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人口問題としての難民受入れ論

あまりまじめに追っかけてなかったので流れがよくわかっていなかったのだが、先日安倍首相が国連で演説した後に行った記者会見でのやり取りが話題になっているらしい。

安倍首相「難民受け入れは?」と問われ「女性の活躍、高齢者の活躍が先」」(ハフィントンポスト2015年9月30日)

外国人記者が「シリア難民問題への追加の経済的支援を表明したが、難民の一部を日本に受け入れることは考えていないか?」と質問したところ安倍首相は、「人口問題として申し上げれば、我々は移民を受け入れる前に、女性の活躍であり、高齢者の活躍であり、出生率を上げていくにはまだまだ打つべき手がある」「難民を生み出す土壌そのものを変えていくために、日本としては貢献をしていきたい」と答えた、というものだ。

上掲記事は、海外メディアがこれを「日本は難民受け入れに否定的」と報じた、とまとめている。こうした動きを受けてのものかどうかはわからないが、この件について、国内でも「難民問題は人権問題であり人口問題としてとらえるのは不適切」「難民と移民の区別がついていない」といった批判が出ているらしい。

この件については専門外だしもういろいろと論じられているのだろうが、いかがなものかと思うことがあるのでひとくさりだけ。

「難民問題は人権問題であり人口問題としてとらえるのは不適切」や「難民と移民の区別がついていない」といった主張は、「だから難民を受け入れるべき」という主張をサポートするロジックとして提示されているのだろう。気になったのは、どうもそれが独り歩きして、「難民問題を人口問題で語ること自体おかしい」「難民と移民を同じ土俵に載せるなんて変」といった方向で論じている人が散見されることだ。

次の記事はそうした例の1つかもしれない。この記事を書かれた方は、プロフィールをみると企業経営者で「コミュニケーションの専門家」だそうだが、なるほどコミュニケーションとしてうまくなかった、とこの記者会見を批判している。

難民支援の実績を台無しにした安倍首相の「あの」一言 「トップの発するメッセージ」として3つの問題」(日経ビジネスオンライン2015年10月2日)
近隣諸国も決して余裕があって難民を積極的に受け入れているわけではなく、あくまで「人道的な観点」から「もう悲劇は見たくない」として受け入れを始めている、ということです。
少子化という「人口問題の解決」のために難民を受け入れているわけではないのです。
(中略)
一言で言えば、「人道的な観点」から日本がどんな積極性を見せるのかが、「最も国際社会が知りたい」日本のメッセージというわけです。

しかし別の見方もあるだろう。人口問題として位置付けることで難民受け入れを主張する方向もありうるのではないか。

この立場からの主張が、朝日新聞のインタビュー記事に出ていた(シノドスの芹沢さんに教えていただいた。多謝)。

(インタビュー)試練のEU 欧州大学院大学学長、ジョゼフ・H・H・ワイラーさん」(朝日新聞2015年10月3日)
「大量の難民が一度に来ることで、欧州に経済的・社会的な危機がもたらされる、と感じるかもしれません。短期的には、人道的な視点から早急に救済する姿勢が重要です。ただ、今回の出来事が持つ側面は、それだけではない。中長期的に見ると、欧州最大の問題は人口の危機にあるからです」
「(難民の到来は)むしろチャンス、贈り物だと言ってもいい。欧州にとって、移民は不可欠の存在ですから。受け入れを表明したドイツのメルケル首相はそれをよく理解している。彼女の判断は、人道的見地からだけでなく、実利的な計算にも基づいています。優秀で教育水準も高いシリア人は、ドイツや欧州にとって有益です。難民に対し、ドイツ企業は大いに期待しています」

「最大の問題は人口の危機」という認識は日本も変わらないだろう。むしろ少子高齢化の最も進んだ我が国においては、欧州より深刻な状況にあるともいえる。これまでさまざまとられた対策はそのほとんどが空しく終わった。今とられている、あるいは今後とられるであろう対策も、正直なところたいした効果は期待できない。2060年までにこの国の人口は4000万人減ると予想されている。難民受け入れは、こうした流れを変えるきっかけになるかもしれない。

日本経団連は、移民受け入れを検討すべきと主張している。これまで形成してきた同質性が高い社会の秩序が乱されるのではないかといった抵抗は強いが、難民受け入れはより緊急性、必要性が高い問題だろう。難民受け入れをきっかけに、より多様な人々からなる社会のあり方やそのよさを学び、そうした指向を持つようになれば、移民受け入れへの空気も変わってくるかもしれない。

経団連会長、人口減社会「移民へのドア開けないと」 」(日本経済新聞2015年7月23日)
榊原氏は労働力人口の減少に危機感を示したうえで、女性や高齢者をより積極的に活用すべきだとしつつ「それでも足らない」と指摘。「(移民受け入れに)国は極めて保守的で拒絶的だ。産業界から具体的に提言していかないと進まない」と強調した。

もちろん、そう簡単に「うん」といえる話ではない。そもそも欧州においてすら、このような主張は強い反発を伴うだろう。日本でも当然そうなるはずだ。安倍首相が難民受け入れについて移民と「いっしょくた」にして否定的な見解を示したことは、彼自身の考えはともかく、移民にせよ難民にせよ、外国人を大規模にかつ永続的に受け入れることに対して、日本社会に根強くある否定的な世論を反映している部分があることは否定できない。さらに欧州と日本は歴史的経緯や文化的背景など事情がさまざまにちがうのであって、仮に欧州がそうできたとしても、同じロジックがそのまま通用するものではない。

私個人としては、難民について「ある程度は受け入れるべき」「今よりもう少し積極的な態度を打ち出すべき」という考え方だが、現実問題として欧米のような人数を今受け入れるのは難しいのではないかとも思う。しかしここでいいたいのは、難民を受け入れるべきかどうかではない。難民を受け入れ問題を人口問題の見地からみることも考え方の1つなのではないか、難民と移民は少なくとも受け入れる側の社会への影響や必要とされる対応については似た問題である側面を持つのではないか、ということだ。

本当に「難民問題は人権問題であり人口問題としてとらえるのは不適切」あるいは「難民と移民は別問題」と考えるなら、上掲記事のワイラー氏のような見解も批判しなければならないことになるが、どうもそうした気配はみられない。結局、「安倍首相はものを知らない」「自民党政権は外国人に冷たい」といった個人の資質や政党の姿勢に関する批判のために持ち出されたロジックのように映る。私は安倍政権に対しては総じて批判的だが(それはこのブログの他の記事を読めばわかるだろう)、この問題は現政権にだけ負わせるべきものではないように思う。

人道的な見地から難民を受け入れるべきとする考え方に属さない人の中にも、受け入れによって人口を増やし将来の経済成長の余地を作りだそうという考え方には賛同する人も出てくるかもしれない。どう位置づけようがどういう言い方をしようが、「受け入れる」と表明すれば国際社会はそれなりに歓迎しただろう。問題は「難民を受け入れるかどうか、どのくらい受け入れるか」なのであって、それが人道問題か人口問題かや、安倍首相のコミュニケーション能力がすぐれているかどうかといったことではない。

安倍首相は記者の質問に対し、「人口問題として申し上げれば、我々はいわば移民を受け入れる前にやるべきことがあ」る、と答えた。そこで挙げられた「女性の活躍」「高齢者の活躍」「出生率(の上昇)」などは当然、政府として「やるべきこと」だろう。しかし私たちの社会、あるいは私たち自身の側にも、難民や移民を受け入れる前に「やるべきこと」があるのではないか。「自分たちの地域で難民を受け入れるという合意ができるか」「難民が来ることによって起こりうる問題に対して何ができるか」といった点について、社会の中で議論していくべきではないだろうか。

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