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「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」

加藤陽子著「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」朝日出版社、2010年。

けっこう売れてる本らしい。タイトルのつけ方がうまいせいもあるだろうが、やはり内容ということだろう。

「もはや戦後ではない」という有名な一文が書かれたのは1956年の経済白書だった。その前年である1955年に、1人当りの実質GNPが戦前の水準を超えたことを指してのもので、つまりここでいう「戦後」とは、戦争によるダメージから抜け切れていない時代、ぐらいの意味合いなんだろう。

今日、「戦後」ということばはもう少し広い意味で使われている。文字通り「戦争の後」の時代、だから今も戦後にはちがいないわけだ。もし、その意味合いで「もはや戦後ではない」ということばを使うとすると、その意味は自ずと「戦争の前」もしくは「戦争の最中」ということになる。

こんなことを書いているのは、「もはや戦後ではない」が後者の意味で使われている例を、何度も見かけたことがあるからだ。典型的には、戦後日本に根付いた平和憲法の精神が今危うい、右傾化の波が押し寄せている、軍靴の音が高まりつつある昨今どうたらこうたら、みたいな話、あるいはその逆に、平和ボケの日本は危ない、某国の軍備拡大で脅威が増大している、今こそ防衛力のさらなる強化を、みたいな話の一環としてだ。

戦争を「悪い人が起こした悪いこと」みたいに教える教育を受けて育った身としては、何かおおげさだな、と正直思ったりすることもあるわけだが、昨今のあれこれを見てると、脳天気なままでいられる状況ではないくらいのことは素人ながら一応理解しているつもりだ。そういう観点でみると、この本は実に示唆的というか恐ろしいというか、存在感のある本といえる。

本書は要するに、戦前の日本がどうやって戦争に入っていったのかを歴史的経緯から説明するというもの。「日本」でも「日本政府」でもなく、「日本人」が戦争という選択肢を選んだ、というのがポイント。だめな政府のせいとか、暴走した軍部のせいとかにして片付けない、ということだ。だからといって「一億総懺悔」に戻るわけでもないし、欧米列強の陰謀とかいう話に逃げるわけでもない。誰の、何が、どう働いて「戦争」という選択がなされたのかをていねいによりわけて、また大きく統合して、説明している。

歴史というのは、比較的誰にでも何かしら語れたりできるから、トンデモな感じのやつとかすごーく我田引水なやつとかも含め、実にさまざまな言説があるわけだが、これは歴史学者による、最近の研究成果までふまえたもの。きちんとエビデンスが示されて、それをこう解釈するという、考え方の道筋がはっきりわかるようになってるから、見解に賛同できるかどうかは別にしても読んでいて安心感がある(反論したければ反証をもって主張すればいいだけだ。少なくとも素人たる私はそんなものは持ちあわせていないので、反論したいとは思わないが)。そういうかっちりしたところもありながら、それでいて、高校生向けに語っているから、わかりやすい語り口。5日間の集中講義の内容をまとめたものだそうだが、なんとぜいたくな機会。受けているのは栄光学園の生徒さんたち。彼らがまたすごかったりするんだが、そこは本題ではないのでおいといて。

本書でいう「戦争」は、太平洋戦争だけではない。近代日本が国家として行なった戦争、日清、日露、第一次世界大戦、満州事変から日中戦争、そして太平洋戦争までを含む。とかく切り離して取り上げられることが多いこれらの戦争の全体を見通す構成は、歴史が連続したプロセスであることをふまえたものだ。私たち素人はつい、歴史の教科書に出てくるいろいろな事件を別個のイベントとして考えがちだが、それらはすべてつながり、絡まり合って紡がれていくものなわけで、ぶつ切りにしてはきちんと理解できない。

その「ぶつ切り」の最たる例が、1945年だろう。今は、あるいは他の人はどうか知らないが、私は私が受けた歴史教育から、1945年を境に日本はがらりと生まれ変わった、という印象を受けた記憶がある。もちろんこれ自体、別にまちがいだとは思わない。少なくとも日本では、本書がいう社会の根本的な変化、つまり「憲法が変わる」という事態が実際に起きたわけだし。とはいえ、人がまるごと入れ替わったわけでもないし、社会の構造上もかなりの部分が残った。ましてや戦争に勝った国々では、そうした大きな変化は起きなかった。「彼らの歴史」には、そこに切れ目はない。また、歴史をかたちづくる数々の要素、たとえば技術やら資源やらといったものも、諸勢力のダイナミクスを統べる「ゲーム」の法則的なものも、当然ながらずっと連続した流れの中にある。本書の冒頭には、9.11テロの際の米ブッシュ政権の対応と、日中戦争当時の近衛内閣の対応に同じ特徴がみられるとの指摘があるが、こうした類似が歴史では随所にみられるのはよく知られている。だからこそ、歴史を学ぶ意義がある、ということにもなるわけだ。

本書は、当時の資料や最新の研究成果を示しながら、当時のさまざまな立場の人々が何を考え、どう行動し、それがどういう結果につながったのかを、リアルな臨場感をもって説明してくれている。帯には「普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが、「もう戦争しかない」と思ったのはなぜか?」とある。太平洋戦争だけ見てると、素人はやれ関東軍がとかハル・ノートがとかいう話で終わってしまいがちだが、資料から再構成された当時の状況を「追体験」することで、政権中枢の人々や一般庶民、その他の人々がなぜ「戦争」という選択肢に傾いていったのかが具体的にイメージできるようになる。「しかたなかった」でも「悪い奴らがいた」でもない。そういう「どっちが悪い」的な単純化された「史観」でなく、事実を積み上げた中から抽出される大きな流れを把握することこそが、歴史を学ぶということなのではないかと思う。

その意味では、昨今のあれやこれやの事件も問題も、現在も続くそうした大きな流れの中でとらえるべきというのは当然のことだ。外交、領土、産業、貿易、資源、貧困、福祉、財政、その他もろもろの要素が、過去からの延長線上にあり、また未来へとつながっていく。当然ながら本書では触れていないが、その観点でどうも気になるのは、リセット願望というか、「希望は戦争」みたいな考え方や、あるいは国内の不満を海外に向けようとする考え方が、また力を増しつつあるように見える状況だ。いうまでもなく、本書に描かれた、戦争を選び取る方向へ動いていく流れと共通するものをそこに見出すからだ。もちろん、当時と今とで異なる事情はいくらでも指摘できるし、イデオロギー的に「軍靴の音が」みたいな話をするつもりもないが、やはり動きとして気になる。本書を読んで思うのは、「わかりやすくする」ということは、「単純化する」ことと必ずしも同じではない、ということだ。わかりやすくすっとする話があったら、まずは疑ってかかるぐらいの気持ちでいた方がいいのかもしれない。

以下、素人の1人として、本書で「へえ」となった個所をいくつか。いずれも、現代へのインプリケーションが少なからずあると思う。

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(1)「日本と中国が競いあう物語」(p.82)
日中関係に関する、アメリカの歴史学者キンボールの論考が引き合いに出されている。日中関係について両国以外の研究者による冷静な論考が参考になることは別に珍しくもないが、長期的な視点でみているところが私には目新しかったので「へえ」と。

「日本人と中国人にとって、戦争や戦いは、give and takeの一つの形態にすぎないのだった。日本と中国にとって、二国間の均衡をどちらがリードするか、それをめぐる長い競争は、文化的にも社会的にも経済的にも、また「知の領域」においても争われたのだった。」

これは日本の戦争責任を否定するとかそういう話とは関係なく、そもそも両国がそういう流れの中にあったという事実を指摘するもの。実際、日清戦争当時の中国はどんどん近代化を進めていて、日本にとってまさに脅威として意識される存在だった。その後日本が朝鮮や中国に進出していく間も、中国との関係は決して日本が一方的に蹂躙するようなものではなかった。こういう視点は今ももちろん有効なのであって、最近とみにパワーバランスが変化する中、いろいろなところで具体的な動きが生まれているのは私たちも目撃している通り。どっちがいい・悪いの話だけで解決するものではない、ぐらいのことは意識しておく必要があるだろう。

(2)戦争が普通選挙運動を生んだ(p.137~)
普通選挙運動については、はるかかなた昔に受けた歴史教育からは、自由民権運動の延長線上にあって、国民が自由を求めて国家権力に対抗したり要求したりしていったプロセス、みたいな印象を受けていた。しかし本書は、実際には戦争との関係が深いことを指摘している。普通選挙運動が始まったのは日清戦争集結の数年後。せっかく戦争で獲得した遼東半島を三国干渉で失ってしまったことへの国民の不満が、政府の身勝手を許さないという普通選挙運動につながっていったという。さらに、日露戦争の戦費調達のために増税が行われたため有権者が地主層から実業家層に広がって数も倍増した結果、それまでとちがった政治家が誕生し政党政治へとつながったこと、それがさらに第一次世界大戦後それが包括的な国家改造論につながっていって、1925年の普通選挙法まで至るものの、政党政治が当時国民の半数を占めていた農民層の要望をかなえられず、それを拾ったのが軍部であったこと、などが説明されている。そもそも、明治時代の自由民権運動を担った人たちだって、対外的にはかなり強硬派だったりした。国力を高めるために国民が一致団結させるものが民権運動、という発想は正直意外だった。さらにそこには、発展のために海外の利権を求める考え方もはっきりとあらわれている、と。つまり、戦争へと向かう流れは、国民の政治参加への流れとともに進んだわけで、まさに日本人が戦争を選んだということになる。

私が受けた歴史教育では、軍部の独走により戦争が、みたいな話だった印象があるが、それはいわゆる東京裁判以降、日本国民が過去を整理するための方便だったんだろう。実際のところ、民主主義社会と戦争との関係がそんなものではないことは、それ以降の歴史にも少なからぬ実例がある。もちろん今も、それは変わってないわけで、昨今のあれやこれやを見るにつけ、この点は忘れちゃいけないなあ、と改めて思う。

(3)「日本の植民地はすべて、その獲得が日本の戦略的利益に合致するという最高レベルでの慎重な決定に基づいて領有された。」(p.192)
これは米歴史学者マーク・ピーティーの分析。つまり戦前の日本が獲得した植民地はほぼすべて、台湾にしても朝鮮にしても、安全保障上の利益に合致する場所となっている、と。これは、欧米列強の植民地獲得が主に社会政策的、経済的な目的で行われたのとは大きく異なる、というわけだ。とはいえ、ここにも経済的な利益はついてくるし、そうなれば権益を守るという目的も当然出てくる。また、20世紀には、露骨な帝国主義に対する風当たりがかつてより強くなっていたこともあるから、その隠れ蓑でもあったかもしれないとは思う。とはいえ、そうした利権もまた総力戦を支える国力の拡大や国防上の拠点獲得のためという視点は、「へえそうだったのか」と思わせるところがあり、かつ、少なくとも当時の人々の発想としてよく理解できる。

現代では植民地というオプションはほぼないに等しいだろうが、貿易・投資その他を通じた経済関係などを考えれば、「権益」という発想はまだ命脈を失ってはいない。「侵略」行為への批判は非常に強くなってはいるが、実質的に侵略に近い行為がなくなったわけではない。安全保障のために何をしなければならないか、あるいは何をしてはならないか、少なくとも戦前は戦略的観点から、最高レベルの慎重な決定がなされていたとして、さて今はどうだろうか。

(4)松岡洋右の国際連盟脱退反対論(p.304)
満州問題で国際連盟が揺れていた1933年1月、松岡洋右が当時の内田外相に向けて送った電報が紹介されている。

申し上げるまでもなく、物は八分目にてこらゆるがよし、いささかの引きかかりを残さず綺麗さっぱり連盟をして手を引かしむというがごとき、望みえざることは、我政府内におかれても最初よりご承知のはずなり。日本人の通弊は潔癖にあり。(中略)一曲折に引きかかりて、ついに脱退のやむなきにいたるがごときは、遺憾ながらあえてこれをとらず、国家の前途を思い、この際、率直に意見具申す。

要するに連盟脱退に反対し妥協せよと主張してるわけだ。この松岡自身が翌33年、特別総会の場から退席して、結局脱退に至るわけだが、この時点ではまだ、連盟に残るべきと主張している。このあたりは知ってる人は知ってる話なんだろうが、私は知らなかったのでちょっと驚いた。この間に何があったかについては長くなるのでぜひ本書をお読みいただきたいが、ここで明らかに陸軍も政府も天皇も(少なくとも結果的に)判断ミスを犯していて、それが脱退回避を不可能な選択肢にしてしまったことがわかる。歴史にifはないみたいなことはよくいわれるが、もしあるとしたら、ここは大きなifの1つといえるのではないか。指導者の「質」が決定的に重要な役割を果たす局面があるんだなあ、としみじみ思う。

(5)陸軍の政治的活動(p.314)
陸軍が政治に介入、という話はもちろん教科書にも出てくるわけだが、統帥権云々とか予算とか以外の領域に幅広く口を出していたことを初めて知った。1934年1月に陸軍統制派が作成した「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」に記載されていた、当時陸軍が提唱していた政策が紹介されている。具体的には、義務教育の国庫負担、肥料販売の国営、農産物価格の維持、耕作権などの借地権保護、労働組合法の制定、適正な労働争議調停機関の設置などだそうで、ここまで踏み込んだ主張をしているのかと驚かされた。これらは、当時陸軍兵士の多くが農民出身であったことへの配慮などもあるが、もともと第一次大戦後に高まった国家改造論を拾い上げたものでもあり、また当時すでに「総力戦」へ向けた国力の増強への意図もあった、とある。

本書には指摘がないが、こうした弱者救済的な政策指向には、同時代のナチスドイツの経済政策にも通じるものがあるようにも思われる。それ自体云々という話ではないが、それを軍部が主張し、それによって世論の支持を得ていく構造はけっこうこわい。

(6)補助金で誘導された分村移民(p.396)
飯田市歴史研究所編「満州移民」という本が紹介されている。満州移民を多く出した地域で、村人の5人に1人が移民したのだそうだが、それは地場産業の養蚕が世界恐慌で打撃を受けたためだった。ここで注目されるのは、彼らが単に、国の満州分村移民に応募したというより、巧妙に応募に追い込まれていったということだ。

三二年くらいから試験的な移民は始まっていたのですが、初期に移民した人々から、満州が「乳と蜜の流れる」土地であるなどという国家の宣伝はまちがいで、厳寒の生活は日本人に向いていないのだとの実情が村の人々に語られはじめ、移民に応募する人々は三八年ぐらいから減ってしまった。そこで国や県は、ある村が村ぐるみで満州に移民すれば、これこれの特別助成金、別途助成金を、村の道路整備や産業振興のためにあげますよ、という政策を打ちだします。(中略)今でも国や県がやることはだいたい同じですが、これこれの期日までに、何人の分村移民を集められれば、これこれの予算をつけてやる、というそのようなやり方で、村々に競争をさせたわけですね。

こういうしくみを「分村移民」と呼んだのだそうだ。「助成金をもらわなければ経営が苦しい村々が、県の移民行政を担当する拓務主事などの熱心な誘いにのせられて分村移民に応じ、結果的に引揚げの過程で多くの犠牲者を出している」ということだが、まさにリゾート開発や公共事業をめぐってつい最近まで、あるいは現在も、地方で行われた、あるいは行われている誘導と同じ構造だ。こうした「誘導」を行った人たちの責任は、あまり認識されていない。「善良」な人たち、ごく普通の人たちが、自らの置かれた状況と自らが負った小さな権限と責任の中で「よかれ」と思ってやったことが、結果として大きな悲劇を生んだということは、今日々のあれこれに追われながらあくせく生きている私たちにとっても、大きな教訓になるのではないだろうか。

(7)なぜ捕虜の扱いが悪かったのか(p.397)
捕虜となったアメリカ兵の死亡率のデータが示されている。ドイツ軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は1.2%。これに対して日本軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は37.3%と突出して高い、と。これに関して本書は、藤原彰「餓死した英霊たち」を引いて、「自国の軍人すら大切にしない日本軍の性格が、どうしても、そのまま捕虜への虐待につながってくる」と指摘している。当然、軍人だけではない。ドイツが敗色濃厚になっても国民に配給する食糧だけは減らさないようにしていたのに対し、日本では、敗戦間近の頃の国民の摂取カロリーが1933年時点の6割に落ちていた、と指摘されている。

旧日本軍が兵站を軽視する傾向にあったことはよく知られているが、それが精神論と結びつくとこうなるわけだ。現代の私たちも、たとえば女性の社会進出がなかなか進まない理由の一端は男性の労働環境が劣悪であることにあるといったように、同じ構造の問題に直面している。ロジスティックスを軽視して精神論に走る傾向、身内を尊重しないがゆえに外部の人たちに対しても尊重できない傾向は、まだ私たちの社会に根強く残っている。そしてそれは、最もその責を負うべき人々がのうのうとしていることによって維持されている。

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本書は私たちに、歴史の少なくとも片鱗を追体験させてくれる。翻って今、私たちは現代の、歴史が形作られつつある瞬間を生きている。過去の歴史の追体験と現在進行形の歴史とでは、当然多くのことがちがっているが、最もちがうのは、後者には「結果としてこうなった」という部分がないことだろう。多くの場合、未来は予測できない。しかしだからこそ私たちは、歴史から多くを学ぶ必要がある。本書はまた、歴史の教訓がしばしば誤用され、それが次の失敗を招くとも指摘している。少なくともたいていの人にとって、もうこれで充分歴史は学んだ、などということはないんだろう。とりあえず私は、今後も「戦後」であってほしいので、もっと勉強したいと思う。

高校生以上の、歴史に学びたいと思うすべての日本人にお勧め。


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Comments

この本、私も読みました。傑作でしたね。中でも胡適の日本切腹中国介錯論や、汪兆銘の反論の下りなどは読んでて唸りました。こういうのが国家的な戦略であり、『政治』なんだなと。

少し話は飛びますが、アカデミズムの中心にいる人からこういう著作が出ている事は非常に重要だと思います。大学3年から4年という大学教育後半の2年間を就職活動に費やしてる場合じゃないというのが逆説的に伝わって来る貴重な教材かと。

おそらく日本の現近代史を学ぶ為の最良の一冊だと思います。

Posted by: 名無之直人 | January 13, 2011 at 12:08 AM

この先生の講義を受ける学生が文系、文学部のほんの一握りの学生であることが非常に残念。それが東京大学のことだから尚更に残念。
 その時代のもっとも賢い集団が軍人になった結果、その賢い集団が戦争を先導したことを考えると、やっぱりこのように貴重な論稿を書く先生の講義は東京大学全員の学生が受けてもらいたい。結果一般市民の先導役を果たしてもらいたい。
 

Posted by: mikio kichise | September 06, 2012 at 06:01 PM

1920年~1930年代の日本は「世界の超大国」でありりました。当時のブロック経済化において、「世界の超大国」に留まらなくて良ければいくらでも戦争は避けることが出来ました。なぜそれが出来なかったのか?・・・・・また戦争をしなで「世界の超大国」に留まるにはどうすれば良かったのか?・・・・それらについて述べられた資料は見つかりません。軍人・政治家・マスコミが悪かった言う資料は沢山あります。今後においって、識者・研究者・学者各位にあってはこれらについて発表して頂きたく願っております。それは今後の我が国の存続に取って良き軌道になると思われます。

Posted by: 古川典保 | January 13, 2015 at 04:36 PM

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