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January 05, 2017

ランドセル不要論について

ランドセル不要論がまた出てきている。

2017年にはぶっ壊したい、こどもの貧困を生みだす日本の5つの仕組みとは

この記事では、子どもの貧困に関連するいくつかのポイントを挙げて批判していて、その中の1つ、「義務教育でも金がかかりすぎ」というところにランドセルの話が出てくる。全体としてご主張ごもっともなので特に異論はないが、若干煽り気味にも思えたので、とりあえずランドセルについて、こういうこともあるよねという話をごく手短に。

上掲記事ではこう書いている。

娘がもうすぐ小学校1年生なんですが、びっくりしましたよ。ランドセル、高いんですよね。7万とか、高いやつは10万とかするんですよ。最低ラインでも、3万円代。

確かにランドセルはけっこう高い。で、こう続くのだが。

まず、ランドセルは選択制にしましょうよ。別に6年間ずっと使わなくて良いし。体の成長に合わせて、安いリュックとかナップザックを買い換えれば良いんだし。僕の留学していたアメリカはそういう仕組みで、誰も困ってなかったです。多分世界中でランドセル使ってるの、日本くらいじゃないですかね。

不勉強だが、少なくとも日本の公立小学校でランドセルを義務付けているところってほとんどないんじゃないだろうか。5秒ほど探したらこんなのがあったので置いとく。まあごく一般的な回答かと思う。

小学生のランドセル使用については、教育委員会から義務付けていることはありません。また、各小学校で行われる入学説明会等でも、「ランドセルを使うように」という指示はしておりません。
しかし、
1 何冊もの教科書やノート、筆記用具が入れられること。
2 道具・用具等をひとつにまとめられること。
3 背負うことにより、両手が自由に扱えるので、安全面でよいこと。
4 6年間使え、丈夫であること。
等の理由から、ほとんどの小学生がランドセルで登校しているのが現状です。

江東区 いただいた質問と回答「ランドセルについて」

つまり、ほとんどの新小学1年生がランドセルで学校に通うのは、学校にそういわれたからではない。社会一般がそういう考えだからだ。今すでに「選択制」なのであって、「選択制にしましょう」という提案を、学校に対してしているのであれば、それはあまり意味がないように思う。もちろん、実際に学校側が「ランドセルにせよ」と指導していたり、ランドセル以外で通うことを歓迎しなかったりするような実情があるならも問題だが、そうした事情があるのだろうか。

ランドセルを選択しているのは、当該新1年生の家庭だろう。ランドセルに特段の思い入れがある人もいるのだろうが、多くの親は「皆と同じにしておこう」ぐらいの考えからランドセルにしているのではないだろうか。それも別に個性を押しつぶそうとかいう話ではなく、「違う鞄で通ったらいじめられるかもしれない」という恐れからかと想像する。いじめを正当化することはありえないが、いじめを受けるリスクを減らしたいという親の願いは、それなりにまっとうなものだ。安い鞄で子どもに肩身の狭い思いをさせるのは嫌だ、という思いもあるかもしれない。

それから、ランドセルは多くの場合、親ではなく、祖父母が費用を負担している。この件に関する調査はいくつかあるようだが、たとえばこのサンケイリビングによる2013年の調査では、ランドセル購入費用の「出資者は、ママ側の祖父母が42.9%、パパ側の祖父母が27.0%で、祖父母合計は約7割」となっている。

ランドセル購入時期(女性の本音リサーチ - サンケイリビング)

こうした祖父母にとって、ランドセル購入は、孫に自分たちの存在をアピールできる格好の機会になっているだろう。ランドセルにやたらに高価格な商品があるのも、そうした要素が大きく影響しているはずだ。もちろん、祖父母の財力もさまざまだ。貧困問題として考えるなら、ランドセルが、そうした財力の差が如実にあらわれる一要素になることは無視できないだろう。とはいえ、そうできる人々が高いランドセルを買うこと自体をやめさせることは難しい。

つまりこの問題は、学校や行政ではなく、私たち自身の問題だということだ。今でも、高いランドセルの代わりに安いリュックサックなどで小学校に通うことはできるが、実際にそうしようという人はほとんどいない。誰に聞いても、「別に義務付けられてはいないんだから自由にすればいい。でもうちはランドセルにする」といわれてしまうわけだ。そういうとき、ランドセル不要論はいったい誰に向かって唱えればいいのだろうか。

自己責任にしてしまうのはたやすい。禁止されてるわけではないんだから、家庭の判断で、ふつうのリュックで通えばよい。他人と違うからといじめられるようなことがあれば、学校に行って指導してもらえばいい。もちろん子ども本人が言い返せばよい。筋といえば、これが筋だろう。とはいえ、それで通せる家庭は、必ずしも多くないのではないか。だからこそ上掲記事のような意見が出てくるのだろうし。

というわけで、言うほど簡単じゃないよねという話であるわけだが、対策はないでもなかろう。個人的には、ランドセルより安くてかっこいいリュックみたいな鞄をはやらせるしかないのでは、と思ったりする。アニメのキャラクターが使うとか、いろいろ考えられる方法はあろうが、何であれ子どもたちの間に流行を作り出し、親に「あれがほしい」といわせることができるなら、スムーズにそちらに移行してくのではないか。全員がそちらになびかなくても、少なくとも多様な鞄が選ばれるようになりさえすれば、「自分だけ違う」という問題はなくなる。

学校や行政の側に対して言うべきこともあるといえばある。ランドセルを理由にしたいじめを許さないようよく指導すべきという点はいうまでもないが、上の江東区の回答にあるように「6年間使え」ることを条件にするのをやめてもらいたいということだ。そもそも小学1年生から6年生までの間は、体格が大きく変化する。衣服は当然、成長に応じて買い替えるだろう。なぜ鞄だけ同じものを使い続ける前提で考えるのか。ランドセルが高価だからというのであれば、解決策はむしろ、安い鞄を買い替えていくことだろう。

ちなみに自分の経験からいえば、ランドセルは実際には6年間もたなかった。乱暴に扱ったからだろうが、そもそも小学校高学年でランドセル背負ってるなんて恥ずかしい、という気持ちもあった。そういう子は少なくないはずだ。結局高学年になって、鞄を買うことになったが、当時流行していた鞄でうれしかったことを覚えている。高学年で流行していれば、現代なら、新1年生の世代にそれが伝播していってもおかしくないのではないか。

総じてだが、子どもの貧困の問題になっていることの中には、貧困問題以外の要素が入り混じっていることが少なからずあるように思う。そしてそれらの要素の少なからぬ部分は、制度や政府というより社会の側、もっといえば、私たち自身の心の中にある。上掲記事が本当にいいたいのは、そうした部分なのではないかと思う。

人がつくった仕組みは、人が変えられる。「いいかげん、変えようぜ!」っていう声が高まれば。みんなで声をあげていきましょう。

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