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November 14, 2012

齋藤孝「10分あれば書店に行きなさい」

齋藤孝「10分あれば書店に行きなさい」(メディアファクトリー新書2012年)

メディアファクトリーからのいただきもの。多謝。著者は、『声に出して読みたい日本語』など数々のベストセラーで知られるあの齋藤孝さんだ。最近の本はタイトルがとてもわかりやすくて、タイトルを見ただけで半分ぐらいは読んだ気になれたりするものだが、この本もまさにそういう感じ。もちろん本文も読みやすくてすらすら読める。


実際、この本の主張は比較的シンプルだ。簡単にまとめると、

(1)本を読め
(2)紙の本を買え
(3)書店へ行け

というぐらいにまとめられようか。そう主張する理由(の主な1つ)もちゃんと、帯に「リアル書店の刺激が旺盛な知的出力を支える!」と書いてある。リアル書店は、

(1)当初は考えていなかった新たな本との出会いがある
(2)本に満たされ、本好きが集う空間から知的刺激を受ける

という得がたいメリットがあるから、「旺盛な知的出力」を学業や仕事、あるいは他の目的で求められる人はリアル書店に行くのがよい、と。

こういうテーマで1冊書けるっていうのはすごいなあ、さすが高名な教育学者にしてベストセラー連発の書き手はちがうなあ、というのが正直な第一印象だが、読んでみるとこれが意外にも、あれこれと考えさせられて、いろいろと味わい深いのだ。

そもそも、今この本を出してくるということ自体がある意味すごい。ネット書店がすっかり定着してリアル書店がどんどん減りつつある今、各社が電子書籍端末や関連サービスを競って売り出し、日本もいよいよ本格的に電子書籍時代に突入しようかというこのタイミングで、「書店」に出かけていって「紙の本」を買えというのは、それなりになかなか「勇気」のいる主張ではなかろうか。

ぱっと見ではただの守旧派の主張っぽくもみえるわけだが、必ずしもそうと決めつけたものでもない。ネット書店にせよ電子書籍にせよ、著者は必ずしも頭ごなしに全部だめだと言っているわけではなく、むしろ、それぞれのメリットと限界を理解せよ、うまく使い分けよと主張している。

ネット書店については、さまざまな本と出会うきっかけとするのがよい、というご意見らしい。ただし買う際には必ず街の書店に行き、中身を確かめよ、と。そうしなければはずれを引くかも、という趣旨だ。ふつうは、リアル書店で見つけた本を(ネット書店は予想外の本との「出会い」が少ないし、えてして立ち読みが不便だし)ネットで買えば重くなくて便利、みたいにいうところだが、あえて逆を主張しているのが興味深い。それではネット書店の売上がなくなってしまうではないかという点は、まあアレだ。善意にとれば、使い分ければいい、ということなんだろうな。

ちなみに私は最近ほとんど街の書店には行かず、もっぱらネットですましているので、この「教え」にはまっこうから背いているわけだが、言いたいことはある程度わかる。私の場合は、うかつに書店に足を踏み入れるとあっというまに1万円ぐらい飛んでいって、代わりに重い荷物(日本の本は軽く作られているがそれでもたくさんあれば重いよね)を持たされるはめになるからで、いってみれば著者のいうリアル書店のメリットがメリットすぎるがゆえのデメリットがあるわけだ。この本の著者が懸念する「はずれ」本に当たることも、たまにはあるが、そういうのもダメさ加減を愛でる楽しみはあるから、あまり気にはしていない。

電子書籍についても、著者は、「膨大な量をダウンロードできる」などよさもあるから、やがて合理的併用の時代がくる、と一定の評価をしている。確かに、本を大量に買う人にとって、保管場所は昔から問題だったわけで、それが不要な電子書籍はまさに福音だ。一方、紙の本には、物理的実体があることによるさまざまなメリットもあり、本好きはまさにそれを楽しんできたわけだから、すぐに離れられるというものでもなかろう。それに、事業者が入り乱れて端末もサービスも乱立している割には品ぞろえはどれもいまいちという日本の現状の下で、電子書籍を手放しで礼賛するのもちょっと行き過ぎという気がするし。

著者によれば、紙の本の「敵」は電子書籍ではなく、ネットでアクセスできる無料の音楽や映像やニュースであるという。つまり、これが単にテキスト情報の伝達形式の問題ではなくいわゆる「アイボール」、言い換えれば読者の時間配分をめぐる「有償」と「無償」の競争であるということを見抜いていらっしゃるわけだ。まさに慧眼。SNSなどの誘引力から本を読む時間をどのように守るかは、教育上の大きな課題になってきているわけだが、同時にそれは、これまで本のビジネスを支えてきた基盤が大きく揺らいでいることを意味する。

当然著者は、ブログなどネット上のさまざまな文章に対して批判的だ。「書き手は編集者という「つっかい棒」がいなくなった分、より自由に書くことができる」がそれゆえに「ひとりよがりな作品になりがち」であり、「ビジネスとして軌道に乗せることは難しい」から優れた「才能も集まら」ず、結果として「書く仕事はますます「片手間」となり、身辺雑記レベルのブログ」(つまり、このブログのような手合いだ)だけが増えていく、と手厳しい。

どこの馬の骨ともしれない(匿名のものも多いし)有象無象が、まともな訓練も受けず、編集者の厳しいチェックも通さずに、あることないことを好き放題書き散らした文章が、ネットにはごろごろしている(そう、この文章のようにだ)。こんな文章にばかり触れていても知的刺激にはならない、と著者はおっしゃるわけで、匿名でこそないが自他ともに認める有象無象の1人としては「へへえ」と恐れ入るしかない。

恐れ入るのは別にポーズということではなく、実際、こうした構図の立て方については、賛同できる部分がけっこうあるんだが、同時にやや、ためにする議論のように思えなくもない。この本は、つきつめれば「本を買い支えよ」というメッセージを通じて「出版文化を守れ」という主張をしているわけだが、それは、斜に構えた見方をすれば「価値ある文章を書き、届ける『祝福された聖者たち』に金を貢げ」という主張だ。そうした「聖者」の中にご自身も入っていらっしゃる、までいうと言い過ぎかもしれないが、そう受け取る人もいるだろう。

言いたいのは、こうした供給者側の論理に立った主張が、(紙の)本を(書店で買って)読むことがいかに需要者たる読み手にとってメリットになるか、ネットの文章ではなく紙の本でなくてはだめなのかといった点と、必ずしも直接的に結びつくものではない、ということだ。この本は、軽い読み物として書かれたせいでもあろうが、その間の論考がすっぽり抜けている。文化とビジネスを二項対立的にとらえ、受け手の「高い意識」で両者をつなごうとするのはよくある論法だが、はっきりいって、著者の思っているほど説得力は高くない。

この手の議論は、「ものづくり」をめぐる議論と少し似たところがある。日本が誇る「ものづくり」の伝統を守ろう、がんばっていいものを作ればきっと売れる、みたいな考え方が、日本の製造業をどんな状況に追いやったかは、最近のニュースをチェックしていればわかるはずだ。消費者は、高度な技術を駆使して、あるいはじっくり手間暇をかけて創りだされた高級、高機能なものばかりを求めているわけではない。いわゆる「イノベーションのジレンマ」の問題だ。

特にこれは、変化の速い市場においてはより深刻な問題となりうる。日本の家電や携帯電話はそうなったわけだが、本はそうなっていないのか、という問いをつきつけられているのかもしれない。磨き上げられた書き手の技術や編集者の手厚いサポート、培われた本作りの職人の技などが、サーベルタイガーの牙のようなものになっていないか、とまでいうと過激だろうが、少なくとも、文化の重要性を唱えれば、あるいは質の差を指摘すれば、人々が財布を開いてくれるような状況ではないのだ。

さらに踏み込んでみる。そもそも本は、著者が暗黙裡にイメージするような高尚なものだったのだろうか。現在書店で売られている、プロたちの手によって作られたはずの本や雑誌の中には、信じられないほどレベルの低いもの、ネットの駄文とさして変わらぬクォリティのものがけっこう含まれている。もちろん、ベストセラーランキングに出てくるようなものはそんなことはなくて、たいていしっかり作られているわけだが、それにしても、「知性のシャワー」と形容するのをちょっとはばかられるようなものは少なくない。別にそれが悪いといっているのではない。そもそも以前から、大半の本はそういうものではなかったのか、ということだ。

そもそも、この本の帯にある「知性のシャワーがあなたを磨く」みたいな形容にふさわしい本は、今一般に書店で売られている本の中で、おそらく多くはない。同じ意味で、本書が想定するような「知的」な興味をもって書籍を手に取る人も、そう多くはないだろう。たとえば、書籍で100万部も売れたらベストセラーと呼ばれるだろうが、ではその100万冊の本は都合何人ぐらいに読まれるのかといえば、せいぜいその数倍程度にとどまるのではと想像する。一方、日本には1億2753万人(2012年10月1日現在推計値)の人がいて、うち本を読めない可能性が高い4歳までの乳児(約500万人)を除くと約1億2000万人強ということになる。要するに、ほとんどの本は、ほとんどの人の目には触れないのだ。

この本にも、総務省の家計調査を紹介する新聞記事が引用されている。曰く、2011年の1世帯あたりの書籍・雑誌・週刊誌の購入額は前年比4.1パーセント減の1万3725円だった、と。1世帯で月1000円そこそこ。著者はこれをもって「日本の読書文化は消え失せたのかもしれない」と嘆くが、もう少し遡ればこの数字、2003年時点でも1万5550円だった。減少ペースが速い、ともいえるが、昔は皆がこぞって本の虫だったかというと、そんなこともない。ほんの数十年も遡れば、読書好きの子どもが「本ばかり読んで」と怒られ、「勉強しろ」「家の仕事を手伝え」といわれた時代があったのだ。著者のロジックをとるなら、もともと日本に読書文化などなかったという方がむしろ適切だろう。

もちろん、日本に読書文化はあった。昔も本を愛する人々、本をたくさん買う人々はいたわけだが、それは全国民ではなく、国民の一部、それも比較的少数だ。そしてそうした人々は、一時と比べれば減ってはきているのかもしれないが今もちゃんといる。その周囲に、それよりはるかに多くの、本書でいう「知性のシャワー」からは少し離れた内容の気楽な「読書文化」を楽しんでいる人々、あるいは月に1回本を買うかどうかというぐらいの気軽な「読書文化」を楽しむ人々がいる。さらにそのまわりには、本ではないがさまざまな文章は読むという「活字文化」を楽しむ人々のクラスターが大きく広がっている、というぐらいの構図になろうか。つまり、読書文化なるものは、総じていえば、著者がイメージするような、あるいは著者自身がそうであるような、「旺盛な知的出力」をめざす人々から離れたところで大きく花開いている、ということになる。

素朴に考えてみる。この本の「ターゲット」はいったいどんな人たちなんだろうか。本屋で本を買えという主張の本だから、今本を買わない人たち向けかというと、おそらくそうではない。この本で著者が嘆いている、月に1冊も本を読まない人々、あるいはプライベートではマンガしか読まない人々がこの本を手に取ること自体、まずないことだろうし、たとえ読んでも、共感はしてくれないだろうからだ。

ではターゲットになるのはどんな人たちかというと、基本的に本が好きで、本を買う人たちだろう。この本が紙の本である(みたところ電子書籍にはなってないっぽい)以上当然といえば当然だが、条件はおそらくもう1つある。本をめぐる現状に不満やら不安やらを覚えている人、だ。

これまでけっこう本を買ってきたが、最近は収入が減ってこれまでのようには買えなくなった人、街の書店の減少を歯がゆく思っている人、あるいはそろそろ電子書籍に移行しようかと悩みながら、でも大丈夫だろうかと不安が払拭できない人。そうした「本を買う」文化の信奉者、あるいは潜在的な支持者こそが、この本のターゲットだ。そうした人たちに、本を買うのをやめないでいいんだ、身の回りの人々にもそう伝えてくれというのが、この本の最大のメッセージということになるんだろう。

その意味でこの本は、「本を買って読む」という行為を「祝福された」ものとして尊ぶ「宗教」(便宜的に「本買う教」とでも名付けておく)の布教書のようなものなのかもしれない。本をたくさん買う人向けの免罪符であり(確信をもっていうが、本書が勧めるように月に2万円本を買っていたら、一般的な家庭なら「本ばかり買って」と苦情をいわれるはずだ)、本をたくさん買いたいがどうしようと思っている人には「買ってもいいんだよ」という「赦し」を与える福音となる。本をあまり買わない人には悔い改めよと教えを説き、このありがたい教えを広めたい人には布教の指導書となる。

実際、最後に著者はこう書いているのだ。

「図書カード」の配布はハードルが高いとしても、1日10分の書店通いなら誰でもできる。あるいは周囲の人にそう呼びかけることも可能だろう。

「図書カードの配布」というのは、全国民に、それができないならせめて児童手当の一部として、政府が図書カードを配布せよという著者の政策提案だが、それがかなわなくても、個人個人が書店に行けばいい、それを周囲に呼びかけよというのは、まさに「布教」のすすめだ。

ではこの「本買う教」の布教活動はどこで行うべきだろうか。まず考えられるのは学校だろう。小学校から大学まで、学校とは基本的に本を読むあるいは読まされる場所であり、本を読む習慣を身につけさせるなら、学生時代に仕込むのが一番だ。その意味で、この本は学校の先生に読んでいただくといい。先生たちは喜んで伝道者役を引き受けてくれるかもしれない。

しかし、ここには大きな落とし穴がある。学校では本を「読む」ことを教えるが、本を「買う」ことを教えはしない。むしろ、「買う」ことを間接的にだが否定しさえする。学校には図書館があるからだ。まじめな話、日本人が本を買わなくなったのは、必ずしも他の娯楽やネットの文章に流れたからばかりではないのではないかと思う。著者は都合よく無視しているが、図書館は書店にとって、昔から手強いライバルだった。そして最近、その「脅威」は拡大しつつある。

ちょっと数字を挙げてみる。文部科学省が公表した2011年度社会教育調査の中間報告によると(参考)、2011年10月1日現在、日本には図書館が3274館ある。前回、3年前の調査時より増加している、というか過去最高に達しているらしい。図書館の国民1人当たりの利用回数も、3年前の1.4回から1.5回へと増加傾向が続いているし、国民1人当たりへの貸出冊数も前回の4.9冊から5.4冊へ、児童1人当たりへの貸出冊数も18.8冊から26.0冊へと増加した。おそらく図書館も、利用者の声に応えて、あるいは管理者から「成果」としての貸出実績を求められて、ベストセラーを大量に揃えるなどの「努力」をしているんだろう。

図書館は非営利だし、本好きにとって親しみのもてる存在だから、悪くいう者はあまりいないが、はっきりいってこれらは書店の事業と競合する。たとえば、ある調査の結果をみると、図書館を利用する人の最大の利用目的(71.8%)は「自分で読む本を借りる」ことであり、図書館を利用しない人にその理由を聞くと、その最大の理由(53.9%)は「読みたい本は自分で購入するから」だ。つまり人々は、自分が読みたい本を買わないですますために図書館を利用している。

図書館によるベストセラーの大量購入(図書館業界では「複本」と呼ぶらしい)については、これまでも議論があった。たとえばこのページは図書館サイドの主張だが、巧妙な論理には感心させられる。とはいえ、1つの図書館で『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』を上下50冊ずつ買っても半年待ちになるほどの人が読むとあれば、影響がないとはとてもいえまい。もちろん、図書館が本を貸さなければ人々は本を買うようになる、という話でもないだろうし(そういえば音楽業界でも似たような話があったね)、図書館が置かれた状況もある程度はわかる。私としても、図書館でがんばっている人たちを批判するつもりは基本的にはない(図書館のあり方をもう一度考えなおした方がいいとは思うが、それはまた別途)。おそらくこの本の著者もそうだろう。

ただ少なくとも、本を「読む」ではなく「買う」ことを推奨するということは、本を「買う」代わりに「借りる」ことを選択している人々に対し、「買う」よう説得することを必然的に含むはずだ。著者が、あるいはその教えを受けた「本買う教」の「伝道者」たちが、「書店で本を買うべし」という教義を布教したければ、それを行うべき最大の要所は、図書館ということになるのではないか。もちろん図書館は本を「買いたくない」人の聖地でもあろうから、そこでの「布教」活動には反発もあろう。しかし「伝道者」たる者、磔にされようと石もて追われようとひるんではならない・・・まあ、実際にはそんなことはなくて、図書館の方々も「本を買おう」という主張には概ね賛成してもらえるんじゃないかと思う。図書館の蔵書検索端末に「この本が欲しくなったらここを押せば帰りに近くの書店で買えます」みたいなボタンをつけとくとか、やろうと思ったらけっこうできるんじゃないだろうか。どのくらい効果があるかは知らないが。

…おわかりいただけると思うが、こういうふうに、「本を買おう」という主張を宗教になぞらえたのは、それが合理性を超えた信仰みたいなものに基づかなければ合理化できないのではないか、と私が考えているからだ。ことわっておくが、別に紙の本やリアル書店がなくなっていいといっているのではない。私はこの職に就く前から、月に1万円以上本を買う生活を(もちろん自費で)続けてきたし、若いころは書店で半日過ごすなんてことも当たり前にやってた。だからもちろん気持ちはよくわかるんだが、人を池まで連れてくることはできても、水を飲ませることはできない。実際のところ、あまり有効なアプローチとは思えない。

出版業界を含むあらゆる産業、あらゆるセクターは、時代の変化に対応する必要がある。時代の変化とはすなわち社会の変化、技術の変化であり、それを押しとどめることはできない。その意味で、著者のような方には、自分の理想を押し付けるのではなく、今の時代にふさわしい、多くの人が魅力的と思う、よりよい本とのつきあい方を提案してもらいたかった。手練れの読み手として、ネット書店とリアル書店のうまい連携方法や、電子書籍とリアル書籍の「合理的併用」のうまいやり方などを提言してくれれば、さぞかし多くの人が耳を傾けるだろうに。

というわけで、あまり好意的な評価にはみえないかもしれないが、私としては、けっこうこの本を楽しく読んだつもりだ。いや、言い訳じゃないよ?こうやって批判的に読むのも本の楽しみの1つだ。それに、ネットとちがって、本の場合は著者がいきなり反論してきてボコボコにされるおそれは少ない。これこそ、今の時代における、紙の本の最大のメリットの1つなんじゃないかと思う。

・・冗談はともかく、まじめな話、本好きな方、本好きを子どもに教え込みたい保護者や教師の皆さんには有益な本ではないかと思う。書店のさまざまな利用法も参考になる。とりあえず、これを副教材に使って、子どもに書店や本について考えさせる課題とか出してみたらどうかな。



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