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August 08, 2011

コピペの「作法」

レポートの採点などをしていると、いわゆる「コピペ」に気づくことがある。いうまでもないが、一般的に大学教育の場でのレポートにおけるコピペは一種の不正行為とされている、いわばご法度の行為だ。よって本来なら減点なり失格なりといった対応をするわけだが、対応をするからにはきちんと証拠を押さえていないといけないから、そこまでの確証がない場合は、多少疑わしくても見逃す場合がけっこうある。世の中にはレポートや論文のコピペ、剽窃チェックのためのツールはすでに存在している(これとかこれとか)から、それらを使うという手もあるが、教育という場にこういったものを入れるべきなのかどうか、議論があるところだろう。

しかしここで論じたいのは、コピペの是非そのものではない。あくまで個人としての意見だが、コピペするにも「作法」みたいなものがあるんじゃないだろうか、という点についてだ。

職業柄あまりこういうことを書くのはどうかという気もするが、実のところ、レポート等におけるコピペに対してあまりうるさくいうのは、少なくとも趣味ではない。もともと、知的生産物というのはたいてい過去の知的生産物の影響を何らか受けて作られるものだし、かなり直接的な関係(それを人は「剽窃」と呼んだり「インスパイヤ」と呼んだりする)を窺わせるものも少なくない。もちろん「プロ」の領域、たとえば商業コンテンツや学術研究などでは、より厳しい制約が課されてしかるべきだが、そうでない領域では、もう少しゆるく運用されてもいいし、実際そうなってる。

で、学校教育におけるレポートの類はどうかというと、おおむね中間あたりに位置するのではないか、などと考えるわけだ。学習はだいたい、他者の模倣から始まる。まねをしながら覚え、理解していき、やがて自分の知識として応用できるようになることをめざす。その意味で、もしコピペが「手本のまねをしてやってみること」を意味するのだとしたら、それは本来、教育プロセスの中に不可分に組み込まれているもののはずだ。それに、学生が教員に見せることのみを目的として書かれるレポートは、もちろん著作物ではあるが著作権を云々する必要のある状況とは必ずしもいえないし、それ自体で外部に迷惑がかかるわけでもない。

もちろん、レポートでのコピペを一般的に正当化するつもりはない。それが問題になるのは、それが、学んだことを生かして自分自身の考えをアウトプットとして吐き出し、それによって評価を受けるべきところを安直に乗り切ろうとするものであるからだろう。これ自体に異存はない。自らがするべき努力を怠った上で、他人の成果を横取りして結果だけを手に入れようというのは虫が良すぎるし、教員にばれないだろうとか思ってるふしがあるところもまた癪に障る。

とはいえ、教員の側にも、問題がないわけじゃない。レポートをコピペですませられるのは、裏を返せば、コピペでレポートが構成できるような「安直」な課題が出されているからだ。課題を出す際に多少工夫すれば、簡単にコピペですませられないような課題を出すことは、ある程度できるのではないかと思う。

それにだが、コピペでレポートを作るにしても、ちゃんとやろうと思ったらそれなりに内容を理解してないとできないはずだ。そう思って、今回、ある授業で、「コピペのみによるレポート」という課題を出してみた。ネットでアクセス可能な記事や論考の一部を切り貼りして組み合わせることで課題に答えるというものだったが、これがけっこう興味深い結果となった。

一応、評価基準はあらかじめ示しておいた。基本的に接続詞など最低限の文章のつなぎ以外はすべてコピペ文で構成すること、コピペ文にはすべて元URLを付け検証可能とすること、1つの文章を長々とコピペするよりいろいろなものを組み合わせたものを高く評価すること、同じ内容ならより有力な元サイトからのコピペを高く評価すること、レポートの構成に関してはオリジナリティを評価することなどだが、ひょっとして皆同じ内容になってしまうのではという危惧に反して、内容がけっこうばらけただけでなく、レベルの差がかなりはっきり現れたのだ。コピペでちゃんとレポートが構成できる学生は、それなりに内容を理解しているということなんだろうし、他の人とちがうところから引用していれば、よりていねいにあちこちを探しまわったということがわかる。それにこれなら、コピペかどうかで気を病む必要もない(全部コピペなんだし)。もちろんどこにでも適用できる手法ではなかろうが、場や相手をうまく選べばそれなりに使える手かもしれない。

そんなこともあって、コピペにも「許せるコピペ」とでもいえそうなものがあるんじゃないか、などと考えてみたわけだ。コピペレポートには「これはないだろ」といいたくなるようなものが多いが、一方で「まあこれは見逃してもいいんじゃないか」と思わせるものもあったりする。もちろんこの中には、引用のルールに従った引用などは含まない。あくまで「コピペはやっちゃだめ」という領域の話なのだが、その中でも「まあこれは大目にみていいかも」と思わせるようなものがもし仮にあるとしたら、最低限これくらいのことは守ってほしい、ぐらいの意味合いで、「作法」ということばを使ってみた。当然だが、この方法でレポートを出してきたら認めるという趣旨ではないので念のため。

というわけで、5つぐらい考えてみた。

(1)問いに対して答えよ
コピペレポートには、問われているテーマからずれた内容のものが多い。コピペ元がレポート課題に対する答えのために書かれたものでもなければ、それは当たり前のことだが、露骨にずれてるとすぐにわかってしまう。そういうレポートを読むたびに「そんなこと聞いとらんやろが」と心の中で(なぜか方言ぽく)突っ込みたくなってしまい、非常に精神的な疲れを覚えるのでぜひ注意していただきたい。それから、レポートの分量を増やすために、問いと関係ない部分(たとえば聞いてもいない用語の定義とか、本題と無関係の豆知識とかよくある)をコピペしてくるのは、教員の時間をムダに奪う(人数が多いとこれはばかにならない。読まされる身にもなってみよ)という意味で教員にとって許すべからざる行為なので、これもぜひやめていただきたい。

(2)コピペ元を選べ
引用の場合にも、たとえばWikipediaからの引用を許すかどうかみたいな問題があるが、コピペするにも、どこからコピペするか、というのは考えるべき要素だろう。個人的には、Wikipediaをいちがいに否定するものでもないとは思うが(分野にもよる)、要するにそれが信用できる情報なのかどうか判断できない人が使うことが問題なわけで、その意味では慎重であるにこしたことはない。引用元を示さないコピペの場合、どこからとってこようが自由ではあろうが、これも適当にぐぐった結果をひっぱってくると、ろくでもない内容がレポートに入り込むことになるので注意されたい。一方、学生の立場では難しいかもしれないが、他の学生が同じところからコピペしていないかどうかも考えた方がいいんじゃないだろうか。自分ではそれなりにうまくコピペがわからないように書いたつもりでも、同じ内容のレポートがいくつも集まったら、誰だってすぐわかる。他の学生のレポートを写すのはカンニングだからアウトなのは当然だが、他の学生とコピペ元がかぶることは、カンニングを疑わせる状況に陥る、ということだ。

(3)誤字等を入念にチェックせよ
コピペ元を選べという話と似ているが、コピペしたら、その中に誤字がないかどうかはチェックするとよい。コピペの際の誤字はミームのようにレポートに残る。それはちょうど、生物の進化においてDNAの複製ミスが突然変異として後の世代に伝えられていくのと同じように、コピペで作られたレポートのクォリティを左右する。要は表現が同じで同じ箇所に誤字があったらコピペの証拠になるということだ。あと似たものとしては、文章中に挿入される脚注番号や図表番号なども要注意。これらが残っているとコピペの証拠であるだけでなく、コピペした内容を本人が理解していないこと、書いたレポートを読み返してもいないことも明らかになる。これでは点のつけようがないし、つけたくもなくなる。

(4)自分が理解できる範囲で書け
コピペ元に詳しい記載があると、うれしくなってそのまま長々とコピペしてくる人がいる。詳しいのはけっこうだが、内容が問いからかけ離れたものになったり(これは(1)にも該当)、他の部分との整合性がとれなくなったりする。教える側としては、受け手を考えて教える内容や水準の設定をし、それに基づいてレポートの課題を出しているので、それを大幅に超え、かつ課題とずれた内容のレポートを出されれば、全体として「ああこの人は授業で何が話されたかをまったく聞いておらず、かつ自分で何を書いてるのかもまったくわかっていないのだな」と判断せざるをえない。もちろん自分がそれを理解しているならいいのだろうが、コピペしてる時点でそうでないだろうことが想定されるわけだから、書くのはあくまで自分が理解できる範囲内にとどめるのが賢明だ。

(5)自分のオリジナル要素と組み合わせろ
いかにコピペで手間を省こうという場合でも、せめて一部には自分なりの色を残しておいてもらいたい。せめて読む側に「ああこれはルールを守ってはいないが引用の一種なのだな」とかろうじて思える程度のオリジナリティの片鱗でもみせてもらえると、「まあいいか」という気持ちになりやすいのではないかと思う。あと、細かいところだが、コピペするにしても、語尾とか文体とかは全体で統一するぐらいの手間はかけてもらいたい。これをやるだけで文章のできがぐっとよくなる。逆にいうと、これをやってないレポートがいかに見苦しいか、ということだ。手間をかけてないレポートというのは、いってみれば投げやりに作られた料理のようなもので、それを読まされる(食べさせられる)身になってみれば、そのつらさがわかろうというもの。もとより高いレベルを期待しているわけではないのだから、せめて努力の片鱗くらいは見せてくれ、といいたいわけだ。


まあ何だ。これらをそつなくこなせるような学生なら、ふつうにレポートを書いてもそれなりのものが書けるんじゃないだろうか。ズルをするにも「知恵」は必要、ということだ。それを窺わせるようなレポートであれば、多少コピペが混じっていても、まあこの人は大丈夫だろうな、と思うかもしれない(思わないかもしれないけど)。まじめな話、こうした「知恵」(または「悪知恵」ともいう)が社会に出た後ではけっこう有効な「スキル」でもあったりするということは、仕事をされている人なら心当たりがあるだろう。変な話、社会人になって質の低いコピペレポートを書いたら、それこそ大失態だ。そうならないためには、学生のうちからきちんとしたコピペの「作法」を身につけておくべきであろう・・とまではいわないが、まあそういうことなんじゃないかな、ということでひとつ。以上、くりかえすがあくまで個人としての意見。


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Comments

山口浩様
 このたび、ウェブサイト「ろんじんネット」http://ronzine.net/ を公開致しました。
弊サイトは、政治、経済、社会に関する読み応えのあるブログを紹介し
その更新情報や注目されている記事をお伝えするサイトです。
貴ブログを勝手ながらご紹介させていただいておりますのでご挨拶に参りました。
昨今、ブログはその潜在力をまだ充分に発揮していないと考えておりますが、
ろんじんネットは読者と著者双方へのメリットをご提供させていただくことで
ブログの発展を微力ながら後押しできるのではないかと考えております。
突然の、記事内容に無関係のコメント失礼致しました。
山口浩様の益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。

Posted by: ろんじんネット | August 08, 2011 06:58 AM

非常に興味深い話でした。コピペのみによるレポート作成という課題は、端的にいうと、「コピペの使いこなしのレベルを見れば、情報を咀嚼する力があるかどうか、そして自分の理解している範囲を越えた無責任な作文をしないという誠実さを見ることができる」というわけですね。これはこれで、研究者にとって重要な資質だと思います。

Posted by: つじ | February 12, 2012 02:18 PM

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