに気が付きました。 社会保障も合理性や自由を前提にする経済理論から演繹される均衡などでなく力関係で国家権力の規制が何処で妥協 癒着するかてな問題とも見れます。
理論は 少なくとも孔子の言った礼で 社会の成立に不可欠で 西部劇の無法者達でも ミッシシッピイ河に浮かべた賭博船の中では一応規則礼儀に従ったようです。けれども 論理 理論は 暴力 武力の前に無能です。
とすれば 社会保障 最低賃金は 貧困階級 労働階級
が政治闘争で勝ち取るものとなります。 経済理論からの正等化は言論による闘争の武器 あるいは権力の粉飾
とも取れるでしょう。 P.H.Lindertの Growing Public
(CambridgeU.2004)にその観点から書いてあるのを 市の図書館で偶々みました。 この本は社会学の観点から
で経済史に触れますが経済の理論解析はないようです。
国家権力は武力による支配略奪で成立したもので 煮詰めれば 問答無用。 昭和初期にあった軍の暴力支配は
そんなに遠い昔でなく 又国際関係では 未だに原爆と言う大量殺戮武器の威嚇なしに済まされないようで 尖閣島問題でも 核の傘なんて事に及んでいるようです。
市場経済にしても そうした国家権力の規則 安全の保障の上に可能になるので 問題 齟齬があるにしても 強制権力なしには成立しないでしょう。 つまり 所謂
自由市場は仮想で現実でないでしょう。
勿論 闘争論は 人間に自然な博愛性 合理えの願望
正義感を無視する事になります。 経済学は そうした
広い意味での人間社会経済にあまり関心があったように
見えませんが 論である以上話合いえの道は開けている
問答無用ではないと言う点でマシでしょう。 金融政策がどうのこうのと論ずるのは経済機構運営の全体にたいする良し悪しを言って居るので それをもう一歩進めて社会全体に対する効用費用を論じても良いはず。 あまりやりたがらないのは どうしてでしょうか?
1970年代初めに出た 宇沢:自動車の社会費用なんて読み返していますが 啓蒙書だからでしょう どうも反自動車扇情的で 交通の社会利益には触れてない 人間が
いかに愚鈍でも全然利益にならない事をし それがしかも日本の驚異的経済成長の基幹となったとは考えずらい(但し 戦争は別ですが)。 何処かに数理解析が
ありそれを踏まえての事かも寡聞にして知りません。因みに宇沢は ”金持ちは益々金持ちに、貧乏層は益々貧乏になるのは 市場経済のメカニズムに内包していると書いてます。 説明はなし。 本の主題から外れるからでしょうが 貧困層存在の社会費用なんても見たいです。 逆方向に”規制改革消費者恩恵は25兆円なんて
Newsもあった。がどうして計算したのか説明なし。 それなら 90兆円に昇る社会保障がどう金融循環に効いているかなども 素人に親切な解説があって欲しいです。  
 


Posted by: oldbird | October 26, 2010 at 06:04 AM

oldbirdさん
どんどん話がややこしくなってきてますね。確かに現実世界は力が支配する世界という面も持っていますが、同時にそれを「正義」(それが何かが実際には問題になるわけですが)やら「道理」(誰にとっての、が常に問題になりますが)やら「法」(これがまたあいまいで無力ですね)やら「常識」(同左)やらで修正していこうという動きもかつてないほど強くなってきているように思います。
日本はその意味ではやはり世界最先端に近いほうの存在でしょう。他人によって命を奪われることがめったになく、飢えて死ぬ人もほとんどない。たいていのことは言ったりやったりしても自由で、公務員が少なくとも表面上はいばらない。これだけでも、世界を見渡せば実にありがたいことだと思います。
世の中のお金の使われ方は、もう少し細かく説明を聞きたいところではありますね。ただ、かなり複雑なので、実際に聞いても私たち素人にはなかなか理解できないかもしれません。ただ、この種のことは、詳しく知れば知るほど簡単には説明できなくなってしまうので、池上彰さんのような人にお任せするのがいいかもと思います。
拙い知識を前提として私の印象を申し上げれば、現在社会保障にかけられているコストは、おおまかにはそれなりに効率よく配分されているように思われます。ただその一部、あるいは薄く全体に、無駄に使われている部分があるようにみえます。そうした無駄の存在が、増税その他の負担増に対する強固な反感につながっているように思われますので。

Posted by: 山口 浩 | October 30, 2010 at 08:01 PM

ぐちゃぐちゃを益々ぐちゃぐちゃにして申し訳ないです。色色勉強になりますのでお話の続きと思ってますがさてヘボ碁の次の一手 何をどう進めるのか解りません。それでも背伸び精一杯以上のテライで頑張っています。ご了承下さい。 生活保障の国際比較をウエブでみたら財政金額では日本と米国に大差がないのに日本の状況は断然良いようです。 少なくとも子連れで住居から追い出されるなんてあまり無い。これ不思議です。 米国の方が資源も豊かで基本的な食料は安い。老齢化をいうなら若い移民もあり将来の労働力の心配はないようです。 何が違うのか? 生活保障はどれたけ税金を取りどう分配するかの問題だけでないようです。 経済格差でしょうか? 医療費が高い、犯罪率が大きい等も経済の社会効用費用に効いているのかも。 NHK番組”駅弁甲子園”を見ました。儲けのための競争ではありますが30番になった人の話の影に村の存亡を掛けての奮闘があり 米国には無かった長い歴史の部落共生からの社会全体までは行かないけど周りの人々を本能的に思う優しさがあるように感じました。勿論家族や部落の生活は金支配の市場経済に飲み込まれ崩壊過程にあるのは百歳以上生死行先不明なんて事で証明されているかも。だからこそ販売競争に勝たなければとなる。 がまだ何か残っている? それと同じ筋で"一番でなければいけないの?”の大臣発言も 資源の乏しい日本は技術でと言うのは解りますが ”全体の水準や福祉を考えたら”と一言パット出る感性が為政者にあって欲しいとおもいます。でないとベルリンオリンピックで黒人が一位になったのを黒人差別の酷かった米国の誇りにする類になる
恐れがあります。もし現条件で経済成長が生活保障を
必要とするような格差を不可避にもたらすなら成長の社会効用と社会保障の費用との均衡点は何処かなんて計算
があるべきとおもいますが ありますか? 裕福つまり余裕があるとは 遊びがある事で 蟻とバッタの話しになるかも。 があの話し蟻も死ぬので一生齷齪働いてしぬのが人生の目標かと反論があり ニイトや草食系も
一理ありそうです。 それにでは老後どうすると反反論が出る これもぐちゃぐちゃ。 長い歴史の目で見ると そうしたぐちゃぐちゃの中から 武力暴力からの開放と言う意味で文明の進化が出て来たので 千年河清を待つぐらいの楽観で ぐちゃぐちゃを辛抱強く続けるしか
ないようです。
 

Posted by: oldbird | November 03, 2010 at 12:03 PM

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