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August 14, 2012

『アステリズム』のこと、「もしも」のこと

先日、ゼミでやっているニコ生番組に、チュアブルソフト代表のイシダ氏にご出演いただいた(リンク)。同社の新作ゲームソフト『アステリズム』の発売前日というタイミングだったのだが、せっかくおいでいただくのだからということもあって、実際にゲームをやってみた。私が18禁ゲームの評論などしても面白くもなんともないだろうが、いろいろ関連して思うところはあったので、それについて少し書いてみる。毎年夏のこの時期はどうも妙に感傷的になることが多くて、このブログでもあーだこーだととりとめもないことを書いたりするんだが、まあそのシリーズといってもいい。

以下、『アステリズム』に関する話が出てくる。できるだけネタバレにならないようにしようと思うが、完全にはできないと思うので、そういうのが嫌いな方は読まない方がいいと思う。とりあえずこの記事自体は18禁の内容ではないことも、併せて念のため。

最初にことわっておくが、『アステリズム』はいわゆるエロ系の18禁ゲームであって、かつ男性向けだ。なので、そういうのがダメな向きにはもちろんお勧めしないのだが、大丈夫なのであれば、いいゲームだと思う。ニコ生に出てもらった恩があるからというわけじゃないが、お勧めしておく。18禁ゲームにあまり詳しくはないが、少なくともこのゲームに関しては、個人的な印象として、男性向けのハーレクイン・ロマンスみたいなもの、と考えている。作品の内容については公式サイト(※18禁なので注意)と、あとはニコ生の事前取材で撮って来たイシダ氏のインタビュー動画をご覧いただくといいと思うが、けっこう一途な恋愛ものだ。エロいシーンはもちろんあるわけだが、そういうのならハーレクイン・ロマンスにだって、『1Q84』にだって『国盗り物語』にだってあるわけで、まったく違いがないとまではいわないが、それほど大きく差をつけて考えるべきものなのか、正直疑問に思う。

そもそもイシダ氏にニコ生出演いただいたのは、この『アステリズム』の中に、大地震に関する描写があり、また同社が東日本大震災復興支援に関する独自の取り組みをしているという事実があったからだった。このあたりの事情は同社公式サイトに詳しい説明があるし、ニコ生の中でも語っていただいているが、もともと東日本大震災以前から大地震描写を含むストーリーで計画されていたところ震災が発生してしまい、いろいろ悩んだあげく、配慮した上で発売を決断するに至ったという流れだ。

私は基本的にこの姿勢に賛成で、むしろ震災を忘れず、そこから何かを学ぶためにも、こうした描写のあるゲームには存在意義があると思っている。もちろん、お好みでない方はいるだろうから、そういう人は買わなければいい。別のケースでは、アイレムソフトウェアエンジニアリング㈱がPS3向けに2011年春発売予定だった『絶対絶命都市4』を発売中止にしたという話(参考)もあるが、あれも、時期をずらして発売すべきだったと思う。しかたないので前作の『絶対絶命都市3』を買ったもののクリアできていないというのは情けない話だが。

実際やってみたところでいうと、『アステリズム』における震災描写はけっこうくるものがある。もちろん、いわゆるアドベンチャーゲーム形式で、基本的に静止画なので、大迫力の動画、とかそういう方向ではない。もともと物語は1996年に発生した「震災」から復興した街を舞台にした現代から始まる(それがまたいい。復興した後の街が描かれるのは、今とても意味があると思う)わけだが、その後物語はタイムトラベルものになっていって、震災前の街も描かれる。

そこで震災前の人々の、震災のリスクを身近に感じていない姿にいらいらさせられたりするわけだが、まさにそれは私たちのこれまでの、そして今の姿でもある。登場人物の、震災が起きる前の「なんでわかってくれないんだ」といういらだちや、起きて「しまった」ときの、「ああやっぱり起きてしまった」という後悔のような気持ちが、ゲームをプレイしていると強い実感をもって伝わってくる。あの感じは、何か将来のリスクへの備えを考える際に、忘れてはいけないものなのではないかと思う。私たちもまた、震災後であると同時に震災前でもある「今」を生きているからだ。

『アステリズム』の主人公は、「運命」を変えるために過去に旅をする。タイムトラベルもののSF作品としてみても、パラレルワールドとタイムパラドックスの関係がちょっとおもしろく扱われていたりするのだが、それは本題ではないのでおいとくとして、ゲームを進めていく中でもうひとつ強く感じたのは、自分自身にとっての「もしも」は何だろう、という点だ。

主人公のように、すべてをなげうっても取り戻したいものがあるかどうかはともかく、誰しも、「もしもあのときこうしていたら」みたいな思いはあるはずだ。あのときああしたから、今の自分がある。もし別の道を選んでいたら、今とは全然ちがった「今」があったかもしれない。中には、あのときああしていなかったら今自分はこの世にいないとか、あのときああしていたらあの命を救えたかもしれない、みたいなクリティカルな「もしも」を体験した人もいるだろうし、「もしもああしていたらもっとうまくいっていたのに」みたいな場合もあるだろう。何にせよ、「もしも」の世界には抗いがたく惹きつけられるものがある。過去に戻ってやり直せるなら、戻ってみたいという思いはある。

もちろん、物語のようなタイムトラベルのできない現実世界では、当然ながらそういう「もしも」を実現する道はないわけで、ふだんならそういう思いは「そんなこと考えてもしょうがないじゃん」と切り捨てざるをえないのだが、そうした、ふだん考えないようにしている部分が、このゲームをきっかけにひょっこりと顔を出してきた。なんというか、昔の訳ありの知り合いに道端で会っちゃったような、そんな感じ。ちょうどこの時期は、いろいろと過去に思いを馳せるイベントが数多くあるわけだし、こういうことをつらつら考えるにはいいタイミングなのかもしれない。

そういえば『アステリズム』にも重要なシーンで登場したペルセウス座流星群は、8月12日から13日にかけて見られた。空の明るい東京では正直あまり見えないのだが、それでも夜中にしばらく空を見上げていたら、2ついっしょに流れる、いわば「双子」の流星を見ることができたので、それで満足することにした。古来、流星はいろいろなもの(あまりよくないものであることも多い)の象徴とされてきたわけだが、そういうものとまったく関係なく、個人的には、見上げる者へのある種の「祝福」のように感じている。ふだん、圧倒されてしまいそうな「現実」やら抗いがたい「運命」やらと戦っている人たちに、たまには「もしも」の夢にひたってもいいんだよ、と言ってくれているような、そんなふうにも思われる。

まあ、夏のこの時期ぐらいは頭を休めろ、ということなのかもしれない。暑いしね。というわけでとりとめもない文章はこのへんで。




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