「物の怪」としてのゴジラ
今各所で話題の「シン・ゴジラ」を見てきた。なかなかよかった。レビューとかはあちこちで書かれているし、さまざまな読み解きものもいろいろな角度で出ていてそれぞれ面白いが、それを後追いしてもつまらないので、世の中の評価やら作者の意図やらとは一切無関係に、一観客としての個人的な感想を手短に書くことにする。以下ネタばれありなので観た人向け。
今各所で話題の「シン・ゴジラ」を見てきた。なかなかよかった。レビューとかはあちこちで書かれているし、さまざまな読み解きものもいろいろな角度で出ていてそれぞれ面白いが、それを後追いしてもつまらないので、世の中の評価やら作者の意図やらとは一切無関係に、一観客としての個人的な感想を手短に書くことにする。以下ネタばれありなので観た人向け。
本件、既にあちこちで火の手が上がっててすっかり乗り遅れてしまったのだが。
「ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】」
(The Huffington Post 2016年08月11日)
もう言い尽くされてる感はあるが、ごく手短に。
先週の土曜日、つまり原爆の日に放映されたNHKスペシャル「決断なき原爆投下 ~米大統領 71年目の真実~」はなかなか見応えがあった。簡単にいえば、これまで考えられてきたのとはちがい、「原爆投下を巡る決断は、終始、軍の主導で進められ、トルーマン大統領は、それに追随していく他な」く、広島・長崎が「市街地」であることに気付いていなかっただけでなく、投下の指示自体明確には行われなかった、という内容だったと思う。
毎年、夏になると「原爆投下は必要だったか」は話題になる。何か新しい発見に基づくものもあれば(上記のNHKスペシャルはそれだ)、これまでの論点を整理したり同じ主張を繰り返したりするものもある。原爆の被害の大きさ、悲惨さに注目する人々が「必要ではなかったのではないか」という主張をさまざまな論点や検証をもとに論じるのに対し、アメリカを初めとするかつての戦勝国の人々を中心に「戦争を終わらせるために原爆投下は必要だった」という意見が出され、対立したまま終わる。そしてまた翌年繰り返される。そういった流れだろうか。今年は特に、米オバマ大統領が広島を訪問したことで、この話題はふだんよりさらに関心が集まったように思う。
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