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April 17, 2016

奇貨居くべからず

熊本の地震は、時間がたつにつれ、また大きな地震が繰り返されるにつれ、どんどん被害が拡大してきている。これを書いている時点で死者41人、負傷者は1000人を超えた。熊本、大分で24万人に避難指示が出ているという。交通網やライフライン、熊本城を含む文化財も大きなダメージを受けた。震源地は熊本だけではなく、いわゆる中央構造線に沿うように、九州を横断するかたちで分布していて、阿蘇山も小さく噴火するなど、素人目にはなんとも不気味だ。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災した方々には心よりお見舞い申し上げたい。どうか早くふだんの生活が取り戻せますように。

東日本大震災からまだ5年しかたっていないせいか、今回の地震に関しては、政府も民間も、あのときと比べて総じて対応が速く、諸方面への配慮もよくなっている部分が少なくないように思う。もしそうなら、経験が活きているということだろう。結構なことだ。

ただ、気になることはやはりある。最近出てきたというより以前からあったものだとは思うが、他の部分で5年前の経験が活きているのになぜここは、という想いがあるので、手短に書いてみる。

地震に限らないが、大きな災害や事故があるとしばしば、デマや流言が出てくる。今回もいろいろなものが出てきた。またかと思うが、これは古今東西の災害時にもれなく繰り返されてきたことなので、そうそう簡単に改まるものでもないのだろう。

熊本地震のデマ、ネットで出回る 安易な拡散には注意を」(朝日新聞2016年4月15日)
「ライオンが逃げ出した」「川内原発で火事」Twitterでデマ拡散【熊本地震】」(ハフィントンポスト2016年4月15日)

情報が不足し、人々が不安になっているときに面白がってこういう情報を流して面白がるのは趣味が悪いだけでなく、たいへん危険な行為だ。本当に悪質なものは犯罪にもなりうるだろう。度を越したものは粛々と取り締まっていただきたいところだ。

震災とデマ ―イタズラではすまない重大な犯罪行為―」(Yahoo!ニュース個人 園田寿 2016年4月16日)

とはいえ、つらつらとみていると、デマや流言として批判されているものの中には、悪意というより、不安から生まれた噂や憶測、善意(一方的であるにせよ)に基づく警告などが拡散していっているケースが少なからず含まれているようにも思われる。さしたる根拠なく流通するこうした情報は、ソーシャルメディアの発達によって、拡散の規模もスピードも昔とは比べものにならないくらいに増幅されているわけだが、多くの場合、かつて居酒屋談義や井戸端会議で流れていた情報とさして変わらない。おそらく彼ら自身の意識の上でもそうだろう。ネットはその程度には身近な存在となったのだ。

つまり、こうした情報発信を完全に抑え込もうとするのは、居酒屋談義や井戸端会議自体を禁止しようとするかのようなものだ。人々は情報がないから不安になるのであり、不安だから噂や憶測を交わして安心しようとするのだ。それらを抑え込むことは、かえって人々の不安を増大させ、よい結果を生まない。災害時のデマや流言には科学的根拠の薄弱なものも多いから、それを否定するのは当然だと考える人もいるかもしれないが、人はそう合理的にはできていない。「人はそう合理的にはできていない」と考えることはきわめて合理的だ。

また、こうした噂の中には、あとで本当だったとわかるものもあるだろう。統計学で第一種過誤と第二種過誤というのがあるが、これになぞらえれば、どのような噂にも、本当ではないのに真実だと思い込んでしまうリスクと、本当であるのにデマと思い込んでしまうリスクがある。もちろん程度問題ではあり、規制されてしかるべき言論もあるだろうが、可能な限り、言論には法律や規制でなく、言論をもって対処すべきだと思う。非効率だし弊害もあるが、それが民主主義であり、科学的アプローチというものだろう。

その際重要なのは、言論空間における議論のしかただろう。特にネットで気になるのは、相手をばかにする言論が非常に多いことだ。相手を侮蔑的な名称で呼んだり偏見に満ちたレッテルを貼ったり、「サルでもわかる」みたいな侮蔑的表現を使ったり、「そもそも」と無関係の話を持ち出してくさしてみたり、その技法の多彩さには目がくらむほどだ。

どうもそうした表現の裏には、その相手に対してかねてからもっている悪意や軽蔑、不満や怒りのようなものが透けてみえるような気がする。つまり、積年の悪意を何かの機会に乗じて相手にぶつけているわけだ。「奇貨居くべし」を実践しておられるのだろうか。そんなものをぶつけられた相手も同様に対処するだろうから、これは議論というより馬糞の投げ合いに近い。こういう議論は、そもそも問題の解決をめざしていないという点でとても非生産的であるだけでなく、コミュニティとしてのネット空間をとても居づらいものにするという意味で弊害が大きい。

もちろん、デマを野放しにしていいという話ではない。だが、ものには言い方があるだろう。重要なテーマであればあるほど、ていねいに対応すべきだ。まちがっていると思われる主張に対しては、根拠を示してていねいにそう指摘すればよい。少なくとも、馬糞を投げつけるような言論でデマや流言を抑え込もうとするのは、おそらく科学的にもまちがいだ。人間は馬糞を投げつけられれば理由にかかわらず投げ返したくなるものだからだ。そうした行為を、一部の政治家や専門家までもが行っているかのようにみえるのは驚くべきことだ。

おそらくこうした議論の当事者たちは、これまでもさまざまな局面で、馬糞を投げ合ってきたのだろう。積年の恨みがあるのだろうが、多くの人が被災して苦しんでいるときに、馬糞を投げ合っている場合ではない。建設的な議論ならともかく、重要な局面であればあるほど、議論によけいなものを持ち込むべきではない。奇貨居くべからず、である。

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