« Kindle本「テレビのミライ」発売について | Main | ゲンロンカフェでビットコインの話をすることになった »

May 03, 2014

宮竹貴久「恋するオスが進化する」

宮竹貴久著『恋するオスが進化する』(メディアファクトリー新書、2011年)

いただきもの。多謝。個人的にどうも進化生物学系の本は好きなようで、ちょっと前にも「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか」を読んでひざをはたはたと打ったりしていたのだが、本書もなかなか面白かった。なんというかこの分野、enlighteningなのだな。

帯に「男(オス)と女(メス)のすれ違いは進化論で説明できる!」とある。カバーには「生物学界を揺るがす「性的対立」の驚くべき最新知見」とも。というわけで、この本のテーマは「性的対立」だ。英語だと「sexual conflict」というらしい。Google Scholarで検索すると、日本語だと24件だが英語だと186万件引っかかるから、比較的新しいとはいえ、研究がどんどん進んでいる領域なんだろう。本書は著者によると「性的対立について一般向けに解説した、おそらく日本で初めての本」だそうだ。上のダイアモンドの本(「男と女の利害対立」という章がある)は2013年発刊だが確か1999年刊行の「セックスはなぜ楽しいか」を改題したものだったかと思うので、「初めて」というのは違うんじゃないかと思うけど。

ともあれ、じゃあその「性的対立」って何よというと、「繁殖をめぐる利害関係がオスとメスで一致しない状態」と書いてあるんだが、いまいちわかりにくい。我らがWikipedia先生にお尋ねすると「雌雄間で繁殖に関する最適戦略が異なるときに起きる進化的な対立」とのご説明だがこれもちょっとわかりにくいのでさらにぐぐったら、Natureに載ってたこの2000年の論文要旨の説明「Sexual conflict occurs when characteristics that enhance the reproductive success of one sex reduce the fitness of the other sex.」がストレートでわかりやすかった。要は、オスが遺伝子をより多く残すための性質や行動がメスの遺伝子を残すことに対して不利に働く場合、あるいはその逆の場合、みたいなのを指すようだ。

本書、さすが研究者だけあって事例がいろいろ紹介されている。この方は虫がご専門なので虫の例が多い。オスにせよメスにせよ、異性を獲得するために同性の間で競争をする。繁殖行動のコストがより小さいオスの方が競争が激しくなりがちで、オス同士の争いの方が多いのはそのためだが、それだけではなく、オスとメスの間でも争っているという。オスメスが騙し合う話とか、メスがオスを食べる話とかは前にも聞いたことがあったが、オスがメスを傷つける事例は知らなかった。自分の子を生んでくれるメスの寿命を縮めてしまう虫とかがいるらしい。

何らかの意味でオスとメスが協力し合う方がよりよく子孫が残せるだろうという、なんとなく思い込んでいる考えが真っ向から否定される事例がこれでもかこれでもかと紹介される。そりゃ明らかに種全体としての生き残りに不利だろうと思われるようなことが平気でまかり通っている。適者生存て何なのさといいたくなる。あの手この手ぶりに「あれまあ」と驚かされることがたくさんある。

この種の本で気をつけなければいけないのは、動物の事例をそのまま人間にあてはめて考えてはいけないということだ。動物に倫理を求めてもしかたないし、その感情を慮るのも意味がない。それが意思をもって行われた行動であると考えるのはまちがっている。人間的な価値観を持ちだして「これは許せない!」と憤っても意味はないし、動物がやってるから人間もやっていいなんていう話には当然ながらならない。本書にもきちんとそう書いてある。

それを前提として、だ。

とはいえ人間も動物なわけで、じゃあ人間はどうなんだろうっていう話はどうしたって興味ある。上掲のダイアモンドの本はそちらの方が主題になっていて、一夫一婦制と浮気の組み合わせがどうして生じるのか、みたいな話が出てくるが、本書には人間の話は一切出てこない。まあ人間の話を持ち出すとすぐ炎上するから、その方が賢明ということではあるんだろうけど。

私もその領域に入るつもりはないんだが、本書の内容をもとに、少し考えをめぐらせてみる。

本書には、上にも書いたように、種全体としての生き残りに明らかに不利と思われるような事例がたくさん紹介されている。何も相手を傷つけたり騙したりしなくたって、もっとうまい、お互いが納得できるような方法があるんじゃないかと思うわけだが、それこそが、私たちが身につけてしまったバイアスだ。

確かに今いる動物たちはすべて適者生存の原則に従って生き残ってきた進化の勝者であるわけだが、だからといってすべてが完全に合理的になっているとは限らないし、今の姿が進化の最終形というわけでもない。そもそも進化が、合理的な方向に進む必然性などないのだ。たまたま環境に適合した方向に変われば生存確率が高まり、適合しなければ低まる、あるいは滅びる。それだけだ。本書はこう喝破している。

進化という言葉も「単純なものから徐々に発達していく」あるいは「ある種がより以前の形から新しいものに変わる過程」を示すevolutionの和訳であり、そこに「いい・悪い」など特定の方向性は含んでいない。

というわけで、進化は一方向に向かって流れていくとは限らないし、異なる種では異なる戦略がとられるのも当然だ。大局的には同じ目的であるはずの動物の行動が種によって実に多様であることは、改めて驚かされる。

人間も動物の一種である以上、種としての繁殖上の特徴を持っている。しかし、だからといって、それが人間が本来とるべき行動という話にはならない。ダイアモンドの本にも以下のようなくだりがある。

おそらくヒトという種の最大の特色は、進化に対抗する選択ができるという能力にある。人間のほとんどは、自ら進んで殺人やレイプや大量殺戮を放棄している。しかしこうした行為はほかの動物の世界では遺伝子を後世に伝える有効手段として当たり前のことだし、人間社会でも以前はよく見られたことなのである。

私たちの社会ではさまざまな制度や慣行が発達しているが、それらもまた「進化に対向する選択」を可能にし、あるいは社会に行き渡らせるためのものだろう。人間はその倫理観によって、あるいは理性的な判断の結果として、かつては当たり前だった多くの蛮行を少なくとも表面的には禁止したり、よりマイルドな方向に転換したりしたわけだ。一般的には、それらは動物としての本能を理性で乗り越える、進歩する、といった観点からとらえられているのだと思う。

しかし、本書を読んで感じたのは、そうした「人間的」とされる制度やルールも、また人間という動物の習性がもたらした結果なのではないかということだ。たとえば、私たちよりはるかに発達した宇宙人が地球にやってきて、そこに住む動物たちを観察したとしよう。彼らにとっては私たちもまた、未開の惑星に棲息する原始的な動物の一種にすぎない。巨大な建造物もビーバーのダムと同列にみられ、精緻な社会制度や洗練された慣習もアリやハチのそれらと大差ないものと分類されるだろう。原始的な知性の存在ぐらいは感じ取ってもらえるかもしれないが、それも含めて動物としての習性の範囲内で理解されるにちがいない。犬が飼い主の表情を読む、ぐらいの話なのではないか。

もしそうだとすると、これまで人間が文明を発達させる中で「人間かくあるべき」とあれこれ考えてきた内容もまた、人間という種の進化の歴史の一部であるということになる。ここでいう「進化」が「特定の方向性を含んでいない」というのは、本書の著者が指摘する通りだ。つまり、私たちの社会の進化は、私たちの理性の範囲内では「あるべき方向」へ向かって進んできたようにみえるかもしれないが、より大きな目でみると、必ずしもそうとは限らない、という可能性もあるのではないか。

となると、進化のありようとして考えるなら、社会のしくみや制度のあり方についても、多様性といったものをもっと真剣に考えなければならないのかもしれない。私たちが一般的に「正しい」「進んでいる」と評価する社会の方向性、たとえば個人の自由や選択を重んずる制度とか、弱者に対してよりきめ細かい配慮がなされるしくみとか、そういったものも、よく考えられているようにユニバーサルに通用する普遍の理想のようなものではなく、現在の私たちが置かれた環境下でかろうじて成立する「正しい」「進んでいる」にすぎないのであって、環境が変われば成立しなくなるおそれは充分にある。個人の多様な生き方を認める社会も、社会の隅々までがそれで統一され例外は許されないと決めてしまうなら、社会のあり方としては多様性がないということになるのではないか。

多様性が重要なのは、その方が環境の変化への対応がよりよくできるからだ。逆をいえば、環境が安定しているなら、そうした心配は不要となるわけで、そのためにも安定した環境の社会を作らねば、ということになるのかもしれないが、そうした安定した環境下ではそもそも有性生殖自体が不要になる、という事例も本書には書かれている。実際に、8500万年もの間、メスだけで繁殖し続けている虫がいるらしい。有性生殖は、繁殖のスピードを落とす代わりに多様性をもたらすというメリットがある。いわゆる「赤の女王仮説」というやつだ。裏返せば、多様性が必要なければ、単性生殖の方が効率がいい。本書もこう書いている。

環境に問題がなければ、残念ながらオスはときどきしか必要ないのかもしれない。

そうしてみると、世界全体にわたって文化やルールの共通性を求め続けている私たちの社会は、気づかないうちに、男性を必要としない社会に進もうとしているのかもしれない。そういえば数年前のNHKスペシャルで、「男が消える? 人類も消える?」と題した番組を放映していた。Y染色体の遺伝子がどんどん減ってきていて、遅くとも500万年後ぐらいには消滅してしまうという話。それ以前に人間の精子の質が急速に悪化して、生殖能力が低下しつつあるという話。別に放射能だとか環境汚染だとかそういう話ではなく、X染色体とちがってY染色体にはペアがないためエラーや突然変異で消えていったとか、人間が一夫一婦制を選択したために精子間の競争が少なく精子が劣化したとかいうことらしい(対照的に、乱婚制のチンパンジーの精子は元気である由)。

本書には、オスにY染色体がない動物もいると書かれているので、Y染色体がなくなったからといって人間の男性が絶滅するというわけではないのかもしれないが、環境が安定することが有性生殖のメリット、つまりオスの必要性を減らすというのは事実だ。やがて男性はいなくなるのかもしれない。それが種としてのヒトの存続にいい方向なのかどうかはわからない。それが進化というものなのだろう。

とはいえ、もし男性が絶滅するとなれば、たまにいらっしゃる、ひたすら男に悪態をついてばかりいる女性の皆さんには福音、ということになるのかな。あとどのくらいかかるか知らないが、気長にお待ちいただけるといいと思う。



Tumblrに投稿

Evernoteにクリップ

|

« Kindle本「テレビのミライ」発売について | Main | ゲンロンカフェでビットコインの話をすることになった »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 宮竹貴久「恋するオスが進化する」:

« Kindle本「テレビのミライ」発売について | Main | ゲンロンカフェでビットコインの話をすることになった »