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むしろ「否定と否定」だと思う

話題になっている、と思ったらあんまりなってなくてちょっと残念だが、映画『否定と肯定』を見てきたので感想をひとくさり。英国の裁判の様子がリアルに描かれている。人物描写などは英国映画っぽく抑制が効いていて好感がもてた。以下、若干ネタばれありだが、そもそも結論のわかっている実話ベースの作品なのであまり気にしない。

テーマがある意味タイムリーということもあって関心があったんだが、公開前に邦題が変だと一部で話題になっていた。原題は『Denial』、つまり「否定」だが、それになぜ「肯定」をつけたのか。否定と肯定を並べるのはいわゆる両論併記っぽいがこの問題に両論併記などありうるのか、といった批判だったように記憶している。

邦題を付けた側の意図はわからない(どこかに記事とかあるのかもしれないが見たことがない)。両論併記かどうかは別として何か意味があるんだろう、ぐらいに思って見たんだが、やっぱり「肯定」をつけるとどうもしっくりこない。タイトルに「肯定」を入れれば「肯定」に近い考えの人たちが見に来るかも、ということもなさそうだし、あんまりよくわかってないのかもしれない。

唯一あるかもと思ったのは、「否定」だけだと短過ぎるから、というものだ。日本で公開される映画のタイトルでももちろん短いものはあるが、その場合は『怒り』とか『何者』みたいに、そのことば自体に強い意味があることが多いように思う。「否定」だと弱いと思ったんだろうか。

しかしそうならば、むしろタイトルは『否定と否定』であるべきだったのではないか、と思った。この映画は、ホロコースト否定論者に訴えられたホロコースト研究者が裁判で戦い勝利した実話が元となっており、訴えられた学者がその経験について書いた本が原作である。

映画を見た限りでいえば、「否定」はいくつかの意味が込められている。まずはホロコースト否定論の「否定」。文字通り、ホロコーストはなかったという主張で、実際のところ、この主張を支持する人は欧米には少なからずいる。裁判自体は、否定論者で、『Hitler's War』(1977)(邦訳もある)などこのテーマでの著作もある英国の歴史著述家デイヴィッド・アーヴィングが、彼を「嘘つき」などと評した米国の歴史学者デボラ・リップシュタットと出版社であるペンギン・ブックスを名誉棄損で訴えたものだが、裁判の争点がホロコーストの存在自体に及んだために、欧米では大きな話題となった。

High Court battle over Holocaust book
BBC, Monday, 10 January, 2000

Hitler historian loses libel case
Tuesday, 11 April, 2000, 14:17

その意味では、ホロコーストの存在に関する「否定」と「肯定」の戦いということになるが、この裁判で実際に争われたのは、どちらの主張が正しいかではなく、訴えた側のアーヴィング自身やその主張、つまり否定論に根拠があるかどうかだった。つまり、両者の主張が同じ土俵に立ったのではない。「否定」論を「否定」するための戦いだったわけだ。

英国法では名誉棄損の場合、立証責任は訴えられた側にある。そのために法廷戦術として、訴えられたリップシュタットや、ホロコースト生還者に、法廷では語らせない方針がとられた。これがリップシュタットにとって、自ら主張していく自分のスタイルを「否定」されたことであり、それに対して感じたストレスがどのように解消されていったのか、というのが、原作本、そして本作のもう1つの大きなテーマだ。

というわけで、もし「否定」では短いなら、本作は「否定と否定」にすべきだったのではないかと思うわけだが、もうこのタイトルで公開されちゃったわけで、今さら変えようもなかろう。こういう変な邦題で批判される作品が最近増えているように感じている。日本の映画会社は、日本の観客は英語などわからないとでも思っているのだろうか。少なくともこの種の作品に興味を持つような層であれば、原題の『Denial』のままで全然かまわないと思う。

この裁判のことは、当時日本ではほとんど報じられなかった。いつの時点かで見かけたような気がするが、正直、ほとんど記憶がない。念のため朝日新聞の記事データベースで調べてみたが、この裁判自体を当時報じたものは見つからなかった。その後アーヴィングがオーストリアで逮捕されたときの裁判の記事があったので参考までに挙げておく。こちらの裁判では、アーヴィングは一審で有罪判決を受けた後、控訴審で減刑され、国外退去処分となっている。

ホロコースト否定発言に禁固3年 ウィーンの州裁判所、英の歴史学者に判決
朝日新聞2006年02月21日 夕刊 2総合
【ウィーン=関本誠】オーストリアの首都ウィーンの州裁判所は20日、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を否定する発言をした罪に問われた英国の歴史学者デビッド・アービング被告(67)に禁固3年を言い渡した。同国では、ホロコーストを否定する言論は法律で禁じられている。
同被告は89年、オーストリアで行った講演で「アウシュビッツにガス室は存在しなかった」などと述べた。この発言に対するオーストリア当局の逮捕状が出ていたため、05年11月に同国を再び訪れた際に逮捕された。

(地球24時)ホロコースト否定の英歴史学者、減刑に
朝日新聞 2006年12月22日 朝刊 1外報
 ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を否定する発言で今年2月、ウィーンの州裁判所から禁固3年の実刑判決を受けた英国の歴史学者デビッド・アービング被告(68)に対する控訴審判決が20日、ウィーンであった。高裁は「17年も前の発言で情状酌量の余地がある」として、刑期の残りの執行を猶予する決定を下した。

ヨーロッパでも大陸の方では総じて、ナチス擁護やホロコースト否定に関する態度が英国と比べ格段に厳しい。映画では裁判後もアーヴィングは主張を変えなかったさまが描かれているが、オーストリアでの裁判の際には、1991年以降はホロコーストに関する主張を変えたと主張している。認められなかったが。リップシュタットらに敗訴したため2002年に破産もしており、いわば完敗ということになろう。

もちろん、ホロコースト否定論自体はなくなったわけではない。だからこそこの映画で描かれた状況は現代性をもっているわけだ。ホロコーストで数多く犠牲になったユダヤ人を逃がした杉原千畝を首相が持ち上げてみせるまでになった日本ではあるが、こと自国に関わる話だと類似の主張をする人は少なからずいる。他の国でも、都合の悪い事実を歪曲したり否定したりする言論はしばしばみられる。

こうした「悪しき」主張に対して、欧州各国のような法的規制をすべきという議論は昔からあるが、言論自体を規制することにはできるだけ慎重であるべきだ。この点に関して、朝日新聞にリップシュタットのインタビュー記事があった。今回の映画公開に際して来日していたらしい。一部引用しておく。

(インタビュー)フェイクとどう闘うか 歴史学者、デボラ・E・リップシュタットさん
朝日新聞2017年11月28日 朝刊 オピニオン1
 ――ホロコースト否定者の発言を法的に規制するべきだとの意見もあります。
「その意見には反対です。私は言論の自由を信じています。自由によって扇動することは間違っていますし、街角で黒人を殴ることは許されません。ですが、言論の自由はとても大切です。何を言っていいか、いけないかを政治家が決めるのは絶対に違います」

つまり言論と扇動を分けるということなんだろうが、実際には難しかろう。裁判ではこれを、アーヴィングが事実を歪曲するなどして否定論を作り上げたことを証明するかたちで行っていたが、実際にこれを行うための労力は相当なものだ。この裁判には優秀な弁護士が集まり、莫大な費用はスピルバーグ監督が出したそうだが、それもこれが少なくとも欧米の、少なくとも一部の人々にとっては非常に重要とされる問題だからだ。

日本だと、たとえばいわゆる南京大虐殺については複数の裁判が行われていて(確か稲田朋美元防衛大臣が否定論側の弁護士を務めたものもあったのではないか)、否定論者は負けているのではないかと思うが、そのくらいのインパクトのある話でないと、なかなかそううまくいかないケースも出てくるかもしれない。

さらにいえば、リップシュタットがどういおうが、実際には、自らのものと異なる言論自体の存在を許すべきではないという考えは、リップシュタットと同じ側の意見の人々の中にも少なからず見受けられるように思う。リップシュタットは近年のトランプ政権やその支持者たちの言論について「soft Holocaust denial」であると喝破している。

Historian Deborah Lipstadt accuses Trump advisers of 'soft Holocaust denial'
The Guardian Jan. 31, 2017
Softcore denial uses different tactics but has the same end-goal ... It does not deny the facts, but it minimises them, arguing that Jews use the Holocaust to draw attention away from criticism of Israel. Softcore denial also makes all sorts of false comparisons to the Holocaust.

趣旨はわかるし確かにそう思う部分は多いんだが、とはいえこの「soft ~」は拡大解釈されやすいという意味で危険なワーディングでもある。いろいろな人がそれぞれ自分の思う方向に拡大でき、結果としてあたり一帯がすべて議論すら許されないアンタッチャブルな領域となる。たとえばホロコーストに関してこれまで知られていないことを研究の結果明らかにしたとしても、それが加害者側に有利なものであれば「ソフトな否定」といわれかねない。従軍慰安婦についての研究書(邦訳)が原因で有罪判決を受けた韓国人学者のことも想起される。

むろん専門の研究者は多くの場合、事実に基づいた冷静な議論ができるだろうが、この種の問題にはそうでない人たち(政治家や有名人などもこちらに含まれる)も関わってくる。どちらか一方のグループが全員が全て正しい意見を持ち正しく行動し、他方は全員が全て誤った意見を持ち悪い行動をするといった単純化した見方が適切でないのはいうまでもない。「正義」がときに暴走するのを見たことは誰にでもあるはずだ。言論の自由を守るためにこそ、論者自らがその内容について慎重に考えるべきだろう。特に影響力のある論者は、自らの与える影響が、自らの考えとは異なる方向にも広がりうることに対して、自覚的であるべきだと思う。

その意味で、この映画を単なる勧善懲悪の図式で見るのは危険だと思う。ホロコーストの直接の当事者やその関係者たちは強い思いゆえにそうできないかもしれないが、だからこそ、それとは少し離れた位置にいる私たち日本人はもう一歩引いて、作中の裁判のために弁護団が膨大な調査を行った「歴史的事実に対する誠実さ」や、学術や言論を法で裁くことの意味など、じっくり考えてみるといいと思う。

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